日本キリスト教団

2022.07.17 説教ダイジェスト
礼拝説教要約
天からのしるし
マルコによる福音書8章
11-21節
  イエスは弟子たちに「ファリサイ派のパン種に注意しなさい」と言われまし た。「パン種」とは、イースト菌のこと。聖書の時代の人々は、まだ発酵とい うことを知りませんでした。腐敗すると思っていました。それで、知らない間 に人の心をむしばみ腐らせるもの、神様に背く思いを抱かせるものという意味 でパン種と言っています。

 ファリサイ派のパン種とは。ファリサイ派は、イエスにしるしを見せるよう に求めました。しかし、目に見えるしるしで神のことを理解しようとすること に対して、イエスは不信仰を見、深く嘆かれます。人が戒めを守れるかどうか、 律法を守れるかどうかに目を向けて、心ではなく行いで人の良し悪しを見分け ようとすることにつながっているのです。

  「ヘロデのパン種」とは。ヘロデ王は、自分が王様であり続けるために、2 歳以下の幼子の殺害を命じた人。残忍で、情け容赦ない人。ユダヤの人々には、 その凶暴さ、家族をも殺してしまう凶暴さは有名でした。思いがかなわないと なれば、人の命も顧みず、力づくで押し通してしまうのです。

  「天からのしるし」、それはイエス様のことなのだと、イエス様は遠回しに 言われました。イエス様は、ほんのわずかなもので5千人、4千人というたく さんの人たちの空腹を満たされました。さらに、5千人の時は12籠、4千人 の時は7籠、パンが余ったのです。
イエスは、どういう意味か悟りなさいと言 われます。7も12も完全数ですから、イエスの恵みは豊かである、十分すぎ るくらい豊かだということを示しています。

  イエス様がここにいること、様々な奇跡をなさったこと、十字架にかかった こと、それが神様からのしるし、天からのしるしです。そのしるしは、神様の 救いが、今ここにあることを示しています。神の愛があることを示しています。 ファリサイ派は目に見えるしるしをもって、すべてを推し量ろうとしました。 目に見えないもの、心を見ない。異常なことができる、奇跡ができる、うわべ だけのことでもって神から遣わされた人かどうかを区別するしるしとしました。

  けれど、イエス様という「しるし」は、神の救いと愛を私たちに示していま す。イエス様がいる、よみがえったイエス様がおられる、だから、ここに、わ たしたちに神の愛があると信じるのです。

  車の免許を取るために、道路の標識の絵柄と意味を一生懸命に覚えました。 それでも、あの標識はどういう意味だろうと思うことがあります。この目で見 ているものは確かに標識です。しかし、それが何を言いたいのかがわからない。 標識(しるし)は、意味が分からないと意味がないです。

  しるしとは、それがしるしだと気づかないと意味がないし、何を言っている のかわからないと意味がないです。イエス様その人がしるしだと知らないと何 もないということで済ましてしまいます。イエス様がしるしだと思っても、何 を表しているのか、何を聞くべきなのか、それがわからないと、たとえイエス 様に会うことができても何の意味もないのです。

 イエス様その人が、天からのしるし。神の愛と、神の救いが、今ここにある ことを表すしるしです。目に見えないもの、イエスの気持ちや暖かい心を感じ、 目に見えないものを見る。そうすれば、イエス様その人が神の愛を表していま す。私たちが心でイエス様を受け止めるなら、他にしるしは必要ありません。

 復活ということは、私たちの常識を超えたことです。信じることが容易では ないかもしれません。復活、よみがえりということだけを信じようとすると難 しいかもしれませんが、復活は十字架と組み合わせると、さらに大きな意味、 深い意味を表しますし、信じることに意味があると思わされます。

  神様の前に不完全な私たちのために命がけで十字架にかかり、私たちの目に は、とても悲惨な姿、無力になった人を、神様は見捨てなかった。このことに、 私たちは何を見るべきでしょうか。弱くされた人に神の力が働きます。どんな 人にも神の愛が現わされます。十字架にかかりよみがえられたイエス様が、弱 い人、罪多い人、すべての人に神の愛と救いをもたらしました。

   
 愛隣こども園
宮城県仙台市青葉区五橋1-6-15
〒980-0022 ℡:022-222-3242