|  私のキリスト教との出会い  小島 十二
 
 
 
               私は16才の4月に父を、7月に母をそれぞれ病気のために失いました(1946年)。11才の弟と2人暮らしは、敗戦の混乱と欠乏のなかで暗く厳しい毎日でした。
 
 
              
 
               人はなぜ生きるのかと考えるものですが、当時は食べることの他に目的も意味もないような飢餓状態の日本でした。(敗戦直後の日本には、何千万にも餓死するだろうと、ア
 メリカ等から救援の食糧物資などが送られました。)
 
 
              
 
               私は弟と二人で幸せを願いましたが、毎日、腹が立つ、イライラする。空腹、金がない、財産もない、安定した職場もなく、むなしさでいっぱいでした。
 
 
              
 
               私はそれこそ何もないと思いましたが、私の中に願わない悪をし、しなければならない善はできない別の私がいて、私は分裂して苦しみ悩みに支配されていました。
 
 
              
 
               ある夜、たまりかねて「神様、もしあなたがいるなら、私と弟を救ってください」と祈ったのです。その時から神を呼ぶことは真の私自身を問題にすることだと分かり始めまし
 た。
 
 
              
 
               聖書という、不思議な生きた力のある本(神の言葉)を読むようになって、その中から神の存在の確かさ・・・・神とは天地万物の造り主、目には見えない永遠の霊である父、
 礼拝するものも霊と真をもって礼拝すべき信実な支配者、しかも悪人の死を喜ばず、す
 べての人が悔い改めて真に生きることを望んでおられる不変の至高者・・・・を知り、人
 間の不確かさ、命のはかなさ、愛のもろさ、感情の不安、意志、知性の限界を認め、金
 銀財宝では買えない永遠の命を求めるようになったのです。
 
 
              
 
               真の神のいつくしみと知恵とを経験する道は−神の独り子である−イエス・キリストを知り、彼の十字架における私たちの罪のための身代わりの死と、三日目の復活と四十
 日後の昇天によって証明された神の救い主を信じることであると、教会と神の聖霊は私
 を今日まで教え導いてくださったのです。そうして私は新しくされて今日まで感謝の内に
 生かされてまいりました。
 
 
              
 
               驚くべきことにこの信仰に導かれてからは、私の内心の不安と欠乏は消え、空しさと悲哀、孤独と死の恐れからも救い出され、どんな時にも神の恵みがあることを知り始めまし
 た。
 
 
              
 
              『常に喜べ、絶えず祈れ、すべてのことを感謝しなさい』との教えは人生の秘訣であると思います。
 
 
              『神の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい』(聖書)
 
              
 
              結論  本当の生きがいへ
 
               天地宇宙を創造しこれを支配する真の神は生きておられます。
 
              しかし、人間は神の目の前には罪と汚れがあるのです−神を知らないほど、遠い存在でこのままでは永遠に滅びなければならないものであります。
 
 
              
 
               神は、そのひとり子イエス・キリスト様をこの世につかわして御子を信じる者を救い、永遠の生命にあずかる喜びを私たちのために備えてくださったのです。われわれのために
 死に、なお救ってくださる方はイエス様だけです。人生とはこの真の神の確かさを知り、
 神を信頼して喜び、その戒めに従うことこそ真の幸せであると信じるのであります。(迷
 信や占いに頼ることや魔術は私たちの霊を欺き真の神から分離する危険があります)
 
 
              
 
              
 
 
  
 
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