山本 忠一君のお話
和歌山県で塾を経営していた牧師さんからのお話
彼の塾はあるときから「アホ学園」と呼ばれました。
そこに知恵遅れの少年が加わったからです。
この少年の名は山本忠一といいました。幼い頃脳膜炎をわずらった孤児でした。
大食いと寝小便が止まず、親類も愛想をつかし、捨てられて乞食をしていたそうです。
それを、牧師さんが家に連れてきて世話をすることにしたのです。
忠一君が加わったことによりその塾は「アホ学校」と呼ばれるようになり、
他の塾生たちが問題にしました。
「忠一君を学園から出して欲しい。もしだめなら
自分たちは出て行く」と言い出したのです。
牧師さんは苦しみました。しかし、聖書の教えに従い、山本少年をそこにとどめたので
す。そのため7人の塾生は去ってしまいました。
ところが、忠一君もある日外出し、行方不明になってしまいました。
数年後には、彼が機帆船に拾われて働いているらしいと風の便りが届きました。
ところが、昭和14年のある日、一人の紳士が突然塾を訪れて、言いました。
「あなたは何年か前に山本忠一という子供をお世話くださった牧師さんでは
ありませんか?」
「あなたは忠一君のことを知っているのですか?」
「実はその忠一君が立派な働きをして死にました」
そしてその紳士は語りだしたのです。
「ある日、機帆船幸十丸は、荷物を満載して紀州尾鷲港を出ました。
出帆後間もなく海がしけ出し、新宮沖にさしかかった時はどうしても思う方向に
船を進めることができず、ついに暗礁に船底をぶっつけてしまいました。
破れた船底から水が激しく浸水して、いくら排水してもどうにもなりませんでした。
もうこれまで、と一同観念したとき、船底から『親方!親方!船を!船を!』と
手を振りながら大声で叫んでいる者がいました。見ると、忠一君でした。
不思議にも水はあれから少しも増していませんでした。船員たちが再び必死になって
水をかき出したところ、忠一君は船底の穴に自分の太ももをグッと突っ込み、
必死にもがきつつ『船を、船を、早く早く陸に上げて!』と狂おしく叫んでいました。
それで船員たちはしゃにむに、船を進めて陸に近づけ、九死に一生を得ましたが、
忠一君はかわいそうに右大腿部をもぎ取られ、出血多量で上陸するまでに
息を引き取ってしまいました。」
「人がその友のために命を捨てるという、これより大きな愛は誰も持っていません。」
(ヨハネ福音書15:13)
これは忠一君が覚えた、たった一つの聖書の言葉です。山本君は普段自分をアホ忠と
呼んでバカにし、なぐったり蹴ったりした船員たちの命を救うために、自分の命を
犠牲にしました。
これは私たち人類を救うために十字架の上でご自身の命を犠牲にしてくださった
キリストの愛です。このキリストの愛を受けていたので山本君は自分をばかにして
いじめていた人たちをも許し、愛して、救うことができたのです。