東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に住み着き、そこに天まで届 くほどの塔を建て始めました。レンガを焼き、アスファルトを用いて、当時の
人間の最高の技術を用いて塔を建てます。4節「彼らは、『さあ、天まで届く 塔のある町を建て、有名になろう。』と言った。」すると、神様は人間が思い上
がって、間違いを起こしてしまうことを案じられ、塔の建設を中断させます。 6 節「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことを
し始めたのだ。」神様は、7節「直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が 聞き分けられぬようにしてしまおう。」と言われ、人々の話す言葉を乱れさせ
たというのです。人間は同じ言葉を話していると、悪だくみも容易にできてし まう。大勢の人が集まって危険が増すことを、集団心理とも言います。
創世記が書かれた時代に、ユダヤの人々は、東方の国バビロンでは、ジグラ ットと呼ばれる高い塔が建てられていることを聞いていました。しかし、当時
の最高の技術による素晴らしい建造物も、いつしか廃墟となり、倒れていくと いうことを聞いていました。ユダヤの人々は、そのような出来事に、高度な技
術を手に入れた人間の思い上がりを見たのだろうと思われます。
ここで少し見方を変えてみましょう。天まで届くような等を建てた国の人々 は、「同じ言葉」を話していたと書かれています。解説書より引用します。「こ の国家は強力な専制政治によって、アッカド語による言語統制を行い、中央集 権的な管理を強行した。」「ここで建設された神殿、聖塔といった数多くのモニ ュメントは、その国家の勢威をも示す集団表象であり」「その根底にあるのは、 権力の神格化、偶像化と言ってよい。」
無理矢理に同じ一つの言葉を話すように強制された人々が、国家の威信をか けて王様の命令で塔を建てています。ですから、同じ言葉を使っている人々よ
りも、同じ言葉を使うように強制している王様、自らの大きさを示そうとして 塔を建てさせている王様が問題なのです。人間は、人の上に立ち、人々を支配
しようとし、そのために「同じ言葉」を話すようにさせます。創世記を書いたユダヤの人々は、同じ言葉を話すように強制する、専制政治に対する批判の思
いを込めているのです。
隣国でのオリンピックの開会式、聖火を持ったランナーの最後にチベットの 人。その人がインタビューを受けて、何を話したかは、多くの人の想像したと
おり、思った通りのこと、指導者への賛辞、同じ言葉です。あの国では、キリ スト教の教会を建てても、当局の許可がないと、新築の教会堂がブルドーザー
で壊されてしまいます。牧師も司祭も、国家権力の下にあり、許される範囲の ことしか話せません。同じ言葉を話す大勢の人々の陰に、話す言葉が違い、信
じる宗教が違う人々、チベットの人々が苦しみを背負わされているのです。こ ういうことは早くなくさなければなりません。
新約聖書で、このバベルの塔のことを念頭に置いていると言われるのが、使 徒言行録2章です。聖霊降臨の時、各地からエルサレムに来ていた人々が、自
分の国の言葉で、各地の言葉で、それぞれ違う言葉で話し出すという光景を目 にします。注意すべきことは、言葉は違えども、しかし、同じ一つのことを、
神の偉大な業を讃える言葉を語っていたのです。十字架にかかりへりくだり、 よみがえられた主イエスを救い主として神様が与えてくださった、この主のも
とに救いがあり、平和があるのです。
神様は、私たちが、それぞれ自分の言葉で、自分のこと、自分の胸の内にあ る思いを話すことを喜んでくださいます。それぞれの経験を通して、自分の言
葉で神様に導かれた経験を話すことを喜んでくださいます。人の上に立つ誰か に気に入られる答えを探すのではなく、自分に嘘をつかないで生きていくよう
に、神様は私たちを造られました。
聖霊降臨の時、聖霊に満たされた人々は、神の偉大な業について、神を讃え る言葉が語られました。十字架にへりくだられた主こそが、この世の救いです。 私たちが、十字架にへりくだるイエスをこそ主として、主イエスと同じように へりくだる思いで人々と関わることを通して、言葉が異なるという障害をも越 えて、この世界に豊かな交わりをもたらします
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