2010年度説教 1月3日 新年礼拝
「信仰の高嶺をめざして」シリ−ズ(2)
題「あなたの名は祝福となる」
「その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、
あなたによって祝福される。」 (創世記12:1−3)
2010年を迎え、今年1年間の日々の信仰と生活が豊かに祝福されますようにとお祈りします。
さて、今年は「信仰の高嶺をめざして」というシリ−ズでみことばを学んでゆきたいと思います。旧約・新約聖書の中に登場する信仰者たちの祈り、行動、決断、献身の志を学びつつ、私たちもまた信仰の高嶺を目指して歩む者でありたいと願います。まず旧約聖書の代表的人物でありイスラエル民族の父と呼ばれる偉大な指導者「アブラハム」から学びましょう。聖書はアブラハムの生涯を美談で飾り立てることをせず、人間的に迷いや失敗の多い人物であったことを率直に記録しています。しかしながら
アブラハムの特質を端的に表現すれば、「神の祝福に生きた」人物と言えます。
1.信仰の人アブラハム
後にアブラハムと改名する前の名前は「アブラム」(尊い父)でした。アブラムの父の名はテラ、妻の名はサライ(王女)、兄弟の名はハラン。彼らの生まれ故郷はユ−フラテス川畔に位置する肥沃な土地カルデヤ地方のウルでした。父親のテラはウルを出発しカナンの地、現在のパレスチナ地方へ移住することを決断し一族を率いてユ−フラテス川上流のカランまで旅をしました。しかしそこから先へどうしても進むことができず、この地に定住してしまい、250才の生涯をカランの地で閉じました。父の死後、父がなしえなかったことをその子アブラハムが受け継ぎ、アブラハムは一族を率いてまだ見ぬ新しい地カナンへと第1歩を踏み出しました。何がそうさせたのでしょう。アブラハムの父テラには無くてアブラハムにあったものがそうさせたのでした。それは「神のことばを聞いたならば無条件で従う」という信仰でした。アブラムが75歳の時、神様はアブラムに呼びかけました。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(1)と。するとアブラハムは即座に「主が告げられたとおり出かけた」(6)のでした。アブラハムはためらうことなく即座に妻と甥のロトと長年カランで定住していた間にアブラムのしもべとなった人々や家畜類を率いて、カナンの地へ旅立ちました。聖書はアブラハムのこの決断と行動の原動力をアブラハムの信仰の中に見いだしています。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」 (ヘブル11:8)
「信仰によって」(by faith、It was faith)、これがアブラハムの最大の特徴であり、神がアブラハムを愛された原点でした。行くべき地域は知っていましたがどの町、どの場所に導かれるのか神様にすべてをゆだね、行き先をしらないままアブラハムは出発したのでした。
私たちは多くの行動原理を知っています。たとえば、ある人は「人間的な良識ある判断によって行動しよう」と言います。またある人は「合理的で論理的に考えて判断しよう」と言います。ある人は「最も少ない費用で最も大きな効果が期待できる効率性によって選ぼう」と言います。またある人は「できるかできないかやってみなければわからないことだからいちかばちかやってみよう」と後先を省みないで猪突猛進的に突き進もうとします。一時的な感情や欲得だけで行動する人もいます。けれども最も神様の前に価値のある基準は「信仰によって」という基準なのです。信仰によってという「クリスチャン基準」があなたの心の中に存在しているでしょうか。このクリスチャン基準に従って私たちは考え、選択し、決断し、行動しているでしょうか。このように信仰を基準し行動したゆえに、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。」(ヤコブ2:23)と聖書は記録しています。アブラハムばかりでなく妻サラも同様の基準をもっていました。
「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。」
(ヘブル11:11)
イサクもヤコブもヨセフもモ−セも信仰によって行動しました。紅海の間中にできた道をイスラエルの民は信仰をもって歩みました。信仰によって彼らは強固なエリコの城壁を崩しました。イスラエルの歴史は「信仰によって」行動した人々の記録でもあるのです。
