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祈祷会メッセージとお祈りの課題

聖霊による再生と刷新の洗い

神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。
テトス3:5

 

テトスへの手紙を開きました。この手紙はパウロからテトスに宛てて書かれた手紙です。テモテと同じく、テトスもパウロの忠実な弟子でした。1章の内容からパウロはクレテ島で伝道し、教会が形造られましたが、何らかの事情で最後まで働きを続けることができませんでした。そこでテトスをクレテの教会に残し、パウロの奉仕の続きを担ってもらいました。パウロはクレテに残ったテトスに手紙を送り、パウロのやり残した奉仕、教会のリーダーとなる長老、監督を選ぶことと共に、教会の兄姉を立派なクリスチャンとして育てていく事について書いています。

クレテの教会の人々がどのような人々であったのか、この手紙から推測しますが、あまりよく書かれていません。1:12には「クレテ人はいつも嘘つき、悪い獣、怠け者の大食漢。」と書かれています。どの程度のことを言っているのか分かりませんが、良い評価ではありません。パウロはクレテの教会の人々が、イエス・キリストを信じて救いを受けた後もなお、この評価のままであると見ていたようです。しかし2:14にあるように「キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。」私たちは悪い者でしたが、神様は私たちを良い者とするために、私たちを救って下さいました。イエス様を信じて救いを受け入れるという事は、神様が私たちを良い者へと変えて下さるそのプロセスを受け入れるという事です。

テトスへの手紙に置いて、パウロは特に長老や監督といった教会のリーダーたちのことを書いています。良い者に変えられる恵みは、長老や監督たちだけに与えられる恵みではありません。すべてのクリスチャンに与えられています。また、クレテの教会の人々だけではなく、私たちにも与えられる恵みです。考えてみれば今の日本も、この手紙に書かれているような状況かもしれません。3:3には「私たちも以前は、愚かで、不従順で、迷っていた者であり、いろいろな欲望と快楽の奴隷になり、悪意とねたみのうちに生活し、人から憎まれ、互いに憎み合う者でした。」と書かれています。最近の日本はとても個人主義的で、言論の自由を盾に言いたいことは何でも自由に言ってもいいかのような風潮があります。ヘイトスピーチと呼ばれる物が多く存在し、お互いがお互いを嫌いと言い合い、憎しみの連鎖が途切れることがありません。しかしイエス様は「ののしられても、ののしり返さず…十字架の上で、私たちの罪をその身に負われ(Iペテロ2:23)」ました。嫌われても、その方のために救いを与えて下さるお方です。私たちはその方の救いを受けました。キリストの血は私たちの罪を赦し、心をきよめ、憎しみの連鎖から救う事ができます。ですからパウロがクレテの教会の人々に勧めているように、私たちも「聖霊による再生と刷新の洗い(テトス3:5)」を求めたいと思います。神様にこの心を赦し、きよめて頂き、憎しみあうのではなく、「慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望む(テトス2:12-13)」者とならせて頂きましょう。

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あわれまれない者をあわれむ

 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が主を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。
ホセア10:12

ホセア書に入りました。ホセアは北イスラエル王国で活動した預言者です。当時の北イスラエル王国の王様の名前はヤロブアムと記されていますが(1:1)、これはヤロブアム2世のことであると考えられます。北イスラエルの王はヤロブアム2世のみ記されていますが、ヤロブアム2世よりも後の時代に南ユダの王となったヒゼキヤ王の治世にも活動したことが記されています。ヒゼキヤの治世(722BC)に北イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされているので、ホセアは北イスラエル王国の最後の時まで活動していたかもしれません。

