序
前回の箇所では、私たちが真理と愛にとどまるようにと教えられました。変わりゆく世の中で、私たちが確かな軸として据えることの出来る真理は、父なる神様と子なるイエス様を通して示されます。そして愛についても、神様とイエス様が私たちに示し、注いでくださった真の愛にとどまることを求められています。様々な教えや考えが広がるこの世の中で、真理と愛によって私たちの信仰の土台が築き上げられることをヨハネは私たちに呼びかけました。そのようにして、私たちは惑わされることなく、迷うことなく、正しくまっすぐ信仰の歩みを持つことが出来ます。今日の箇所でも、偽りから離れて正しくとどまることが教えられています。今の時代を生きる私たちにとっても、真理と愛であられるイエス様にとどまることは大切であり、心に覚えなければならないことです。聖書箇所を順に追いながら、教えられたいと思います。
本論
今日お読みした箇所は、6節までの流れに続いて語られています。まず7節では、この手紙の著者であるヨハネがなぜここまでして私たちに真理と愛にとどまるよう勧めるのかが語られています。それは、偽りを教える偽教師たちの存在がたくさん現れたからでした。彼らの立場は、イエス様が人となって来られたことを告白しない者でした。神の子であるイエス様が、神としての性質を持ちながら人となって来られたことについて、疑問を抱き、その真理から離れてしまった人々です。イエス様が神であられながら人となってこの世に来られたことについての信仰を彼らは正しく持っていませんでした。イエス様の神としての性質、または人としての性質、どちらかだけを信じるが、もう片方は受け入れないという信仰は、誤った信仰です。ヨハネは彼らのことを「反キリスト」とはっきり呼んでいます。そして、彼らは教会と真理から離れただけでなく、イエス様の信仰にとどまる信徒たちをも惑わし、離れさせようと招いていたのです。このような偽教師の存在は、イエス様ご自身も警告していたことでした。まずそのような者たちが少なからず世に出て行き、イエス様の教えと教会から離れること、そして、教会にいるキリスト者を招き、彼らをイエス様から離れさせることを目的としていました。
そのような者たちに対して、ヨハネは自分たちが立つべきところを確認します。
2John 8 気をつけて、私たちが労して得たものを失わないように、むしろ豊かな報いを受けられるようにしなさい。
2John 9 だれでも、「先を行って」キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません。その教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています。
自分たちの信仰が脅かされる危機にいることを伝えると共に、神様が使徒たちを通して御言葉を語り、彼らが信仰によって得ていたもの、つまり福音と真理の完全な報いを失うことを望みませんでした。そしてそれは彼ら自身が築き上げてきたものでもあります。ヨハネや手紙の読者たちが労して得たものとは永遠のいのちのことです。福音書の6:27でイエス様がこのように言われました。
John 6:27 なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」
使徒たちは、人々が神を知り、永遠の命を得るように、キリストの真理を彼らに知らせるために尽力してきました。8節の最初にある「気を付けて」は直訳すると「自分自身をよく見なさい」となります。信仰をもってバプテスマを受け、教会につながる彼らが今、イエス様や使徒たちを通して語られた福音に立っているか、イエス様が示された真理とその報いである永遠のいのちを失っていないか、変わりゆく時代の中で自己吟味する必要があります。
ヨハネが恐れていること、それは、クリスチャンがキリストの教えから離れ、神を持たなくなってしまい、最終的に彼らから報いが失われてしまうことでした。ヨハネは偽りの教師たちのことを「先を行って」キリストの教えにとどまらない者と表現しています。彼らのように、ただ単に斬新さや目新しさに心を奪われて異なる教えを受け入れてしまうことへの警告として、ヨハネはこの手紙を送りました。異端に導こうとする偽りの者たちは、自分たちの教えが進歩的で先を行っていると自負していましたが、結局キリストの教えを置き去りにしてしまい、大事な真理から離れてしまったのです。イエス様や使徒たちの教えから進みすぎてしまった結果、彼らは進歩ではなく教えに背くことになり、教会から離れて世に出て行き、光を得ることでなく闇に落ち込むことになってしまいました。彼らは高度で斬新な教えに自分たちは立っている、使徒たちの教えよりも先を行く自分たちの教えこそ正しいと考えていましたが、実はその根本となる信仰がイエス様から離れていたのです。
そのような偽りの者たちに対して、キリストの教えにとどまる者は御父と御子をともに持っているとされています。彼らとの違いはここにあります。御父と御子を持つということは、ただ知るだけでなく御霊を通して私たちのうちに御父と御子が住まわれることも含まれます。そしてそれは、イエス様を愛し、イエス様の教えを守るということです。
