アブラハムは、神様の呼びかけに応えて旅立ちました。甥ロトと一緒でした。 お互いに財産が多くなり、家畜を飼う者たちがいさかうようになりました。ア
ブラハムは、ついに別々の場所で生きることを決断しました。アブラハムから 甥のロトに、別の道を行こうと話を持ちかけました。するとロトは、目の前に
広がる緑豊かな土地を選んで移動していきました。アブラハムには荒れた土地 が残されました。
アブラハムは甥のロトに、どの土地を選ぶのか任せました。ロトが良い方を 選ぶことを覚悟の上だったでしょう。荒れ野で生きる人にとっては、自分の住
む場所を選ぶということは、自分の生死を賭けることでした。
神様は、このアブラハムを見捨てませんでした。荒野に取り残されたような アブラハムに、その土地を与えること、アブラハムの子孫が増え広がることを
約束されました。大地の砂粒のようにたくさんの子孫が増え広がるのだと言わ れます。あなたの土地なのだから、自由に歩きまわりなさいと言われます。
ロトは目に麗しい緑豊かな土地を手に入れましたが、一方のアブラハムには、 荒れ地しかありませんでした。けれども、目に見えないものを豊かに手に入れ
ました。荒地であっても生きる場所が永遠にあります。自由に歩き回ることが できるのです。子孫が増え広がることが約束されました。目に見える素晴らし
いものを譲った代わりに、神様の御手の内に守られ、神様に導かれるという希 望にあふれた約束という目に見えない素晴らしい物を手に入れました。
アブラハムも、緑豊かな土地を手に入れられるなら手に入れたかっただろう と思います。しかし、それを譲る心があったことが決定的なことでした。イエ
ス様が十字架の道を選ばれたことになぞらえる出来事だったと思います。
12節「ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。」ロ トは、緑豊かな土地へ、そしてついに神に背く人々の町ソドムへ至ったのです。
その一方で、アブラハムは移り住んだその場所に、主のための祭壇いて神様を 礼拝しました。希望にあふれた約束をしてくださる神様に対して、心からの感
2 謝をささげ、神様と共にある幸いを喜び、神様にすべてを託して生きていこう という思いで神様のみ前に立ったのだろうと思います。
「おごれる者久しからず」、高慢な人はいつの世にもいるのですが、必ずい つしか滅んでいくものだという意味です。豊かな土地を手に入れ罪の町に移っ
たロトの姿を思い浮かべます。そして、わが身を振り返らせられます。目に見 える豊かさを追い求め神様を忘れるロトの姿は、他人事ではありません。神様
に赦していただきたい思いがします。
とりとめのないことかもしれませんが、私たちの社会には、アブラハムのよ うな気持ちで生きている人と、ロトのような気持ちで生きている人とに分けた
なら、いったいどちらが多いのでしょうか。一人の人の心の中は単純ではあり ませんが、自分のことをまず思うのが人の常だとすれば、ロトのような人の方
が多いのだろうという気がします。しかし、アブラハムのような気持ちでいる 人が必ずいると思いますし、私はイエス様に倣って人の心の良い面をまず信じ
たいと思います。
十把ひとからげにロトのような人ばかりだと思うと、この世に希望を抱くこ とはできません。けれど、稀にでもアブラハムのような気持ちの人がいるとい
うことを信じられるなら、そのことに希望を与えられるでしょう。目に見えな い希望を希望とする人がいる。そのことを信じて、さらに希望を与えられる人
がいるでしょう。希望は伝染します。
イエス様は「あなたがたは世の光である」と言われて、神を信じる人たちを 励ましてくださいました。目に見えない希望を希望とする人になり、そのよう
にして周りの人に希望を抱いてもらうようになれるなら、とても素晴らしいこ とだと思います。12章では、神様がアブラハムに呼びかけました。「地上の
氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
今日の聖書の箇所は、アブラハムが神様に希望を見出した姿を通して、私た ちも神様に希望を見出すように促しています。神様の真実と希望を信じるアブ ラハムや私たちによって、今もこれからも、この世界に神様の救いの計画は勧 められていきます。
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