ホセア書は神様の確かなさばきと、それ以上に深い愛情が示された書物です。ホセアは神様からの指示を受け、ゴメルという女性と結婚します。ゴメルはホセアとの結婚生活の間に3人の子どもを産みます。ホセア書は長男のイズレエルが生まれた時には、「彼に男の子を産んだ(1:3)」と記しますが、その後、長女と次男の誕生の時には、ただ単調に「女の子を産んだ」、「男の子を産んだ」と記し、どこかよそよそしさが感じられます。子どもの名前も「ロ・ルハマ(あわれまれない者)」、「ロ・アンミ(私の民ではない)」など、まるでホセアの子どもではないかのように語られます。ゴメルは3人の子どもを産んだ後、ホセアの許を去ります。そして他の男性を求めて、文字通り「姦淫の女(1:2)」となってしまいます。しかし神様はホセアに「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい(3:1)」と言われます。ホセアは自分の許を去った妻ゴメルを探しだして、もう一度夫婦としての生活を始めます。神様はホセアの結婚生活を通して、神様に愛されながらも、神様から離れ他のものを愛しているイスラエルに対するメッセージを送っています。イスラエルの罪は夫を裏切ったホセアの妻のようにひどいものですが、神様はイスラエルを再び愛そうと招いておられるのです。2:23にはこう書かれています。『わたしは、わたしのために地に彼女を蒔き、あわれまれない者(ロ・ルハマ)をあわれむ。わたしは、わたしの民ではない者(ロ・アンミ)に「あなたはわたしの民」と言い、彼は「あなたは私の神」と応える。』神様はご自分を裏切った者の罪を裁きますが、さらに深い愛情をもって愛そうとなさる神様なのです。

イスラエルは真の神様に仕える民となると契約をしましたが、神様を裏切り、他の神々に仕え、諸外国に仕え、自分たちの力と知恵だけに頼ってきました。北イスラエル王国は最終的にアッシリヤによって滅ぼされてしまいます。しかし神様はイスラエルの人々が完全に滅ぼされてしまう事を望んでいない事がホセア書を読むとよく分かります。「イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができるだろうか(11:8)」と神様は仰り、ホセアが生涯悩み苦しむことをご存知の上で、ゴメルとの結婚生活をさせます。それほどまでに神様は一人ひとりを大事に思っておられ、一人ひとりの罪の深さに悩み、嘆いています。イエス様の十字架は罪の悩みの深さと、神様の大きな愛を表していますが、ホセア書もその両方を表しています。10:12は、このような神様の愛を知った今こそ、イスラエルは神様に立ち返り、神様を求める時だと語ります。再びホセアの許に帰ったゴメルがずっとホセアの許に留まるように、イエス様の十字架によって神様の許に連れ戻された私たちも、神様の許に留まり続けたいと思います。

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神様を求め続ける

けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。
IIテモテ4:5

IIテモテの最後の章を開きました。テモテへの手紙はパウロが後輩のテモテに宛てて送った手紙です。パウロは2回目の宣教旅行の初めの頃にテモテと出会います(使徒16:1-4)。それ以来、テモテはパウロの働きに加わり、大きな役割を担います。パウロにとってテモテは大事な弟子の一人でした。パウロは自分の死期が近い事を知り、テモテに手紙を書きます。それがテモテへの手紙です。困難な時代にあって、キリストの証人としてこれからも働きをなしてほしいと手紙の中で記しています。まさに師匠から弟子への激励の手紙と言えるのではないでしょうか。

パウロとテモテは共に、神様の御言葉を宣べ伝えるためにたてられてた伝道者でした。ですから手紙の内容は伝道者としての生き方について、教会を牧会することについて多く記されています。しかし伝道者でない方々にとっても、キリストへの信仰を堅く保ち、キリストの香りを放って生きることについて多く教えられると思います。「あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。(IIテモテ4:5)」と記されています。これは伝道者のみならず、すべてのクリスチャンにも同じことが言えるのではないでしょうか。それぞれに神様から与えられている使命があります。それは学校にあって、職場にあって、人々にキリストにある生き方を示すという使命です。世間では、常に自分が正しいと思っている人は少ないと思います。しかし常に間違っているとも思ってはいないでしょう。みんなグレーゾーンの中で生きている、大体正しい生き方なら、それでいいじゃないかと思っている人が多いと思います。ですからあえて正しいことを追及する人は少ないと思います。そのような世間にあってクリスチャンは葛藤すると思います。クリスチャンは正しいことを追求したいと思うからです。自分は正しい人間では無いけれども、正しい事、真理を追究したいと思うからです。もしかしたら世間に流されて、大体の生き方でいいじゃないかと思いたくなるかもしれません。しかしそのような葛藤、苦難に耐え、やっぱり真理を追究していくことを聖書は勧めています。

