鉄の壁を開いて

また、鉄の板一つを取り、それをあなたと町との間に鉄の壁として立てよ。あなたが自分の顔をしっかりとこの町に向けると、この町は包囲される。あなたがこれを攻め囲むのだ。これがイスラエルの家に対するしるしだ。
エゼキエル4:3

聖書通読はエゼキエル書になりました。昭島教会では昨年、礼拝でエゼキエル書を順番に学びました。エゼキエル書は預言者エゼキエルが神様から受けた預言を記したものです。エゼキエルは南ユダ王国の民が捕囚でバビロンに連れていかれた時に預言者として召され、活動しました。3~4章は、捕囚の地であるバビロンのテル・アビブ(現在のイスラエルのテル・アビブ・ヤッフォの名前の由来となっていますが、別の場所です)のケバル川のほとりで、エゼキエルが神様の召命を受けて、最初のユダの民へのメッセージを実行するように示されたことが記されています。

神様は4章でエゼキエルにエルサレムの町が包囲された時の様子のジオラマを作るように言われます。粘土の板にエルサレムの町を描き、それに対して塁を築き、包囲壁を作り、陣営を設け、城壁崩しを配備します。そしてそれに対して、エゼキエルは左脇を下にして390日、右脇を下にして40日、じっと身を横たえなければなりませんでした。町の中でこのようなことをしている人がいたら、どう見ても異常です。それを神様からのメッセージであると受け止める人、気が狂っていると受け止める人、様々な人がいたと思います。しかしこの行為はユダの民にとっては、つい最近起こった出来事を呼び覚ますものでした。ユダの民はバビロンとの戦争でエルサレムの町を包囲され、籠城戦になり、多くの人が食糧難で倒れ、生き残った人の半分はバビロン軍に打ち殺され、さらにそこから辛うじて生き延びた人の多くは野山で病と飢えに倒れ、ほんの一部の人がこうしてバビロンの町に強制的に連れてこられました。神様がエゼキエルに行わせたことは、ユダの民にとっては悪夢をフラッシュバックさせるものでした。

神様はエゼキエルにそのジオラマのエルサレムの町に対して、身を横たえるように言いました。左脇を下にして390日、右脇を下にして40日です。神様は1年を1日と計算してこの日数にしたと仰います。ジオラマに向かって横たわるエゼキエルは神様を表しています。つまり神様は約400年の間、イスラエル、ユダの国を離れず、見守り続けたのです。しかし神様はエゼキエルとジオラマのエルサレムの町の間に鉄の壁を立てるように言いました。鉄の壁があると身を横たえたエゼキエルからは町の様子がよく見えません。約400年の間、神様はイスラエルとユダのすぐ隣にいましたが、神様から国の様子が見えないようになっていたという事です。聖書では神様が見えなくなる、神様の御顔が見えなくなるというのは神様の見守りが無くなる、祝福がなくなるだけでなく災いが来るということを表します。これは大変なことです。ではこの鉄の壁は誰が、なんのために建てたのでしょうか。私はイスラエルの民が建てたのだと思います。神様はエゼキエル2-3章でイスラエルの民のことを度々「反逆の家」と呼びます。神様に逆らったのです。神様に見られたくはないことがあったので、鉄の壁を建てた。あるいは神様は必要ないとも考えたかもしれません。あるいは単に神様を忘れたのかもしれません。いずれにしても神様に対する反逆とは、祝福してくださるお方、見守って下さるお方と自分の前に鉄の壁を建てるという行為なのです。神様はこの壁を取り除くように私たちに求められます。黙示録3:20にはこ「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って…」とあります。その扉を設置したのは私たちです。神様との間にあると困る以外の何物でもないはずですが、私たちが建てたものです。何のために建てたのか、それは人それぞれです。それは鉄でできていて、とても頑丈で、神様はそれを壊そうとはなさいません。ただ戸の外に立ってノックしています。私たちがその鉄の壁を取り除いたなら、扉を開いたなら、私たちは神様の御顔を仰ぎ見る事が出来るのです。鉄の扉を開いて、今日も祈りたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々、求道中の方々のために
  • 昭島教会創立50周年の感謝
  • 決算総会、受難日特別礼拝、イースター礼拝、交換講壇礼拝、FMYCのために
  • 青梅教会のために