John 14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
これまで手紙の中で繰り返し語られてきたことが、私たちを真理の中にとどまらせるだけでなく、私たちのうちに主が住まわれるという恵み、そして永遠のいのちという報いへと繋がっていくのです。
イエス様を信じるクリスチャンが迷うことなく真理に立ち、永遠のいのちを得るためにどのようにすべきか、10,11節を見てみますと偽りを教える者たちへの対応が記されています。
2John 10 あなたがたのところに来る人で、この教えを携えていない者は、家に受け入れてはいけません。あいさつのことばをかけてもいけません。
2John 11 そういう人にあいさつすれば、その悪い行いをともにすることになります。
直接的で厳しい表現が記されています。この箇所を理解するためにはまず当時のもてなしの意味を知る必要があります。まず、当時各地を回るキリスト教徒をもてなすことは大切にされていました。当時の宿屋は現代のような快適な場所ではなかったため、ほとんどの旅行者は友人や知人、あるいは紹介状や推薦状などを持って、人々のところに伺って寝泊りをすることを好んでいました。そして旅行客を歓迎し、もてなした人々は、彼らを支援して援助する立場となります。それが巡回伝道師となれば、その教えや働きも支持して、援助するということとなります。そしてもてなされた側の客は、このような支援者から客としての地位を得て、その立場が保証されることになります。偽りの教師たちをもてなして家に招き入れるということは、ただ寝床と食事を提供するだけでなく、彼らの教えを支援し、彼らの立場を保証することとなるのです。
さらに、10節での家というのは当時の教会でもあります。この手紙の冒頭のあいさつは「婦人と子どもたち」に向けて書き記されていました。それは一個人を指す言葉ではなく、教会全体とその信徒たちを指しています。婦人は教会を、子どもたちは教会員です。今のように教会堂というものが一般的でなかった時代であるため、家を開いて集会を開いたりメッセージが語られたりしていました。家に受け入れるということは、私たちの感覚で言えば教会に招き入れること、そして教会として彼らの働きを支援するということになります。
偽教師たちは教会から離れた者たちでしたが、今や彼らは「あなたがたのところに来る」と警告されています。当時のクリスチャンは、旅人をもてなすようにと教えられており、またその愛の行為がクリスチャンの特徴とされていました。しかしその愛の行為によって、キリストの教えから離れさせる者を不用心に招き入れ、彼らの教えに同意し、支援することは、彼らの信仰の根幹にかかわることになります。その警告のためにこれらの手紙が書き記されており、ヨハネははっきりと彼らを否定しているのです。
手紙の最後は教会に対するあいさつで締めくくられています。
2John 12 あなたがたにはたくさん書くべきことがありますが、紙と墨ではしたくありません。私たちの喜びが満ちあふれるために、あなたがたのところに行って、直接話したいと思います。
2John 13 選ばれたあなたの姉妹の子どもたちが、あなたによろしくと言っています。
これまで警告や厳しい言葉が見られた手紙でしたが、ヨハネは最後に彼らと会える日を楽しみにしていることを記しています。直接話したいと言う言葉は、直訳的にいれば口と口で話したいということになります。手紙は一方通行になりますが、対面で語り合い、交わりところに喜びがあります。相互の喜びは全うされ、生き生きとした信仰の共同体を築き上げるのです。ここに教会に集う交わりの意味があるのです。
結
ヨハネが手紙を通して強調してきたこと、それは偽りの教えから離れることとともに、私たちがイエス様を信じたときに握った真理、聖書の御言葉を通して教えられたイエス様の姿を捉え、心にとどめることです。そしてそれは父なる神様と子なるイエス様との関係を持ち、結び合わされることになるのです。私たちは、これから信仰の歩みを持つ中で、イエス様が示してくださった真理と愛に深く根ざし、とどまり続けたいと思います。目まぐるしく変化する時代の中で私たちは信仰生活を送らなければなりません。手紙が書かれた当時よりも情報の波がうずまき、私たちの周りには常に新しいものや教え、情報などが溢れ続けています。信仰に限らず、情報社会の中で私たち受け手側が正しく情報を選び、受け取らなければならない時代になっています。信仰においても、世の中に新しい教えや考えが広がり、それらの情報が意図せずとも簡単に入ってくる世の中です。変わり続ける世の中で、私たちは揺るがない信仰の軸、御父と御子を堅く持ち続けていきましょう。嵐が吹き荒れるこの時代の中で、イエス様というぶどうの木に堅くつながり、結びつき、そして永遠のいのちという報いを受け取りたいと思います。父なる神様、子なるイエス様にとどまり、永遠に変わることのない恵みといのちの中で、共に交わりに生きていきましょう。

