救い主にハレルヤ

ハレルヤ。新しい歌を主に歌え。敬虔な者たちの集まりで 主への賛美を。イスラエルは 自らの造り主にあって喜べ。シオンの子らは 自らの王にあって楽しめ。
詩篇149:1-2

詩篇146~150篇は、ハレルヤ詩篇、もしくは大ハレルヤ詩篇と呼ばれるようです。特徴的なことは、各詩篇の最初と最後にハレルヤという言葉が置かれ、まるでハレルヤでサンドイッチするかのような構造になっている事です。詩の内容も詩篇の中でも特に賛美歌であるような印象が強く、合唱曲の歌詞のようになっています。詩篇は150篇からなる聖書全体の中でもボリュームの大きな書物ですが、その最後を締めくくるにふさわしいと言えるような大きな賛美の合唱の内容となっています。「ハレルヤ」とは「ハラル(賛美する)」という動詞に、神様のお名前を意味する「ヤ」をつけた、「主を賛美する」という意味の言葉です。そのような言葉を最初と最後につけることで、この詩篇全体が主への賛美であるということを印象づけています。それぞれの詩篇では、すべてのもの(人や動物だけでなく、生きていないと思えるものまでも!)は主を賛美せよと歌われていたり、主はどのようなお方であるかという事が歌われています。

詩篇149篇では、後半部分で、敬虔な者たちは剣をもって主に賛美せよと言われています。それは国々への復讐、懲らしめのためと語られています。神様の正しいさばきの象徴として、剣を持つようにと言われています。聖書にイエス様は、世の終りの時に再び地上に来られて、すべての人を裁かれると書かれています。今の時は、正しい者も、悪い者もみな生かされていて、悪い者が放任されているような印象もあるかもしれません。しかし神様は全すべの人の行いと思いをご覧になっておられ、最終的にはその裁きを行われます。このように言うと、私たちはとても恐ろしく感じます。なぜなら神様の前に全く潔白である人は一人もいないからです。しかしそのような私たちを救うためにこそ、救い主イエス様がこのクリスマスの時に、地上に送られました。すべてイエス様を信じ、救いを受け入れる人は罪を赦され、新しい天と地へ招かれます。まさに「ハレルヤ」です。149:9では「また書き記されたさばきを 彼らの間で行うため。これは 主にある敬虔な者すべての誉れである。ハレルヤ。」と書かれていて、神様の最終的なさばきは、敬虔な者、神様を信じて歩む者にとっては誉れであると書いています。

このような救いが備えられているからこそ、私たちは神様にあってハレルヤと賛美する事ができます。イエス様は世界の初まる前から王であり、この世界の創り主でした。そして、世の終りの時に再び地上に来られます。その時、新しい天と新しい地において、永遠の王として着座されます。私たちはそのイエス様の御国において、いつも楽しく、神様に「ハレルヤ」と賛美しながら過ごすことができます。苦しみも悲しみもなく、困ることも乏しい事もありません。すべての人は神様の子として、王様の子として、栄光の内に住むことができるのです。そのような日が来ることを期待し、待ち望みつつ、私たちも日々、「ハレルヤ」と賛美をしながら過ごしたいと思います。この日はもしかしたら来るかもと言う曖昧なものではなく、必ず来るという神様からの絶対の約束なのです。ハレルヤ!

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • キャンドルサービス、クリスマスれいはい・愛餐会・祝会のために
  • 新しい年の導きのために
  • 八王子教会のために