神様からのラブレター

私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。あの方はゆりの花の間で群れを飼っています。雅歌2:16

祈祷会のお休みの週が続き、雅歌とガラテヤを開く機会が無くなってしまったので、少し予定を変えて、今日は雅歌を開きました。

雅歌は1:1が示す通り、ソロモンが書いた、あるいはソロモンを題材に書いたと言われています。全体が一つの歌劇のように構成されていて、独特の雰囲気になっています。しかし登場人物がハッキリと説明されておらず、どの節が誰のセリフなのか示されていないので、読む人によって印象が変わってきます。登場人物を3人+1グループ、もしくは2人+1グループと見る傾向が多いかと思います。全体としては愛する男女が結婚に導かれていく様子を、愛の詩に乗せて歌いあげている構成になっています。

ヨハネ3:16に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」とあります。神様は私たち一人ひとりを愛し、救いを与えてくださいました。神様によって救われた人の集まりが教会です。聖書において、特に新約聖書においては、イエス様と教会の結婚というテーマが、神様の愛と救いの目的を表す一つのモチーフとなっています。神様が私たちを罪の滅びから救い出して下さったということだけでも、神様の愛の大きさは計り知れないほどの大きな愛です。しかし神様が私たちを救い出す目的はそれだけではありません。神様と私たちとが、夫婦のような親密な関係になることが神様の救いの最大の目的です。ヨハネの黙示録の最後の19~21章には、世の終りに行われる子羊のイエス様と新しいエルサレムの結婚の様子が記されています。イエス様が花婿であり、エルサレムが花嫁です。新しいエルサレムとは神様によって救われた人たちが住む永遠の都です。つまり教会の未来の姿と言えます。世の終りには教会とイエス様が結婚して一緒に住むことになるのです。都には神様がいつも隅々におられるので、悲しみも苦しみも死も無く、永遠の喜びの希望が描かれています。

結婚とは1人の男性と1人の女性が、それまでは別々の2人の者でしたが、1つの夫婦と数えられるようになることです。1+1=1となる神秘的な出来事です。これは愛のなせる業です。聖書はイエス様と教会の結婚を通して、神様と私たちが愛によって一つに結ばれることを示しています。「私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの(雅歌2:16)」となるのです。これは不思議な言い回しですが、結婚の神秘を歌っています。そもそも聖書の言う結婚とは、三位一体なる神様のご性質を表しています。三位一体の神様は、3位の別々の神が、愛によって分割することのできない1つとなっている神秘的なお方です。2人の男女が結婚し、愛によって結ばれるのであれば、それは三位一体の神様のお姿の一端をこの地上で表すことになるのです。だから聖書では結婚は神によって聖定された特別な恵みであり神様が結び合わるものであること、人の都合でくっつけたり、引き離したりしてはならないと教えているのです。

雅歌に描かれる愛は、神様がどれほどまでに私たちを慕っておられるかを表している神様からの愛の詩であると言えます。神様は結婚のように、私たちと一つとなり永遠の住まいで一緒に住んでいきたいと願っておられるのです。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 8-9月に初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 甲斐師CGNTV撮影、女性リトリート、南平合同交流会のために
  • 宣教地のために
  • 南平教会のために