パウロはこの手紙を記した後、まもなく処刑されます。パウロは自分がもうすぐ死ぬことが何となく分かっていました。クリスチャンは死んだ後どうなるのか、パウロが記しています。「あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。」クリスチャンには天の御国での義の栄冠が約束されています。真理を追究した結果、真理にたどり着くことが約束されています。真理は私たちの力でたどり着くものではありません。人間の力では到達できない物です。ですから多くの人は真理を追究することをあきらめてしまいます。真理は神様から与えられるものです。この地上で追求した結果、人間の力では到達できませんが、神様が私たちを真理に到達させて下さいます。ですから私たちの努力は決して無駄ではありません。私たちが真理を追究しようと、神様との関係を求め続ける所に大きな意味があるのです。どうかこの地上にあって、兄姉共に励まし合いながら、神様を追い求めてまいりましょう。

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いつも通り主に祈る

ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
ダニエル6:10

ダニエル書には預言者ダニエルがバビロニアで活動した時の事が記されています。南ユダ王国はバビロニアによって滅ぼされ、捕囚の民としてバビロニアに連れていかれました。その時、南ユダの王国の人々は何回かに渡ってバビロニアに連れていかれました。ダニエル書2章にはバビロニアの王ネブカドネツアルの治世第2年とあります。これを文字通りバビロニア帝国におけるネブカドネツアルの治世2年目と捉えるなら、紀元前605年になります。この時、南ユダ王国はまだ完全に滅ぼされてはいませんでしたが、すでにバビロニアの支配下にありました。ダニエルは早い段階からバビロニアに連れてこられたことになります。その後、バビロニアはネブカドネツアルの死後、混乱し、領土はメディア王国と分割され、最終的にはペルシャ帝国に支配されます。ダニエルはバビロニア、メディア、ペルシャの王に仕えることになりました。その期間は50~60年ほどになります。戦争により神の国である故国を失い、連れてこられた異教の国も目まぐるしく移り行きました。安定した平和な国ではなく、混乱を極めた国の中で、ダニエルは真の神様だけに仕える姿勢を貫いたのです。

ダニエル書の前半には、ダニエルとその仲間たちが逆境の中から神様の手によって奇跡的に助け出される話がいくつか記されています。これらの話は、南ユダ王国を圧倒的な武力で支配したバビロニアでしたが、神様がさらに大きな力で働かれていることを示しています。バビロニアの人々は自分たちの知恵と力で諸国を圧倒して世界の頂点に立ったと考えていましたが、すべては真の神様の手の内にあることを知ることになったのです。

端から見れば、ダニエルの生涯は安定した基盤のない生涯でした。生涯、異国の地、異教の地で過ごし、もっと言えば周りからは敗戦国から連れてこられた者と見なされました。どんなに優れた功績を残しても、人々に名前すら記憶されないような者でした。それどころか同時代の人々からは常に疎まれ、妬まれていたであろうと思います。ダニエル書を見ると、ダニエルは多くの王に仕えたようですが、王が代替わりするたびに驚くほどキレイさっぱりと人々から忘れられています。しかしダニエルはそこに登場する誰よりも揺るがない人物として描かれています。最初から最後まで真の神様だけに仕えるという姿勢を貫いています。ですから6章で王様以外に何者に対しても祈願してはならないという禁令が出された時も、その禁令が出されたことを知りながら、ダニエルはいつも通り神様に祈りをささげた事が記されています。ダニエルは一切言い訳をしません。いつも通り、当然のように、誰をもはばかることなく、真の神様に祈りをささげ、隠すこともしませんでした。もしかしたらダニエルにとっては、他の人々が真の神様以外の何かに頼って生きていることの方が不思議だったのかもしれません。ダニエルの生涯は目に見えるものだけで考えれば不安定そのものでしたから、逆に真の神様のご支配がよく見えたのかもしれません。私たちもいつもは目まぐるしい日常に追われていますが、ふと心を落ち着かせて神様に目を向ける時、ダニエルを支えた同じ神様が私たちを支えて下さっていることに気づくでしょう。どのような中にあっても、ダニエルのように神様に信頼し、いつも通り主に祈りながら生活したいと思います。

