「今、私は、私の神、主の名のために宮を建てようと思っています。主が私の父ダビデに『わたしが、あなたの代わりに、あなたの王座に着かせるあなたの子、彼がわたしの名のために宮を建てる。』と言われたとおりです。」
(1列王5:5)」
京都には日本を代表する大手企業が多くあり、一方では親子代々何代にもわたって受けつがれているいわゆる老舗のお店も非常にたくさんあります。100年以上の歴史をかけてやっと一人前という意識が根底には流れているように思います。古都にふさわしく古き良きものをしっかり継承するとともに常に新しい斬新な感覚をたくみに取り入れながら気品のある文化を創造してゆく中に京都人気質を見ることができると思います。
1 時がみちて
ダビデが願った神殿建設はその息子ソロモンへと受け継がれました。ソロモンが王に即位し(BC961年)、ツロフェニキアの王ヒラムの使いが就任の挨拶に来たとき、ソロモンは父ダビデの意志を受け継いで神殿建設に着手することを公に宣言し決心を伝えました。このことを通して神殿建設が国家事業として国民にも諸外国にも周知されることとなりました。「今、私は、私の神、主の名のために宮を建てようと思っています。」(1列王5:5)
「一人で夢見ることは夢に終わるが、二人で夢見ることは実現する」ということばを聴いたことがあります。人はだれでも心の中に思い描くことをことばにして、他の人に告白する、あるいは公表する、あるいは宣言するときに、その実現に向かって重要な第1歩を踏み出すことになります。自分の「想い」に生きる段階から自分の「決意」生きる段階へと確実に進展するからです。若いソロモン王にとってこれは全身全霊をかけた大きなプロジェクトであり、神様への信頼なくしては成し遂げられない奉仕であったと思います。
昨年、私は「私は私の家を美しく輝かせる」(イザヤ60:7)のみことばが与えられました。教会員とともにみことばを分かち合い、私たちは教会総会において「会堂検討委員会」の設置を採択しました。役員会と連動して1年間、学びや実地調査を行い、おおよその不動産状況を把握することができるようになりました。机上で考える時期は終わり、来年は主に導いていただきいよいよ実際に行動する時が来ていると思います。金融危機で再び不況の深刻化が懸念されているたいへん厳しい経済情勢の中ですが、今日、この礼拝において、私は「今、私は、私の神、主の名のために宮を建てようと思っています。」と信仰による宣言をさせていただきます。
これは牧師である私の個人的な決意です。宇治バプテスト教会は宗教法人ですから、教会総会の最終議決、所属しています教会連合理事会の承認がなければ実際の不動産売買はできませんので、これから先、実現までどれほど期間を要するかはわかりません。神様の導きに委ねています。さらに私たちのような小さな教会で資金的にどれくらいのことができるのか考えれば考えるほど私自身が不安になります。しかし「考えれば考えるほど不安になり立ちすくんでしまう」という壁こそが最大の障壁ではないでしょうか。全能の神を信じる信仰が試される最大の壁がここにあります。この目に見えない大きな壁を崩す突破口は、信仰と祈りによる宣言から始まると私は信じています。そしてチャレンジしたいのです。主に美しい家をおささげしたいのです。
ソロモンが神殿を建設する宣言をした目的は「ただ主の名のために」でした。それは神様のご意志にも適うことでした。「彼が私の名のために家を建てる」(5:4)。
もしソロモンが他の目的や不純な動機や高慢な思いを持っていたならば、神殿建設の事業は失敗に帰したことでしょう。年若いソロモンには荷が大きい大事業であり莫大な資金を神殿建設に投入することは国力の低下を招き敵国が侵略する糸口を与えかねない危険性も含んでいるからです。ただ神の名のために、この一つの目的のもとでイスラエルは、王も大臣たちも、国民も一つとなって神殿建設に取り組むことができました。完成までに7年の歳月を要する文字通りの大事業でしたが見事に完成したのです(37)。
2 父ダビデの配慮
