日本キリスト教団

2022.08.07 
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「平和のために」
マルコによる福音書9章
42-50節
  今年は2月の末にロシアがウクライナを攻撃し、多くの人の命が失われました。この戦 争が起きたことで、世界中に様々な影響が及んでいます。改めて、世界の国々は思わぬと ころでつながっているものだということに気づかされました。すべての国が反対を唱える のではなく、ロシアを支援する、手を結ぶ国もあるということ、歴史的な関わりを持つ 国々があるということを知りました。世界の国々が様々に関わり合っていることを思うと、 より一層平和を求める思いが湧いてくるし、反対に、つながりはしがらみとなって、平和 を求めることが難しいことではないかという思いも湧いてきます。一人ひとり、一つの国 の行動が、世界を左右するということを思います。

  今日、平和聖日ということで、マルコ9章の言葉が与えられました。特に、最後の49 -50節は、自分の内に塩を持つことの勧めです。「人は皆、火で塩味がつけられる」と は?旧約聖書の時代に神殿では塩を振りかけて犠牲の肉を捧げており、それが火で焼かれ、 神様への捧げものとなった。つまり、人は皆、塩によって神に喜ばれるものとなるという ことです。「塩に塩気がなくなれば」とは?塩が塩でなくなるというのです。聖書の土地 では塩は、岩塩のことです。砂などの不純物、混ざりものと一緒に固まっています。放っ ておくと、

 塩は溶け不純物だけが残る。これが、塩気がなくなった塩です。そして、塩は 塩でしか変わりが利かないのです。つまり、いつも神のみ心を宿し保っておくべき、神の み心を忘れるなという勧めです。 塩は、溶ければ良い作用を及ぼします。それで、塩とは、イエス様のへりくだる愛のこ とです。自分自身のうちに塩を持ちなさいとは、イエス様に倣い、へりくだり隣人を愛す る愛を持ちなさい。そうして、平和に過ごしなさい、というのです。

 42節以下には、片方の手が人を躓かせるなら切り取ってしまえ。両手がそろったまま 地獄の消えない火の中に落ちるよりも、片手になっても命に与る方がよい、とあります。 自分自身の身勝手な思いによって、周りの人を躓かせず、迷惑をかけず、傷つけないよう に、周りに思いを向けていなさい。それで、自分自身が窮屈な目に遭ったり、損をしたり したとしても、隣人が困ることなく、自分自身も神に喜ばれるなら、その方がよいではな いか。お互いのためになっているのだから。しかも、それは小さな者の為です。隣人にや さしく、自分に厳しくありましょう。そのようにして、塩を心のうちに持つことになり、 神に喜ばれる者になり、隣人と共に平和に生きていきましょう、というのです。

  平和ということを思うと、旧約聖書の人物で、創世記に登場する族長イサクを思い出し ます。私たちは、波乱万丈な歩みをした父親アブラハムや息子ヤコブのことは目を向ける のです。しかし、さてイサクはどんな人だったのか、何をしたのかをすぐに思い出せませ ん。イサクは影が薄い、存在感が薄いと思います。イサクが何をしたか、それは井戸を掘 ったということだけです。

  族長アブラハムには子どもがなく、神様が子孫が増え広がる、祝福を受けるという約束 が疑わしい状態になりましたが、その時、ついにイサクが生まれました。

 イサクはアブラ ハムにとって将来へと思いをつなぎ、神様の約束を信じるためのなくてはならない存在。 希望の塊のような存在。では、そのイサクは何をしたか。井戸を掘ったことだけです。

  イサクは、父親アブラハムが、昔、掘った井戸がペリシテ人の嫌がらせによって埋めら れてしまっていたのを、もう一度探し当て掘り返したというのです。水のない荒野の中で 井戸を見つけるということは、どれほど意味の大きいことだったでしょうか。命がつなが って生きていく場所を得るということです。

  イサクは3つ、3回井戸を掘りました。なぜ、井戸を3つも掘ったのでしょうか。井戸 を掘るたびに、人に譲ったのです。イサクは平和を望み、平和のために自らを控えた。そ こに神の祝福があった。平和を望み、人に譲るということ。このこと一つで、波乱万丈な 人生と互角と言えるほどの意味がある、重さがあると言われているのではないでしょうか。 平和を愛し人に譲るこのイサクが、神様の祝福の基となり、神様の与えた約束の証拠であ ると言われているのではないでしょうか。

 争いを好まず、人々との平和を望み、そのために譲ること。これが世代から世代へと、 祝福、救いの希望をつなぐことでした。今日のマルコ福音書の言葉で言うなら、イサクは、 その心の内に塩を持つ人だったと言えないでしょうか。自分の内に塩を持つ、隣人にやさ しく、自分に厳しくある。それは、隣人を愛しへりくだる心です。ここに、神様は平和を くださるのだということを聞く思いがします。


  イエス様は、マタイ福音書5章で、敵を愛しなさいと言われ、45節「父は悪人にも善 人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」 と言われました。新約学者の青野太潮先生は、イエスの語った福音とは、決して難解な理 屈ではなかったと言われます。この45節の言葉こそ、イエスの福音の核心だと言われま す。神様は、神様に背く悪人にも太陽を登らせ、雨を降らせてくださいます。神様は、人 にやさしく、自分に厳しく。神様こそ、塩を持った方です。世界の全ての人が神に尊ばれ ていることを覚え、隣人にやさしくあり、戦争がない世界へとしていきたいと願います。



   
 愛隣こども園
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