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主にある日常(苦しみの中にあっても)

ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。
Iテサロニケ5:11

テサロニケ人への手紙に入りました。テサロニケ人への手紙は2通、聖書に収められています。パウロがほぼ同時期にテサロニケの教会に宛てて書いた手紙と考えられます。テサロニケ教会の始まりについては使徒の働き17章に記されています。パウロは2回目の宣教旅行の時にテサロニケの町に行きました。そこで3週にわたって安息日にユダヤ人の会堂でイエス様の救いについて語りました。その時イエス様を信じて救われた人々がテサロニケ教会の始まりです。しかしその時、反対したユダヤ人たちもいました。反対したユダヤ人たちはパウロを迫害しようとしましたが、見つからなかったので、ヤソンという人の家を襲ったことが聖書に書かれています。パウロの身を案じたテサロニケ教会の人たちの案内でパウロは別の町へ行く事を余儀なくされました。パウロはその後、テサロニケ教会の人々を案じ、手紙をテモテに託しました。パウロはその後も、多くの町で迫害を受けます。そしてテサロニケ教会の人々も迫害を受けることになるだろうと予期し、励ましの手紙を書いたのです。

パウロはテサロニケ人への手紙の中で、テサロニケの人々の信仰をほめて喜んでいます。まだ始まって間もない教会でしたが、迫害の始まる中、信仰を堅く守っていました。そのニュースは他の地域にある教会の励ましにもなっていることを書いています。そして苦難は今後も続くであろうことを記し、その中にあっても信仰を堅く保つようにと励ましています。テサロニケ教会の人々が味わっている苦難は、パウロも経験していることであり、おそらくすべてのクリスチャンが何らかの形で経験するものです。もし自分たちだけが迫害を受けていて、他のクリスチャンにはその辛さがさっぱり分からないということであれば、私たちは信仰を守り抜く事ができないであろうと思います。しかし同じように苦しみを受けている兄弟姉妹がいると、共に分かち合い、祈りあう事ができます。1人では信仰を守れなくとも、兄弟姉妹と一緒であれば信仰を守り抜く事ができるのです。

パウロは5章で終末の日についても少し触れています。終末の日には激しい苦しみの時が来ることが聖書に記されています。しかしそれらの苦しみがどのようなものであるか具体的には記されていません。またその日は突然来るということが語られています。いつ、どんなことが起こるか分からないと私たちは不安になります。しかしパウロは、クリスチャンにとっては、その日が盗人のように襲うことはない(5:4)と教えています。それはクリスチャンには具体的に事情が説明されているからではなく、神様が私たちを主イエス・キリストによる救いを得るように定めている(5:9)からだと言います。たとえ苦難の中にあっても、終末の日が来たとしても、神様が私たちを救いに定めて下さっているから大丈夫なのですとパウロは語っているのです。私たちはそれほどまでに神様を信頼しているでしょうか。ルターは「たとえ明日世界が滅びようとも、私はリンゴの木を植える」と言いました。それはたとえ明日世界が終ろうとも、いつも通り神様と共に過ごすということです。パウロも言います。「ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい(5:11)」クリスチャンはこの地上で何をして過ごすでしょうか。神様を愛し、人を愛することです。ではクリスチャンは天国で何をして過ごすでしょうか。神様を愛し、人を愛することです。この地上においても、天国においてもクリスチャンがすることは同じです。それはこのように言い換えることもできるかもしれません。天国で私たちが受ける幸いが、地上生活にある時からすでに始まっているのです。私たちもそのように神様を信じ、感謝して過ごしてまいりたいと思います。

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