もしも主が私たちの味方でなかったなら

「もしも 主が私たちの味方でなかったなら。」さあ イスラエルは言え。
詩篇124:1

歴史に「もしも」は無いと言います。起こってしまったことに対して、ああすれば良かったのか?こうすれば良かったのか?と考えても、過去を変える事はできないからと言います。ある意味でその通りかもしれません。過去に対していつまでも未練を感じていると、今を生きることが難しくなります。今後どうするかを考えるためには、未練を断ち切ることも必要かもしれません。しかし過去を全く振り返らない事も、同じくらい今後を生きるのが難しくなります。経験から何も学ばなくなってしまうからです。

詩篇124篇は、過去に対して「もしも」を問いかける詩になっています。『「もしも 主が私たちの味方でなかったなら。」さあ イスラエルは言え。(124:1)』と言って、「もしも」を問いかけることをイスラエルに推奨しています。「もしも 主が私たちの味方でなかったなら 人々が敵対してきたとき そのとき 彼らは私たちを生きたまま 丸呑みにしていたであろう(124:2-3)」と言います。過去を振り返り、私たちが今生きているのは、神様が守って下さったからだという事を再認識させようとしているのです。過去を振り返ることで、私たちが普段、当たり前のように感じていることが、実は当たり前ではないと発見する事ができます。私は今、当たり前のように服を着ていますが、考えてみると、最後に自分で洗濯をしたのはいつでしょうか?「もしも」妻が洗濯をしてくれなかったら、私は今、裸で過ごしていたかもしれません。妻に感謝すべきです。過去を振り返ると当たり前があたりまえでなかったことに気づきます。神様のお働きは時に、とてもジェントリーで、私たちが全く気づかない事があります。いやむしろ、神様のお働きのほぼ全てに、私たちは気づいていないのかもしれません。「もしも 主が私たちの味方でなかったなら」詩篇124篇は問います。すでに私たちは生きていないかもしれないのです。

詩篇124篇は過去に対して「もしも」を問うことで、私たちが気づいていなかった神様のお働きに気づき、神様への感謝を捧げようと歌っています。「ほむべきかな 主(124:6)」私たちが過去の神様のお働きに気づいていなかったのであれば、私たちは何と多くの神様のお働きに対して、感謝の言葉を述べてこなかったのでしょうか。何と多くの祝福を当たり前として受け取ってきたのでしょう。改めて神様に感謝したいと思います。

その上で詩篇124篇はこの神様に信頼して歩むことができる幸いをも語っています。「私たちの助けは 天地を造られた主の御名にある(124:8)」神様は今までも、私たちを助けて下さり、多くの祝福を与えて下さいました。そしてこれからも与え続けて下さいます。ですから私たちは今後、前向きに生きる事ができます。

過去に対して「もしも」を考えることは、いつまでも未練を残すことになる可能性もあります。しかし今まで気づいていなかった主のお働きを発見する機会にもなります。主のお働きを発見できたならば、私たちは主に感謝したいと思います。そして、主に信頼し、今後を前向きに生きていきましょう。

お祈りの課題

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