1節「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさ い。」アブラハムは、神様に呼ばれて旅立ちました。アブラハムは、神様の呼
びかけを信じ、神様を信頼しました。ヘブライ人への手紙11章8節には「 信 仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て
行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したので す。」とあります。アブラハムは、「信仰によって」旅立ちました。
今日の個所の直前、11章30節には、アブラハムとその妻のことが書かれ ています。「サライは不妊の女で、子どもができなかった。」というのです。古
代社会では子孫を残すことをとても重要に思っていたので、子供が生まれない ことは見過ごせません。将来に希望がないのです。けれど、神様は落胆するア
ブラハムに2節「わたしはあなたを大いなる国民に」すると約束されました。 アブラハムから始まる子孫が大いなる国民となるというのです。
このことを使徒パウロは、ローマの信徒への手紙4章18節で「彼は希望す るすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこの
ようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。」と記し ています。
アブラハムは、「信仰の父」と呼ばれています。アブラハムはユダヤ民族の 最初の人。アブラハムのこの信仰から、神の民が始まりました。神様がアブラ
ハムに呼びかけ、アブラハムが神様に応える。この関わりが、神の民の最初に あることです。この関わりが、神様のはからいを知り、その救いにあずかる土
台となるのです。
神様は、さらに約束されました。「あなたを祝福する人をわたしは祝福し/ あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に
入る。」アブラハムは祝福の源となります。アブラハムがいることで、アブラ ハムや神の民の周囲の人々、さらにはこの世界の人々に神様の祝福がもたらさ
れるのです。
「あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。 地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」アブラハムは神様の呼び
かけに答えますが、それは同時に、神様のみ心を行うためでもありました。ア ブラハムは自分の信仰によって旅立つのですが、それは自分一人の思いではな
く、神様の呼びかけに応えることなので、多くの人のためになっているのです。
3節の「あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは 呪う。」という言葉に、マタイ福音書10章32節のイエス様の言葉を思い出
しました。「32 だれでも人々の前で自分をわたし(イエス)の仲間であると言 い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表
す。」ここにアブラハムとイエス様が、重なります。アブラハムも、イエス様 のように、この世の人々のために存在するのです。
アブラハムを祝福する人を、神様は祝福すると言われています。アブラハム の信仰、つまり、神様の呼びかけに応えて旅立ったアブラハムの信仰、この信
仰に生きる人アブラハムを私たちが讃え尊ぶなら、その後に続こうとするなら、 神様は私たちに祝福をもって応えてくださるのです。
アブラハムは、神様に呼びかけられました。けれど、私たちには神様の声は 聞こえませんから、どうすればいいのでしょうか。何か奇跡的な、特別な経験
をする時を待つべきなのでしょうか。そうではありません。神の呼びかけを聞 くとは、神様が私たちの心の中に、一つの思いを与えてくださることよるので
す。「私は神様を信じているから、こういうことをしたい。」このように神様が 理由になっている思い、神様がくださった価値観、何を大事にするのかという
それぞれの思いが、神様の呼びかけを聞くことに導くのです。
日毎に聖書を読み、神様に心を向けて静かに祈り、神様のみ心を思い、神様 のみ心を訪ねること。私たちの礼拝、信仰生活が、祈りの心が、神様の呼びか け、語り掛けを聞くことに導くのです
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