日本キリスト教団

2022.06.05 説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「救いを保証するもの」
使徒言行録2章1-4節
エフェソの信徒への手紙1章11-14節
  聖霊降臨日は、ユダヤ教では五旬祭。麦の収穫を神に感謝し祝う祭り。この収 穫祭が、ペンテコステ、聖霊降臨日であるということは、主イエスを信じる人々 に聖霊が降り注ぎ、神様のものとしてあがなわれ、神様に収穫されるということ です。聖霊が注がれた弟子たちが神のものとなり、また私たちも聖霊が降り注が れて神のものとなっています。ペンテコステは、神様のものとされた喜びの日、 救いの確かにされた喜びの日です。

 それで、エフェソの信徒への手紙には「13 あなたがたもまた、キリストにお いて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊 で証印を押されたのです。14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための 保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたた えることになるのです。」とあります。

  「証印」とは、これは誰のものかという印をつけるということです。牧畜では、 牛や羊に証印を押します。熱く熱した焼きごてで、所有者の印を焼き付けます。 それを押されたら、決して取り消せません。。聖霊を注がれた人は、神様のもの となるのです。神様がその力強い御手で、一人ひとりをしっかりとつかみ、神様 の救いや恵みに与らせてくださり、神様のみもとに招いてくださるのです。

  「保証」とは、値段の高いものを買う時、手付金を払います。そうすれば、約 束が実現することが決まったも同然です。聖霊は、私たちが神様のみもとに行く ことを確かにするもの、保証するものなのです。Ⅱコリント5章5節「わたした ちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、 その保証として“霊”を与えてくださったのです。」

  もしも、神様というものを、人が考え出したのなら、ただの教えや理屈であれ ば、聖霊ということは言わないと思います。もしそうなら、神様がこの世に御心 をなす力を働かせること、聖霊はないし、聖霊の働くことはあり得ないと思いま す。

  神様ご自身、生きて働く神です。私たちの救いを神様が成し遂げてくださるの です。苦しい時、励ましてくださり、悲しい時、慰めてくださいます。困ってい る状態から抜け出せるように、逃れる道を備えてくださいます。生きて働く神様 だから、働きかけます。神様の愛を、私たちの身に成そうとする力です。私たち の人生の道を神様のもとへと導いてくれます。

 キリスト教の歴史を振り返る時、それぞれの時代ごとに関心が向けられるテ ーマがあり、それは時代とともに変化してきました。キリスト教の黎明期、20 00年前は、神様とイエス様の関係はどうなっているのか、大きな議論がありま した。そして、中世には、神の御子イエスの十字架が救いだと信じる人が救われ るという信仰義認。に関心が寄せられ、宗教改革が起きました。これで、どうす れば救われるかということが、はっきりしました。

  その後、今日に至るまで、救われた人はどのように生きていくのかということ に関心が向けられるようになりました。言い換えれば、神様は信仰者とどのよう に関わり、どのように働きかけ導かれるのかということに関心が向けられてい ます。つまり、聖霊は私たちにどのように働くのかということに大きな関心が寄 せられています。

  神学者バルトは、20 世紀の中頃、これからは聖霊に注目する時代だと言いま した。これからは、救われた人はどう生きるのか、聖霊の働きについて真剣に考 える時代だとしました。

  人生100年時代と言います。だんだん生きる時間が長くなっています。長く なるということは、嬉しいこともたくさんありますが、その反対に、辛いことも 多くあるかもしれません。生きることに疲れる、悲観的になるということもある かもしれません。そんな時は、私たちに聖霊が降り注いでいることを思い出しま しょう。神様が共にいます。神様の愛があります。

 すべての人の歩みが、神様の 掛け替えのない素晴らしい立派な作品です。 「すべての始まりに不思議な力が宿る。その力は私たちを守り、生きる助けと なる。」(ヘルマン・ヘッセ作。2019年5月30日、ドイツ・メルケル元首相、 ハーバード大学卒業式の祝辞に引用。

   
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