このHPの管理者が教会で手話通訳を行い始めた経緯とHP作成までの道程を紹介

始めた理由手話歴1年目手話歴2年目手話歴3年目ろう者頸肩腕障害
難聴者信徒手話通訳者インターネットゴスペルサインランゲージサークル


手話をはじめた理由
 教会の友人(韓国人の女性)が「手話」を勉強したいと私に話したのがそもそもの始まり。それまで手話に全くと言っていい程興味のなかった私は、不思議に思ったしかし、そう言われて「はた」と周りを見渡すと、そういえば教会には様々な人がいるけれど、聞こえない方がいないのはなぜだろう....と考えた。もっとも、自分のまわりにも手話で話す人をみかけたことはなかったが...。とにもかくにも、その友人に協力すべく図書館に行って手話関係の本を探した。

手話歴1年目

図書館から借りて来た本で独学を行う中、生きた会話の必要性を感じ、地域の手話サ−クルに入会。はじめて会うろう者、はじめて見る手話、それ以来手話の世界に引き込まれ、夢中で語彙を増やす日々が続いた。そんな時、神様が私に、一つのビジョンを与えて下さった。「教会に聴覚障害者がやがて来る。手話通訳の学びをするように....」と。ガ〜ン!。そ、そんな....どうして私が....他の人にやってもらって下さい。私にはそんな自信ありません。それに、私一人でこれからどうしろというんですか。だれが助け、導いてくれ、教えてくれるんですか?。イヤです。できません!。.....と神様に、前言の撤回を求め神様に訴え続けていた不安の日々。

手話歴2年目

どうにかこうにか自分の言いたいことは表現できるようになった頃、手話サ−クル内の活動が忙しくなってきた。それでも、まだまだ学ぶことがたくさんあり、色々な場所に積極的に出ていっては手話表現を吸収し続けた。地域のろう者とも交流が盛んになり、毎日忙しいながらも充実した日々だった。....と、神様がコマをひとつ進めた。一般の手話表現はどうにか学べるが、教会用語は?聖書の手話表現方法は?....と考えていたある日のこと。パラパラとめくった本に「アバコ手話教室の案内.......クリスチャンの為の手話教室」その本を手に持ったまま、片方の手が受話器を握りしめていた。なんと、手話教室開催まであと1ヶ月。申し込みがスムーズに進んで受話器を戻すと手が震えていた。「神様があのドアをまた開いた」そう確信した。

手話歴3年目
 
一週間で手話に接すること4日間、手話を学べども目的の聴覚障害者は教会にはこない。最初の決意はどこへやら、自分の為に手話を学ぶようになっているではないか教会活動や、家庭も犠牲にし、幼いわが子も後回し、まして主人は....忍の一字。「はっ」と気がつき軌道を修正することに。何が大切か、家庭や信仰を後回しにしてまで手話に固執すべきではない。かといって「ヤーメタ!」と簡単に切れるようなものではないのが手話。聖書に『まずを第一とせよ、そうすれば、他のものはそえて与えられる』この御言葉を信じ、今までやってきて失敗は一度もなかった。信じよう。そう決意した時、次のドアが開いた。

ろう者
ある時、サークルのろう者からFAXが届いた。「友人とバーベキューを行う予定あり、参加しませんか。日時 〇月〇日 日曜日 」ろう者の集いに招かれるのは、手話を学ぶ者としては、この上ない喜び。う〜〜ん...ままよ!ほんの少し後ろ髪を引かれつつも即刻返信「私はクリスチャンです。日曜日は教会の礼拝があるので参加できません。実は、私が手話を学ぶ一番の理由は教会に来たろう者に手話通訳をすることです、などなど...」という主旨の内容で送った。人にどう思われてもいい。わたしは信仰を恥じとはしない、と心にきめて...。すると、すぐに返事が。「自分は教会に行きたいと思っていたが、手話通訳がないので諦めていた。来週にでも出席したい。通訳よろしく」.....その時の、私の心の状態はいかであったか。このページを読んで下さっている方は想像できると思う。

頸肩腕障害の恐れ

 早速、教会に訪れたろう者は、スポンジに水が染み込むがごとく御言葉に耳を傾けた。たどたどしい手話通訳にも関わらず、彼は半年後洗礼を受けた。其の方の喜びは私の喜びになった。日曜日の礼拝はもちろん、学びに行くと言えば、いって通訳をした。家庭集会にもついて行きひたすら通訳をした。1時間、2時間、3時間、4時間、5時間、連続、という日もあった.....実際、続くわけがなかった。
気持ちとは裏腹にどんどん手が動かなくなる、手話に変えようとするのに頭に言葉が入ってこない、頭が真っ白になってしまう、ことばが消えていく。
気持ちが焦ってくるばかりか、話す人に対して怒りがでてくる。「どうしてそんなに早く話すの?どうして難しいことばかりいうの?」と。相手を責める自分を尚更裁き、苦しくなった時、目が涙でぼやけ手話も止まった。きっと技術不足のせいに違いない、もっとやらねば、練習せねば。

