指導者ヤコブが「忍耐」することを勧めています。7-10節までに、「忍 耐」マクロスーミアという言葉が出てきます。いろんなことが思い通りになら
ないからと言って短気を起こして怒らないで気長に我慢する、という意味です。
忍耐するのは「主が来られるときまで」です。「主が来られる時が迫ってい る」のです。イエス様が再びこの世に現れるのです。再臨とも言います。終末
の日、この世界が全て救われる時に、イエス様が再びこの世に来られて、すべ てを救ってくださるのです。その日が来ることを信じて忍耐し、待っていまし
ょうと勧めています。
私たちは、自分のことで不満があり、また広く社会の不正義、不公平、心な い出来事に憤ったりします。この世にあって、私たちは落ち着かない心でいま
すが、しかし、心の奥底では秋の雨春の雨を待ち、畑が豊作になる時を待つよ うに、神様の慈しみ、導きを信じて、その日が必ず来ると信じていましょうと
勧めています。
私たちは、いろんな出来事を見聞きして、不平を言いたくなります。すべて のことをありのままで受け入れるということは容易いことではありません。さ
らに、「互いに」不平を言わないようにというのですから、同じ信仰者同士で 不平を言い合うということを言っているのかもしれません。もうすぐ主が来ら
れるのです。救いの日は近いのです。私たちの喜びの日はもうすぐ来るのです。 不平ではなく、お互いのためになることを語り合い、励まし合い、忍耐する気
持ちを深くすることができないものかと、手紙の著者ヤコブは思っているよう に思います。
もう一つの 11 節で使われている「忍耐」、これはヨブの忍耐です。ヨブ記の ヨブは、家族、財産をすべて奪われ、そして、自分の体も吹き出物ばかりにな
る病気になり、痛みをこらえるのです。苦しみの重荷の下で耐え忍ぶ、これが ヨブの忍耐、ヒュポモネーという言葉の意味です。ヤコブ書の中では、並大抵
の忍耐ではないということで、ヨブの忍耐ということが言われています。
そして、ヨブ記の最後に記されているのは、ヨブの信仰の固いことを神様が 喜ばれて、試練に打ち勝ったヨブに対して神様は、再び多くの家族を与え、財
産を与え、ヨブは長寿を全うしたということです。私たちの忍耐には報いがあ るのです。
筋書きや場面の移り変わりがキリスト教の信仰に基づいていると思われる映 画があります。例えば、ハルマゲドン、宇宙大戦争です。宇宙の彼方から敵が
攻めてくる。これで人類絶望の危機かと思わされながらも、最後の最後で敵は やっつけられて地球は滅びることなく守られる。つまり、この世界には苦難が
ある。しかし、神様は必ず世界を救われる。救い主は来られるのです。国民の 多くがクリスチャンだと自認しているアメリカの映画、ほとんどがハッピーエ
ンドです。
私たちは誰でも話の結末が悲しいよりも楽しい方がいいです。それに加えて、 私たちの信仰では、主が必ず来られるのです。私たちの人生の筋書きは、誰の
人生でも、ハッピーエンドが約束されています。この世の人々の評価とか、人 のことは置いといて、神様との関わりにおいて、すべての人に救いがあり、ハ
ッピーエンドが約束されています。その日を待つのです。
今日から待降節に入ります。これから4週間、私たちの、この世界の救い主 の到来を待つ日々です。
救い主の到来、その一つは、イエス様という救い主が人間としてこの世にお 生まれになったことを言います。
そして、もう一つの到来、主イエスの到来、主の再臨を待ちます。これから、 この世界の全てを救うために主イエスはもう一度この世に来られます。その日
を私たちは待っています。アドベントの度に、このことを思い出しています。
救い主が一人の人となってお生まれになったことは、私たちに確かな救いを もたらしました。どんなことがあっても神様は私たちを愛してくださっている
ことを知らされました。この神様の愛を信じて、この世界と私たちの、すべて の人のハッピーエンドの日を待つ心を深くしていきましょう。
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