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シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2023年6月25日 
「異邦人と囚人」加藤誠牧師
エフェソの信徒への手紙3章1−6節



 使徒パウロはエフェソの信徒への手紙3章1節で「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは」と語りかける。

 使徒パウロは生まれこそエルサレムではないが生粋のユダヤ人であり、律法を深く学び厳格に守っていたことを使徒言行録で証する。その厳格さによりイエス・キリストとその信者を赦すことが出来ず、本気で彼らの命を狙っていた。



 しかし彼は復活のキリストに出会い、使徒パウロへと変えられる。それは同法のユダヤ人にとっては裏切り行為で、使徒言行録の多くの場面で使徒パウロはユダヤ人から命を狙われる。使徒パウロの願いはユダヤ人の救いにあったことは明確で、伝道の旅先ではユダヤ人の会堂に入って説教する場面が普通に登場する。



 使徒パウロの願いと神の彼に対する御計画は違っていた。神の計画は、イエス・キリストの十字架によってユダヤ人と異邦人の間に架けられた救いの架け橋を更に強固にすることであった。それはパウロにとって、決して楽な決断ではなく、むしろキリストのため、キリストを主とするための辛く厳しい決断であったことが使徒言行録には記されている。



 「あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロ」と告げるエフェソの信徒3章1節は、イエス・キリストを信じ、彼を主として最後まで従った使徒の矜持が込められた1節である。
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 2023年6月18日 
「キリストの平和」加藤豊子牧師
エフェソの信徒への手紙2章14−22節




 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(14節)

 聖書に於いて「平和」という言葉は、関係を示す言葉です。具体的に言えばそれは、神様と人間との関係であり、さらには人と人との関係を示しています。その関係が平和であれば良いのですが、そこには妨げるものがあるわけです。神と人との関係を妨げるもの、それは罪の問題であると言えるでしょう。イエス・キリストは唯一、その罪の問題を解決してくださるお方としてわたしたちのところに来てくださいました。それでは、人と人との関係を妨げるものは何なのか。このところでは、「敵意という隔ての壁」があることが示されています。そしてイエス・キリストの十字架を通して敵意は滅ぼされ、和解がもたらされるということがはっきりと語られています。




 今朝読んでいただいたところには、「二つのものを一つにし」(14節)「両者を一つの体として」(16節)「両方のものが一つの霊に結ばれて」(18節)など、「一つに」「一つの」という言葉が沢山でてきます。エフェソの信徒への手紙の中心テーマの一つでもある「一致」「和解」ということが繰り返し語られています。




 パウロの時代、教会は内に深刻な対立の問題を抱えていました。それはユダヤ人と異邦人との対立でした。主イエスの十字架は、すべての人と神様との間を和解させたものではないか。すべての人は、キリストにあってこの和解の中に生きるように招かれているのだ、とパウロは告げています。わたしたちも日常において、人と人との間に様々な対立、壁があることを体験します。あきらめずに、キリストの平和を祈り求めるものでありたいと願います。
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 2023年6月11日 
「聖霊の証印」加藤誠牧師
エフェソの信徒への手紙2章1−6節



 使徒言行録によると使徒パウロはエフェソに3年滞在し伝道した。その日々の事を使徒言行録20章では「わたしが3年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」とエフェソの長老たちに伝える。使徒パウロにとってエフェソの教会は特別に思い入れのある教会であった。



 先週は、エフェソの信徒への手紙による説教の1回目であったが、キーワードは「祝福」であった。パウロによれば神は私たちを呪う神ではなく、祝福する神である。今回のキーワードは「恵み」である。



 「あなたがたの救われたのは恵みによるのです。」(5節)とパウロは言い切る。その内容が「この上なく愛してくださり、その愛によって罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かし、」(4節)である。



 「恵み」は一方通行なのである。そして二つの要素からなる。一つは「この上ない神の愛」である。神の愛はキリストの十字架を見なければ分からない。神の愛の究極はキリストを私たちの罪のために十字架で死なせたことにある。二つ目の要素は「わたしたちをキリストと共に生かす」ことにある。キリスト者は主イエスの復活を信じる。ただキリストが復活したことを信じるのみではなく、その復活のキリストと共に私たちが生きていることを信じるのである。復活のキリストが私たちを生かすのである。それが「恵み」である。
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 2023年6月4日 
「輝かしい恵み」加藤豊子牧師
エフェソの信徒への手紙1章1−7節



 先週は、聖霊降臨日礼拝でした。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8)

 主イエスの約束通り、集まっていた人々の上に聖霊が注がれ、使徒たちは力強くイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。エフェソという都市も、パウロの伝道旅行の中で生まれた教会として、使徒言行録にその様子が記されています。



 エフェソの信徒への手紙は、古くからフィリピ、コロサイ、フィレモンの信徒への手紙と共に、獄中書簡と言われてきました。パウロは捕らわれの身で、明日の命もわからない状況の中、自分が関わった教会に心を寄せながら、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」(2節)と祝福を祈り求めています。



 ここで示されている、わたしたちに与えられた祝福とは、天地創造の前に、神がわたしたちを愛してくださったということであり、さらに、神の御子、イエス・キリストにおいて、その血によって贖われ、罪を赦され、救いの中に招き入れられている、ということです。それは輝かしい恵みであり、その豊かな恵みによってわたしたちは生かされているのだ、ということが熱く語られています。
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