いつも通り主に祈る

ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
ダニエル6:10

ダニエル書には預言者ダニエルがバビロニアで活動した時の事が記されています。南ユダ王国はバビロニアによって滅ぼされ、捕囚の民としてバビロニアに連れていかれました。その時、南ユダの王国の人々は何回かに渡ってバビロニアに連れていかれました。ダニエル書2章にはバビロニアの王ネブカドネツアルの治世第2年とあります。これを文字通りバビロニア帝国におけるネブカドネツアルの治世2年目と捉えるなら、紀元前605年になります。この時、南ユダ王国はまだ完全に滅ぼされてはいませんでしたが、すでにバビロニアの支配下にありました。ダニエルは早い段階からバビロニアに連れてこられたことになります。その後、バビロニアはネブカドネツアルの死後、混乱し、領土はメディア王国と分割され、最終的にはペルシャ帝国に支配されます。ダニエルはバビロニア、メディア、ペルシャの王に仕えることになりました。その期間は50~60年ほどになります。戦争により神の国である故国を失い、連れてこられた異教の国も目まぐるしく移り行きました。安定した平和な国ではなく、混乱を極めた国の中で、ダニエルは真の神様だけに仕える姿勢を貫いたのです。

ダニエル書の前半には、ダニエルとその仲間たちが逆境の中から神様の手によって奇跡的に助け出される話がいくつか記されています。これらの話は、南ユダ王国を圧倒的な武力で支配したバビロニアでしたが、神様がさらに大きな力で働かれていることを示しています。バビロニアの人々は自分たちの知恵と力で諸国を圧倒して世界の頂点に立ったと考えていましたが、すべては真の神様の手の内にあることを知ることになったのです。

端から見れば、ダニエルの生涯は安定した基盤のない生涯でした。生涯、異国の地、異教の地で過ごし、もっと言えば周りからは敗戦国から連れてこられた者と見なされました。どんなに優れた功績を残しても、人々に名前すら記憶されないような者でした。それどころか同時代の人々からは常に疎まれ、妬まれていたであろうと思います。ダニエル書を見ると、ダニエルは多くの王に仕えたようですが、王が代替わりするたびに驚くほどキレイさっぱりと人々から忘れられています。しかしダニエルはそこに登場する誰よりも揺るがない人物として描かれています。最初から最後まで真の神様だけに仕えるという姿勢を貫いています。ですから6章で王様以外に何者に対しても祈願してはならないという禁令が出された時も、その禁令が出されたことを知りながら、ダニエルはいつも通り神様に祈りをささげた事が記されています。ダニエルは一切言い訳をしません。いつも通り、当然のように、誰をもはばかることなく、真の神様に祈りをささげ、隠すこともしませんでした。もしかしたらダニエルにとっては、他の人々が真の神様以外の何かに頼って生きていることの方が不思議だったのかもしれません。ダニエルの生涯は目に見えるものだけで考えれば不安定そのものでしたから、逆に真の神様のご支配がよく見えたのかもしれません。私たちもいつもは目まぐるしい日常に追われていますが、ふと心を落ち着かせて神様に目を向ける時、ダニエルを支えた同じ神様が私たちを支えて下さっていることに気づくでしょう。どのような中にあっても、ダニエルのように神様に信頼し、いつも通り主に祈りながら生活したいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々、求道中の方々のために
  • 野尻師感謝会&宣教祈祷会、50周年準備委員会のために
  • 小金井教会のために