日本キリスト教団

2022.09.25 
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「それぞれの思いを表す」
マルコ福音書14章3-9節
   一人の女の人が、ナルドの香油と呼ばれるとても高価なものをイエス様に捧 げました。すると、その場にいた人が憤慨して、香油を無駄遣いしているのだ と咎めました。香油を注ぎかけた女の人は、イエス様に対する溢れるばかりの 感謝の念を抱いているからこそ、とても高価なものでもイエス様に注ぎかけた のです。しかし、この女の人の思いを察することができないで非難する人たち がいました。

 イエス様は、この女の人をとても好意的に受け止めてくださいました。たぶ ん、この女の人は、自分がしたことをイエス様の葬りの準備だとまでは思って いなかったのだろうと思います。けれど、イエス様はこの女の人に対して好意 的な眼差しを向けられ、9節「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が 宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろ う。」と言われました。

 イエス様の慈しみによって救われた人が、高価な香油をイエス様に注ぎかけ、 そのことをイエス様は葬りの準備だと言われたのですから、イエス様に救われ た人はどの人もこの女の人と同じようにイエス様に対して感謝の思いを抱き、 感謝の思いを日々現わして歩むべきだと言われているのです。

  もちろん、無駄遣いだと言って香油を注ぎかけたことを非難する人も、一つ の思いを表しています。しかし、イエス様は、人に対する冷たい思いを抱き、 全く無理解であり、一人の人が自分自身の思いを表すことを押しとどめようと するような人々に対して、そういうことはするべきではないということを示さ れたのです。

  聖書を、男女平等を尊ぶ思いをもって読む人たちは、他人を非難する人の性 別は書かれていないのに、非難される人のことは一人の女の人だと書かれてい ることに大きな関心を寄せます。ルカ8章に書かれているように、マグダラの マリアや多くの婦人たちがイエスの弟子でした。イエス様に男性だけでなく、 女性の弟子が多数いたことは疑うことのできない事実です。

  今日の聖書の箇所では、イエス様は、人の思いを踏みにじろうとする人には 2 批判的に、自分の思いを表す人には好意的に振舞っておられます。このイエス 様のことを思うと、一人ひとりが大切にされるということ、このことをイエス 様は大切にされているのだということを思わされます。

  多くのキリスト教の幼児施設には、「一人ひとりを大切にする」というモッ トーが掲げられています。愛隣こども園のホームページにも掲げられています。 イエス様の思いとして、願いとして、これからもこのことを覚えていきたいと 思います。子どもたちや女性たち、自分から声を上げることのできない人たち、 小さな存在が大切にされるように、イエス様のことを世の人に語り続けていき ましょう。

  今、霊感商法が再び問題になり、献金と契約、信仰と法律ということが取り 沙汰されています。神仏への献金は税金の対象とすべきか否か、献金だと言っ て法外な物を買わされた人は、多額の献金を取り戻せるのか。献金は契約だと みなすのか否かということが法律の専門家によって議論されています。神や信 仰対象に対する一人一人の思いを他者がどれほど正確にくみ取り、評価するの かということを思わされます。

  今日の箇所には、大切なものを手放してまで自分の思いを表すことや、神へ の感謝を表すことを理解できない人がいました。もしかしたら、それは私たち の一番身近な人、家族なのかもしれませんし、家族で自分一人がクリスチャン だという方は、いつも気を遣って捧げてくださっているように思います。けれ ど、わずかなものと思っても、イエス様には、そこに込められた大きな思いは 伝わっていますから、無理解な人にへこたれることなく、信仰を表わしていた だきたいし、自分の思いを表すということ、それが一人ひとりに幸せなことだ と思います。

  「福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えら れるだろう。」福音とは小さなものも一人ひとりが慈しまれるということです。 福音に助けられた人は、それぞれの感謝の思いを表し捧げます。そのようにす ることが、救いにつながり続けることです。福音が宣べ伝えられるところでは 捧げた人のことも語られる、つまり、捧げることも救いですよと、救いを喜び 続けることの助けとなるのだと、イエス様は言われているのだと思います。



   
 愛隣こども園
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