祝福の源である神様

さあ 主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち 夜ごとに主の家で仕える者たちよ。聖所に向かってあなたがたの手を上げ 主をほめたたえよ。天地を造られた主が シオンからあなたを祝福されるように。
詩篇129:2-4

詩篇120~134篇には、「都上りの歌」という表題がつけられています。イスラエルでは主要な祭りの時、みんな神殿があるエルサレムの都に集まりました。そこで神様を礼拝し、きよめの集会を持つようにと聖書で教えられているからです。過越し、七週、仮庵の祭りの時、人々はイスラエル各地から集まります。その時に口ずさんだ歌が「都上りの歌」と言われています。祭りの時は、喜びの時、お祝いの時ですから、うきうきしながらこの歌を歌い、エルサレムに集まったのではないかと思います。今のキリスト教会でいえば、夏のキャンプや修養会や、新年の聖会などに、みんなで賛美歌を歌いながら集まってくるというようなイメージでしょうか。

その楽しさ、うれしさが前面に出ているかのような詩篇が、詩篇133篇ではないかと思います。「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは。(詩篇133:1)」主にある兄弟姉妹の交わりは本当に楽しいです。神様は人間を一人で生きるようには造られませんでした。友との交わりの中に喜びを見出すように、人を造られました。それは神様が愛なるお方だからです。キャンプや修養会でみんなで集まると楽しいのは、人がそのように造られているからです。神様がその集まりを祝福して下さっているからです。祭りの時に都に上っていくイスラエルの民も、ワクワクしながら、この歌を歌い、エルサレムに向かったのだと思います。

詩篇134篇は「都上りの歌」シリーズの最後の歌になっています。とても短いですが、神様への賛美に溢れる歌です。「さあ 主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち(詩篇134:1)」「都上りの歌」のなかで様々な神様からの祝福が歌われました。最後はその祝福を与えて下さる方に目を向け、精一杯の賛美を捧げる歌になっています。神様からの祝福はどれも素晴らしいものばかりです。主にある兄弟姉妹の交わりも神様からの祝福の一つです。しかし交わりが楽しいから、都に上って集まるのではありません。交わりが素晴らしいから、神様が素晴らしいのでもありません。神様が素晴らしいので、主にある兄弟姉妹の交わりが楽しいのです。あくまでも神様が主体なのです。教会のキャンプや修養会、いつもの礼拝は、他の人が集まるイベントと比べると地味で質素かもしれません。しかし他のイベントにはない喜びがあります。何が違うのかといえば、なんでしょうか。集まる人がみんな良い人だからでしょうか。いいえ。教会は罪人の集まりです。自分の罪の重さに耐えきれず、神様に救いを求めてきた人たちばかりです。それでは、だれかとても満たされている人がいて、人を楽ませるのが上手な人がいるからでしょうか。いいえ。私たちはみな、心に空洞を抱え、虚しさを覚え、教会に集まりました。世の何物でもその空虚さを埋める事ができなかったからです。教会の集まりが喜びに溢れているのは、神様が中心におられるからです。その集まりの中で、私たちは神様を深く感じ、喜んでいるのです。神様が私たちの罪を解決し、心の穴を埋めて下さるからです。だから私たちはもっと神様を賛美し、感謝をささげたいと思います。「天地を造られた主が シオンからあなたを祝福されるように。(134:3)」

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 八王子教会との青年親睦会、新年度の計画案、予算案のために
  • クリスマスに向かう歩みのために
  • みずほ台教会のために