「信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。エジプト人は、同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいました。信仰によって人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。」(ヘブル11:29−30)
やがて私たちが天国へ入る時、私たちの名はキリストを信じる信仰のゆえに、いのちの書に書き記されています。そして「もろもろの行いの書」には、信仰によって○○をした」と書き残されることでしょう。
「
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。」(黙示20:12)
2.アブラハムは2重の意味で神の祝福に生きた人でした
第1は、「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう」(2)と、神様がアブラハムを祝福してくださったことにみられます。老いたアブラハムにやがてイサクが与えられ、イサクの子ヤコブを通してやがてアブラハムの子孫であるイスラエル民族が空の星の数のように、海辺の砂の数のように地に増え広がりました。
神様を信じる者には救いが与えられ、癒しが与えられ、祝福が与えられます。救いとは罪の赦しと永遠のいのちが与えられることを意味し、祝福とはいつまでも続きさらに実を豊かに結ぶ「幸い」をさします。英語ではBlessingとHappyとを使い分けています。Happyの語源はHappenであり、「たまたま転げ込んできた幸福」を指しますからまた転げ出ていってしまう可能性があります。宝くじに当たったため夫が働かなくなりついには離婚に至ったというような天国と地獄を同時に味わうようなことが起きてくるのが「ハッピ−」の世界です。本物の幸福は天地を創造された神様の祝福を受けることなしにはありえないのです。
第2は、アブラハムが他の20100110b mt1.htm へのリンク人々に祝福を与える者とされたことです。「あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(2−3)とアブラハムの存在そのものが祝福となったのです。「あなたの名は祝福となる」は、「あなたは祝福となれ」(アメリカ標準訳)あるいは「あなたは祝福の基となる」(口語訳)とも訳されています。アブラハムがどこへ行こうとその場がいつも神の祝福の泉となり、その人の周囲に喜びがわき上がるのです。アブラハムが行くところに祝福された人々の交わりが生まれるのです。彼がいるかぎり孤独な人、罪に苦悩する人、人生の重荷に嘆き苦しむ人はいなくなり、その人の人生もまた祝福に満ちた者と変えられるというのです。
あなたもそのような存在でありたいと願いませんか。あなたが行くところどこでも嫌われ、あなたが行くところどこでも争いが起き、あなたが行くところどこでも誰かが傷つく、あなたがゆくところ誰もが幸せになれない、そんな存在でありたくはないことでしょう。「あなたは祝福となれ」(アメリカ標準訳)これこそ最大の幸福と呼ぶことができると思います。
大阪の吉村雅憲牧師はかつてダンプの運転手をしていた当時、荒くれ者で酒と喧嘩に明け暮れ、親戚中の嫌われ者だったそうです。ふと自分が死んで葬式を出す場面を想像したときそこには誰も悲しむ人がなく、「早く死んでくれてほっとした」と安堵する人たちがいる光景が浮かんできました。いい知れない淋しさやむなしさを覚えていた時、「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)との聖書の言葉をラジオを通して聞きました。「あなたは高価で尊い」と自分の存在を認めてくださっている神様のことばを聞いて涙が止まらなかったそうです。やがてイエス様を信じ、今までの罪深い人生を悔い改めて魂の救いを受け、彼の人生は変えられました。親戚中の嫌われ者が今や、神の救いと祝福を周囲の人々に分かち与える「祝福の基」とされ、価値ある存在とされているのです。
「信仰によって」生きる人は神の祝福を自らが受けるばかりでなく、周囲の人々をも祝福する尊い存在として用いられるのです。あなたの行動の基準はどこにあるでしょうか。
この新しい2010年、「信仰によって」考え、祈り、判断し、決断し、行動する者でありたいと心から願ってやみません。信仰によって高嶺をめざしてたゆまず歩き続けましょう。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)
神様の恵みと祝福があなたの上にありますように。
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