10/4 Ⅱヨハネ1:1-6「真理と愛のうちに」

序

ヨハネの手紙の第一を前回読み終えて、第二の手紙に今日は移ります。ヨハネを通して諸教会に語られた御言葉はたくさんありますが、ヨハネの書簡全体に見られる教えは、愛の教えです。愛がどのようなものかを教え、そして私たちがどのように愛するべきかをヨハネを通して神様は教えてきました。今日の箇所においても、真理と愛が主題となって語られています。真理と愛、一見するとあまり関係のない言葉のように思えるかも知れませんが、聖書を見てみますと、この二つは決して分けることができないほどに結び合わされていることが分かります。今日の箇所を通して、神様が示された真理と愛について、そしてこれらを体現されたイエス様について共に見ていきましょう。

本論

これまで共に見て来たヨハネの手紙が第一から第二に移りましたが、この第二の手紙が書き記された目的は、第一の手紙とおおよそ同じと言えます。まず偽教師たちとその教えを受け入れている人たちへの警告するため、また、福音のメッセージから教えられた「互いに愛し合う」という戒めを思い起こさせるため、そして、偽教師たちの存在によって脅かされた教会の交わりを堅く保つために、手紙の著者であるヨハネが自ら訪問することを予告するためだと言われます。

この第二の手紙では、手紙特有のあいさつから始まります。長老というのはヨハネ自身を指しています。ここでのヨハネは、十二使徒の一人としてその権威を主張するのではなく、教会の信徒たちへの霊的な配慮と愛によって仕える長老という立場で彼らに語りかけます。ヨハネが呼びかけているのは「選ばれた婦人と子どもたち」ですが、この手紙の中では特定の女性についての言及がないことから、特定の人物を指すよりも、キリスト教の共同体全体を指して用いられる表現です。そしてそれは現在、教会などの共同体の中で共に生きる私たちにも向けられている御言葉なのです。

この手紙を通して神様が私たちに語られるのは、真理という

2John 1  長老から、選ばれた婦人とその子どもたちへ。私はあなたがたを本当に愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々はみな、愛しています。

2John 2  真理は私たちのうちにとどまり、いつまでも私たちとともにあるからです。

まずヨハネはこの選ばれた婦人と子どもたちへの愛を伝えます。しかしこの箇所は、本当に彼らを愛すると読むことも出来ますが、ここでは「真理において」愛していると読むことが出来ます。後にある真理を知っている人々という言葉との関連から、著者であるヨハネ、送り先の教会、そしてそれ以外の真理を知っている人々、これらを結び合わせるのは、福音として聞いたイエス・キリストに関する真理であり、この真理にとどまる者を本当に愛し合うことができると冒頭で語っているのです。ヨハネが最初にここまで真理のうちにあることを強調するのは、教会の人々の心に生まれた戸惑いや迷いに対して確信を与えるためであり、同時にイエス様をキリストと認めない偽りの者たちと区別するためでした。

真理であるイエス様が教会の交わりの基準となり、また私たちと共におられるイエス様によって私たちの交わりが愛によるものとなります。信じる者たちが共同体を築き、互いに愛し合うのは、単純にお互いに好きだからとか、相性が合うからでもなく、私たちが信じ、分かち合う共通の真理によるのです。神様はこの真理を、完全な体現者であるイエス様を通して私たちに示されました。そして、イエス様が天に昇られたあと、この地に生きる信じる者たちのうちに住まれる聖霊が、真理の御霊として私たちに真理を証ししつづけています。父なる神様、子なるイエス様、聖霊なる神様、この三位一体を通して私たちに真理が示されています。真理は、教えの正しさや真実性を持ちますが、聖書で語られるのは真理の中心がイエス・キリストであり、イエス様が真理そのものであるということです。

2John 3  父なる神と、その御父の子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安が、真理と愛のうちに、私たちとともにありますように。

この3節までが第二の手紙のあいさつになります。新約聖書の手紙の書簡の多くは、神様か来る恵みと平安があなたにありますようにとあいさつを書きます。ここで第二の手紙の原文を見ますと、単に願いとして語られているのではなく、恵みとあわれみと平安が私たちのうちにあると断言していることが分かります。それも、共にあり続けるという言葉が文の最初に置かれている事から、これらが私たちと共にあり続けるという継続が確かなことであることを強調しています。神様から与えられる恵み、憐れみ、平安は、手紙を書いているヨハネ自身も確信していることであり、そして真理と愛によって私たちに確かに与えられるものなのです。

新約聖書における恵みということばは、罪人に対する神様の自由で寛大な好意であり、祝福が伴うものです。憐れみは、悲惨な状況の中にいる者への同情で、特に罪の赦しと、祈りの答えに関係して用いられます。そして平安は、ヘブライ語ではシャロームと言われ、今でもあいさつとして用いられる言葉です。聖書における平安とは、人々が罪という悲惨な状況から救われた結果与えられる、神と人との前での静かで平和な関係を示しています。これら三つは、父なる神と、その御父の子イエスキリストから、決して枯れることのない泉のように絶えず注がれ続けます。

