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シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2024年7月7日 
「一粒の麦」加藤豊子牧師
ヨハネによる福音書12章20−26節



 過越し祭にはイスラエルに住むユダヤ人だけではなく、外国に暮らすユダヤ人、さらには異邦人も礼拝のために、エルサレムへと集まってきました。神殿には異邦人の庭があり、ユダヤ教に改宗した異邦人たちはそこで礼拝をささげることができたのです。



 小見出しには「ギリシア人、イエスに会いにくる」とあります。イエス・キリストについての様々なうわさ、ラザロが生き返った話なども耳にして、自分たちも主イエスに会ってみたい、そう思ったのではないでしょうか。弟子のフィリポのところに行って「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ、とあります。ここでギリシャ人が登場したということには、大変大きな意味があると思います。それは、イエス・キリストによる救いというものがユダヤ人だけではなく、民族の壁を越えて世界中のすべての人に与えられるものであることが示されているからです。



 「人の子が栄光を受ける時が来た」(23節)

 主イエスは今まで何度も「わたしのときはまだ来ていない」と言われました。しかしついにここで、神様の救いの計画の中で定められたときが来た、と言われました。そしてそれは、主イエスが「栄光を受ける時」でありました。オリンピックで表彰されるような晴れがましいときではなく、ご自分の命を捨てるということにおいて受けられる栄光でありました。



 「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(24節)一粒の麦として、主イエスが十字架の上で命を捨ててっくださった、そのことによって多くの人が、あらゆる壁を乗り越えて世界中のすべての人が救いに招かれているのです。
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