来る日も来る日も自分の技術不足を補うべく、暇さえあれば手話に変換した。運転中、ラジオを聞けば、頭の中で手話。テレビも本も、何でも手話にかえながら頭に入れた。ある時は夢の中でも手話をしていた。そのうち、自分の考えていること、人が話した言葉も手話にかえて聞いたりしてた。そんなある日の事、礼拝で通訳を行おうとしたとたん肩が上がらなかった。

難聴者信徒の会

「誰も理解してくれない、助けてくれない。何で自分一人がこんなことを....」
感情のコントロールができない。いつもイライラしてしまう。一番弱いわが子にあたり、友人を罵倒する私がいた。頭痛、肩凝り、疲れがとれない。いつもだるい。そんな自分を責めて落ち込んだ。今までの私はどこへいったのか?。こんな人間ではなかったはず.......。ろう者の負担になってはと、極力体調の悪さを隠し通訳した。でも、気ずかれた。私を見る悲しい視線に尚更申し訳なく思い、悲しかった。そんな私を見るに見かねて神様が次のドアを開いた。そこに難聴者信徒の会があった。クリスチャン手話通訳者達も集まっていた。「こんなに仲間がいる。ひとりぼっちではなかった!」主に感謝。集まっていた方々に自分の現在の様子について話した時、沢山の方に教えられ、そこで自分の状態にやっと気がついた。、頸肩腕障害....聞いたことはあったが、まさか自分の身に起こるとは考えてもみなかった。もし、この会に出席していなかったらどうなっていたのだろうか。

手話通訳者の集い

自分の弱さを認め、主にゆだねた時、教会内で助け手が与えられた。共に重荷を担ってくれる教友がいた。すると、固まっていた石のようなものが少しずつ溶け始めた。「助けてください」と言わなかったから、人は気がつかなかったのではなく、「全部自分のモノ、人にはあげるものか」そんな心が自分を締め付けていたのだと気がついた。まったく、我ながら傲慢な者だと呆れ果てた。「休むことも大切」難聴者信徒の会で言われたこの言葉を心でくり返した。たくさんのものを勝手に握りしめていただけ、なんてことはない、手放したらスーっと楽になったではないか。元の自分が戻ってきた、そんな時、次のドアが開けられた。FAXが届いた。『手話通訳者の修養会案内』感謝して申し込んだ。

インターネット

 話は前後するが、自分と同じ立場で教会内で手話通訳を行っている人が必ずいるはず、と思いインターネットで情報を探し求めた。一般の手話通訳者関係や、ろう者に関する情報はあるものの、クリスチン手話通訳者のページは探したけれど見つからなかった。教会でその話をした時、「なかったら自分で作れば?」と言われた。自慢ではないが、パソコンはほんの少しいじる程度の私、機械オンチ、解説書オンチついでに方向オンチ(これは関係ないが)。
どう考えてもHPを作るなんて無理....やっぱり、誰かが作ってくれるだろう事を期待して待つしかない。そう思っていた時、教会の信徒の方(自分でHPを作成している)が「協力しましょう」と一言。それからというものインターネットのイの字から懇切丁寧な指導が始まった。またしても開かれたドアに向かって歩んだ。

ゴスペル・サインランゲージ・サ−クル

次々に難問にぶつかりながらも、ひたすら耐えに耐えて根気強く教えて頂き、あまりに飲み込みの悪い私を最後まで見捨てずに教えてくれ、助けてくれた
サポートセンターさながらに頼り切ってしまった、この教会員の方の御協力なしには作りえなかった、このサインランゲージサ−クル。
「主の為にしていることですから....」とにっこり笑って言ってくれたこの方のHPを御覧下さい。リンク集にあります。また、教会案内のページに載せる情報の収集を、日本ろう福音協会に御協力頂く事ができたのも、主に感謝!!。
 このように一つ一つを導かれながら、このゴスペルサインランゲージサ−クルに至った。

現在、手話を始めて10年が経とうとしている。あっという間の10年だったが、振り返ると実にいろいろな事があった。神様の導きと、たくさんの人々に支えられてきたんだな〜と思う。 手話を学んで来て分かって来た事、それは、人は互いに支え合うものだという事。手話の技術云々は、地域の手話サークルで磨き合って頂きたい。

主に在る兄弟姉妹として手話が果たす役割は、神様の恵みを分ち合う為に与えられた一つの手段であろう。礼拝にて、御言葉を通訳させて頂く時、御言葉が通訳者の心と体を通って行き、ろう者の心につながった時、さらに恵みを受けることができる。2倍の恵み。これって、かなり役得である。神様の尊い働きに加えられていることを感謝しつつ、「もういいよ」のお声がかかる時まで、この恵みに与りたいと願っている今日この頃である。

そして今、教会の中で奮闘している一人でも多くの方に、このサ−クルを知って頂きたいそして、聞こえない方が救いに導かれるように、このHPが用いられることを祈り続けたいと思う。全ての栄光は主にあり。 アーメン

みかりんでした(^^) 2005,8,2