偽りの教師たちは、イエス様は神の子ではなく、ただの人間であると教会で教えていました。その言葉を聞いて迷う彼らに対してヨハネが語るのは、父なる神様の子がイエス様であるだけでなく、恵み、憐れみ、平安は父なる神様と並んで子なるイエス様からも与えられることも伝え、父と子が等しく、同一の本質を持ち、そこに上下関係はないことと、父子としての親密な関係を神様とイエス様が持っておられることを教えます。教会の人々も、偽教師たちも、神様への信仰は持っていて、神様を父と呼ぶことが出来る特別な関係にあることを知っていました。しかし、イエス様は父なる神の御子であるだけでなく、等しい存在であり、同じ本質を持つ唯一のお方なのです。そのために、イエス様は人として私たちと同じ姿で世に来られましたが、同時に神としての性質をもつお方であり、このイエス様こそ私たちが信じるべきお方なのです。イエス様を通して私たちに示されたのは、真理と愛です。この真理と愛のうちにいつことによって、私たちは神様とイエス様から与えられる三つの祝福を得ると確信できます。

ヨハネがまず信じる者たちに確かに与えられる祝福と、真理であるイエス様によって彼らが揺るがされることなく結び合わされることを確信持って伝えた後、手紙の送り先である教会の中に、実際に真理のうちに歩んでいる人たちがいることを喜びます。

2John 4  御父から私たちが受けた命令のとおりに、真理のうちを歩んでいる人たちが、あなたの子どもたちの中にいるのを知って、私は大いに喜んでいます。

冒頭のあいさつの中でヨハネは、彼らを真理において愛していると語りました。4節で語られる真理のうちを歩んでいる人たちというのは、イエス様や使徒たちを通して語られた福音を信じ、とどまっている者たちのことを指しています。偽りの教えによって人々を惑わしていた者たちがいる中で、世の言葉に左右されずに真理にとどまる者たちが教会に確かにいることがヨハネに伝わったのでしょう。さらに、真理のうちを歩むというのは、イエス様を信じることだけでなく、イエス様が語られた戒めである互いに愛し合うことを守ってきたということも含まれています。

真理と愛のうちに、神様とイエス様からの恵み、憐れみ、平安が与えられることを確信しているヨハネにとって、教会の人々がその真理に堅く立っていることは大きな喜びと安心があったことでしょう。そこでこの手紙は、4節か転じて丁寧に奨励を語ります。

2John 5  そこで婦人よ、今あなたにお願いします。それは、新しい命令としてあなたに書くのではなく、私たちが初めから持っていた命令です。私たちは互いに愛し合いましょう。

2John 6  私たちが御父の命令にしたがって歩むこと、それが愛です。あなたがたが初めから聞いているように、愛のうちを歩むこと、それが命令です。

ヨハネからの願いは、彼らの信仰が継続するようにということでした。そして、互いに愛し合い続けることによって、神様から私たちに与えられた大切な命令が守られたと言うことが出来ます。「お願いします」という言葉は「強く勧めます」とも訳される言葉であり、この願いを求める側の一定の権威が表れているとともに、彼らに対するヨハネの思い入れの深さも見られます。ヨハネは偽教師たちが主張しているような新しい命令ではなく、彼らが救われ、信仰に入った最初の福音に立ち留まると共に、その戒めである互いに愛し合うことを続けることを求めました。

そして「それが愛です」と最後にはっきりと語ります。ヨハネが語るここでの愛とは、感情や気持ちを中心としたものではなく、神様が命じられたことを行うことを意味します。愛と命令への従順には相互関係があり、愛は命令への従順によって表され、命令に従って歩むことは愛によってなされるのです。4~6節の中で何度も命令という言葉が繰り返し登場しますが、それらは愛によって完全に守られます。ヨハネは長老として、そして神さまの御言葉を人々に語る使徒として、愛による従順を強調し、そして教えていきました。

ヨハネがここまでの流れで真理と愛を私たちに強調したのは、私たちの信仰が堅く立ち、迷ったり神様から離れたりすることがないようにするためです。当時の教会には、信徒たちを惑わす偽りの教師や教えが広がっていました。正当な宣教師の中に混じって、キリストや福音について誤った教えを広める者たちがいたのです。そして現代も、イエス様をキリストとせずに人々を神様から離れさせる教えや考えはたくさんあります。教会にそのような教えが入り込んだり、信じる者たちの歩みを止めさせたり、道から外れさせようとする力が働くことがあります。または、イエス様を信じたは良いものの、この世で信仰生活を送る中で、様々な影響を受けて何が正しいかわからなくなって迷うこともあります。

あらゆるものが変化し続け、多様性が広がり続ける世の中で、聖書は絶対的な一つの真理であるイエス様を私たちに示しています。変わりゆく世の中で、この真理のうちを歩み続けることを神様は私たちに求めています。私たちの真理として、生きる道として、いのちとして、イエス様を心のうちに受け入れ、イエス様にとどまり続けることによって私たちは神様からの豊かな祝福を約束されます。そして、イエス様を通して私たちに教えられた愛のうちに生きることも同時に教えられます。愛の源である神様から、イエス様を通して私たちに注がれた、神様の愛です。私たちの主観的で自己中心的な愛ではなく、十字架の上で御子イエス・キリストのいのちをささげたあの神様の愛です。私たちに大きな愛を注がれた神様の前に付き従い、心を尽くして私たちの神、主を愛し、そして兄弟姉妹の間にも愛を行う者として歩むことが今必要なのです。神様が示された真理と愛のうちに、共に歩んでいきましょう。私たちの中心にイエス様を置き、クリスチャンとして神様との交わりに生きるところに喜びがあります。一人ひとり、福音を聞いて信じた真理と愛にとどまりながら、恵みと憐れみと平安をともに受けましょう。

About the author: 東御キリスト教会

Leave a Reply

Your email address will not be published.