神の国イスラエルとして

その声は私に言われた。「人の子よ。ここはわたしの玉座のある場所、わたしの足の踏む場所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む場所である。イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。
エゼキエル43:4-5

 

エゼキエル書の通読も終わりに近づきました。40章から、神様はエゼキエルに新しいエルサレムの町とイスラエルの国の全体像を見せます。その様子はとても長く、詳細に記されていて、エゼキエル書最後の48章まで続きます。自分たちの背きの罪のために捕囚の民としてバビロンに連れていかれたイスラエルの民でしたが、その捕囚の期間が終わり、新しい神様の栄光に満ちた神様の国に再び住めるようになる希望が与えられています。

40-42章まではエルサレムの町の建物の様子が記されています。そして43章の初めに神様の栄光が町に入ってこられ、神殿に満ち溢れる様子が記されています。43-46章にはこの町に住む人々への教えが記されています。これは一見すると、レビ記や民数記に記されている教えと重なっています。レビ記や民数記はエジプトから解放されたイスラエルの民に対する教えで、代々イスラエルの人々が守るべきものでした。神様はエジプトで奴隷であったイスラエル人を解放し、神様の国民としました。神様の国民は、聖なる神様を愛し、人々を愛して生活するように求められていました。それによって誰もが神様の祝福を受け、幸せに生活できるようになるのです。神様は、それまで奴隷だったので、自分たちの文化も持たず、国も法律もない、アイデンティティもない民だったイスラエル人に、神の国イスラエルというアイデンティティを与えられたのです。しかしイスラエル人たちは神様の教えを守らず、他の神々を拝み、人々から略奪し、自分勝手に生きていました。そしてバビロン捕囚に至ったのです。神様はそんなイスラエル人たちを赦し、再び神の国イスラエルとして回復させようとしているのです。神様は改めて、新しい国イスラエルに住む人々への教え、すでにレビ記、民数記で語られていた事を告げられました。

イスラエルの国は神様の国として、神様の教えを守り、神様の祝福溢れる国となるのです。誰もが神様からの祝福を受け、神様を愛し、神様に仕えます。そして同じように互いに仕えあい、貧しい人を助ける国となります。そのように誰もが安心し、平和に暮らせるようになることで、イスラエルの国は神様の栄光を諸国に告げ知らせるのです。この町の名前は「主はそこにおられる」と呼ばれるとエゼキエル書の最後は締めくくっています。イスラエルの国の真ん中には神殿があり、いつも神様の栄光が満ちています。この国に行けば、誰でも神様の栄光を見る事ができ、祝福に与る事ができる国となるのです。私たちの幸せは、神様と共にいることなのです。神様こそが全ての祝福の与え主だからです。イスラエルの民が自分の罪、行いを悔い改め、神様と共にこの町で住むように、私たちも自分の罪と行いを悔い改め、神様と毎日を過ごさせて頂きましょう。そうすれば、私たちは確かにこの国の住民となります。場所は違っても、この国の一員となって、平和に、互いに助け合いながら過ごすことができるのです。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々、求道中の方々のために
  • 代議員総会、野尻師感謝会&宣教祈祷会のために
  • 南大沢チャペルのために