パウロの働きによって生み出されたテサロニケの教会の信徒たちは、パウロ の教えを思い出しながら、疑問に思うことがあったようです。パウロ先生は、 もうすぐこの世界は神様の国になる、この世界が全てが救われる日が来る、そ の日にはイエス様を信じる人たちは皆救われるのだと教えてくれたが、その日 を待たずして死んだ人は、救いに与ることができているのだろうか。こういう 疑問を抱いていたようです。
パウロは答えています。「14 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信 じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエ スと一緒に導き出してくださいます。(復活させて救ってくださいます)」
この世界が救われる前に死んだ人たちも、先に死んだ人たちは復活するので す。パウロは、死んだ人が復活するということを覚えていましょうと語りかけ ています。この世の命が終わったからすべてが終わったのではないのです。死 んだ人も、その魂は神の前に生きている。この世界が全て救われる時、その人 たちは復活するのです。神のみもとにある一人ひとりが、復活の命に与り、そ して、復活の体、新しい体を与えられて、魂と体が一つにされて、救いに預か った新しい一人ひとりとされて、永遠に神様と共に生きることが始まるのです。
このことを希望としようと、「希望を持たないほかの人々のように嘆き悲し まないために」と呼びかけています。私達も、復活を信じ、私達の救い、先に 召された方々の救いについて、希望を持っていきたいと思います。
キリスト教の教会では、先に召された人のことを永眠者と呼びます。永眠と は、どういうことでしょうか。永遠に眠っているのでしょうか。永遠ではあり ません。とても永い間眠っているのです。それは、眠っている人は目覚める時 が来るからです。「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。 そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」(エフェソ5:14)眠ってい る人は目覚めます。復活の日を迎えます。救いがあるのです。ですから、死ん 2 だ人は救われる人です、いつの日にか目覚める人、永眠者です。
イエス様を信じる私たちには、この世にある間も、この世の命を終えても、 ずっといつまでも神と共に過ごすのです。そして、ついにこの世界のすべてが 救われる日に一人ひとりが救われ復活し、永遠に神様と共に生きる者になるの です。
クリスマスによく読まれる聖書の言葉、マタイ福音書1章で父親のヨセフが 生まれる子の名前をイエスと名付けるようにと神様から言われています。イエ スという名はインマヌエルということを意味しているし、このイエスは神様が すべての人と共におられるということを実現する人だと告げられています。
インマヌエル、これは旧約聖書の言葉で、神は我々と共にいるという意味の 言葉です。アハズという王様が、いつまでも神様を信じようとしないので、じ れったくなり、そんなに神様を信じないなら、なんという不信仰な人だろうか と、神様はもうあなたのことを顧みられなくなる、放ってしまわれるだろう、 神様は神様を信じる私たち、我々と共にいる、我々の側にこそ神様はいるのだ と勢いよく啖呵を切った時にはなった言葉、それがインマヌエルという言葉で す。
預言者が啖呵を切って勢いよく言うほどの強い気持ちが込められた言葉だと いうことを思うなら、神様はあなたの側にはいない、私たちの側にいる、神様 は他でもないこの我々の味方であるという意味です。神様は、いつも私たちの 側におられる、私たちの味方なのです。私たちの味方である方が、私たちのこ とを何よりも掛け替えのない存在だと思って、私たちと共にいてくださるので す。とても心強いことです。安心なことです。
「31 もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対でき ますか。・・・33 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。・・・34
だれ がわたしたちを罪に定めることができましょう。・・・5 だれが、キリストの愛 からわたしたちを引き離すことができましょう。」(ローマ書8章)先に召され
た方々、私たちが復活の日を迎えることを信じ、希望を持っていましょう。神 はすべての人を慈しみ、いつまでも共にいてくださいます。
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