ソロモンによる神殿完成の背後には先週学んだように、父ダビデ王の熱い祈りと周到な準備をあったことを忘れてはなりません。そもそも神殿建設はダビデ王の願いでした。自分がりっぱな王宮に住んでいながら契約の箱は天幕の中に置かれたままである。それはふさわしいことなのだろうか、「これでいいのだろうか」そんな素朴で純粋な思いからダビデは神殿の建設を志しました。しかし神様は、戦争で多くの人々の血を流したダビデが神殿の建設を進めることを許可しませんでした。神は戦争の神ではなく平和の神だからです。ダビデの志しは息子のソロモンに引き継がれ完成されることが神の御心でした。
神の御心を知ったダビデは、神殿を建築する用地に自らの祈りを移しました。ダビデは神殿を立てるのにふさわしい土地を見いだし、十分すぎる多額の金を払って土地の持ち主から購入しました。
「そしてダビデは、その地所代として、金のシェケルで重さ六百シェケルに当たるものを、オルナンに与えた。」(1歴代21:25)
王の権限で強制的に土地を没収することも可能だったかもしれませんが、正式な手続きを踏んで購入し、神に最善のものを捧げようとしたのです。ダビデは購入した土地を将来の神殿建設の場所として定めました。なんと思慮深いことでしょう。
「そこで、ダビデは言った。「これこそ、神である主の宮だ。これこそ、イスラエルの
全焼のいけにえの祭壇だ。」(1歴代22:1)
さらにダビデは神殿建築のための資材を集めました。神殿建設には大量の建築資材が必要であり、資材の不足と値段の高騰で建設事業が行き詰まらないように余裕をもって調達備蓄したのです。
「私は、困難の中にも主の家のために用意しました」(1歴代22:14)。
ダビデ王といえども資材確保はたやすいことではなかったことをこの文言からうかがい知ることができます。どんな立場に立とうと、どんな権限を得ようと、困難はいつでもともないます。他の人の困難さが自分の目には映らない、わからないだけのことです。
世の中には3種類のタイプの人がいると思います。
困難を避けようと要領よく立ちふるまう人、困難が避けられず不平や愚痴をこぼし続ける人、困難のなかで「どうすることが可能か」を考えようとする人。ダビデは自分が今できることは何か、自分が果たすことができる役割はどこにあるのか、自分の強みはなんであり誰を援助できるのかを考えることができた成熟した信仰者でした。
ひとりひとりに神様は異なる仕事を託されます。しかし全ての神のしもべに共通していることがあります。それは「困難の中にも主の家のために用意した」という献身の思いです。おしみなくささげる心でした。賜物や持ち物以上に、献身の思いつまり神様への感謝と愛が貴いのです。
3 父ダビデの励まし
ダビデは最後に若い王ソロモンをこのように勇気づけました。
「それから、ダビデはその子ソロモンに言った。「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから・・。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。」
(1歴代28:20)
ダビデはソロモンの父でしたが、同時に神を信じる信仰の先輩者でした。先輩者たちの仕事は若い人々を勇気づけることです。不安がらせたり怖じけさせたり怖がらせたりしてはいけません。若い人たちが祈りや信仰の徳を高めることができるように自らがお手本となることです。キリスト教の信仰の証しは「りっぱさ」や「強さ」を示すことにあるわけではありません。隠し立てをしたり虚栄虚勢を張るよりはありのままの弱さを見せることがかえって真実さを伝えることになります。こわいものはこわいし、不安なことは不安でいいのです。けれどもそういうありのままの弱さの中にありつつもなお「神への信頼」を語ることが信仰のありかたと言えます。人はそこに人間を越えた存在、御霊の助けを見いだし心をとらえられてゆくのです。
人生における最大の励まし、それは私たちの人生に神が共におられ神が折りに適った良き助けを備えてくださるという神からの平安であると私は思います。
神が共におられるという確かな希望が困難に立ち向かう霊的な力となって支えるのではないでしょうか。
「主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。」(1歴代28:20)