神の呼びかけを受けたアブラハムは旅立ち、カナンの地を目指しました。ア ブラハムが歩みを進めるほどに、美しい緑は少なくなり、周りは砂漠、荒れ野
になっていきます。そして、ベテルの山の上に天幕を張って休息したのです。
アブラハムは、妻サライ、甥のロト、使用人たち数名、そして家畜を連れて 旅をしました。日毎の食料を確保しなければなりません。家畜を引き連れた大
所帯の一群が塊なりになって、砂漠を行くのです。
6節で、神様はアブラハムに、「あなたの子孫にこの土地を与える」と約束 していますが、それはアブラハムの子孫に与えると約束していますし、「その
地方にはカナン人が住んでいた」とあります。アブラハムはそこには定住はで きないし、邪魔にならないように早く通り過ぎなければなりませんでした。
「9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住 み、・・・・13 自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを
公に言い表したのです。」(ヘブライ人への手紙11:9―16)
アブラハムは、シケムに祭壇を築きました。さらに、ベテルでも祭壇を築き ました。私はベテルで祭壇を築いた時、アブラハムが「主の御名を呼んだ」と
いうことに注目します。これは、神様から呼びかけを受けたアブラハムが、今 度は、神様に呼びかけているのです。まず神の呼びかけがあり、招きがあり、
それにアブラハムは応えるのです。
私たちが献げる礼拝も、まず神様がイエス様を通して救いを約束してくださ っていることを思い起こし、それを信じる思いを固くする時にしたいと願いま
す。来週から受難節になりますが、イエス様の十字架とよみがえりを通して、 神様は私たちに対して変わることの愛を向けてくださっています。どんな罪人
であっても、不十分なものであっても、神様は見捨てません。神様のみもとに 招いてくださり、新しい命を与えてくださいます。さらに、神様の御心を行う
ところに、神様の愛があり、平和があることを信じていくことを神様に約束しましょう。心から主の御名を呼びましょう。
今日の箇所のアブラハムの姿を見れば、神様に呼ばれたから、神様に応えた からといって、アブラハムをめぐる現実が変わるわけではありません。アブラ
ハムは荒野にいます。たくさんの家畜や使用人を引き連れ、自分たちの命の養 いも、命の心配もなくなるわけではありません。責任は大きいです。歩みを進
めれば、荒れ野に向かっていき、道は険しくなります。身の安全のためには、 山にも登らなければなりません。
さらに、甥のロトは、この後、アブラハムの群れから離れて行きます。そし て、自分から進んで緑豊かな肥沃な土地を選びます。そういう人が一緒にいる
旅をしているのです。この二人は、アブラハムは、そしてロトは、内心、何を 思っていたのだろうと思います。話が合わないこともあったかもしれません。
それでも、一緒に旅をしていたのです。
そこで思います。思い通りにいかない現実の中にあって、アブラハムは主の 御名を呼びました。どんな言葉を神に向けたのだろうか。何を叫んだのか。神
様に泣き言を言ったのでしょうか。それもよいと思います。いや、むしろ、状 況が良くないほど、神様に対する確信を深くしたのでしょうか。まだ旅を始め
たばかり、行く末の幸い、神の良き導きを祈ったことでしょう。
詩編116編は、ユダヤの人々が、神の救いを祝う過越しの食事で歌う詩編 です。最後の晩餐に、イエスが弟子たちと共に歌った詩編です。詩 116「1
わ たしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き 2 わたしに耳を傾けてくださる。 生涯、わたしは主を呼ぼう。・・・9 命あるものの地にある限り/わたしは主の
御前に歩み続けよう。10 わたしは信じる/「激しい苦しみに襲われている」と 言うときも 11 不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。12
主はわたしに 報いてくださった。わたしはどのように答えようか。13 救いの杯を上げて主の 御名を呼び 14 満願の献げ物を主にささげよう。」イエスの最後を思い、私たち
の歩みを思い、心に迫るものがあります。主の名を呼んで歩んでいきましょう。
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