2010年度説教 3月21日 主日礼拝
「信仰の高嶺をめざして」シリ−ズ(9)


題「母の祈りの子 サムエル」


「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(1サムエル1:10−11)

26才の母親が5才の長男を「夫に似てる」という理由で虐待し、餓死させるという事件が奈良県で起き、両親ともに逮捕されました。わずか5年のいのちをこのような形で終えてゆかなければならなかった男の子の気持ちを思うとたいへん心が痛みます。私たちはルツ記を通して、ナオミとルツの関係から嫁−姑問題、ボアズとルツの関係から夫婦問題を学んできましたが、今日はサムエル記に記されている母ハンナと息子サムエルの関係から親子、母と子の問題に聖書的な光をあててゆきましょう。

イスラエルにまだ王が存在していなかった時代に、国を治めた偉大な予言者がサムエルでした。彼はやがてイスラエルの初代の王サウル、2代目の王となるダビデに油を注いで(1サム16:13)王の任職を司式した人物でした。サムエルの母の名はハンナ、父の名はエルカナでした。ハンナには深い悩みがありました。一つは当時の習慣にならって夫エルカナには他にもペニンナという妻がいたこと、さらにペニンナには数人の子供がいたにもかかわらずハンナには子供が与えられなかったことでした。子供を産めない女性は当時、「神にのろわれた女性」と見なされていましたから、ペニンナがハンナを見る目は冷たく軽蔑に満ちていました。

「彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。」(1:6−7) と記録されています。おそらくハンナは半ばうつ状態にまで落ち込んでいたのではと思われます。夫はそんなハンナを見て「どうして泣くのか、食べないのか、ふさいでいるのか」(8)と責めています。「どうして泣くのか」と聞く前に、「それぐらい気付けよ!」と世の女性ならば思わず腹が立つほど、エルカナは妻ハンナの気持ちに無頓着でした。しばしば夫は妻の気持ちに鈍感で、妻の心の痛みや涙に共感できず、妻の心の痛みを増幅させてしまうことがあります。3000年前も今もかわらない姿と言えます。

1.心を注いで祈ったハンナ

けれどもハンナは信仰に満ちた女性でした。苦しみは彼女の信仰を深め成熟させました。彼女は自分に敵意を向けるペニンナを恨んだりねたましく思ったりせず、鈍感な夫を非難することもなく、またいたずらに自分を責めることもせず、ひたすら神様の前に心を注ぎだして願い、祈り求めました。ことばにならないほどの切なる願いをもって神様の祝福を祈りつづけたのでした。

その様子を聖書は、「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。」(10)と記しています。心が痛み、激しく泣くということが誰の生活にもおきてきます。けれどもハンナは神様に祈ることを知っていました。ハンナはいつでも祈りの中で自分の問題を解決した女性だったのです。心の痛みと涙が祈りに変わるときに魂にしずかな神からの平安が臨むのです。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6)

彼女の祈りは切実でした。神様からお答えを頂くまで宮の中で長く祈っていました。ハンナが唇をふるわせ祈っている姿を見た祭司エリは「酔っぱらっている」と思い違いをし、「いつまで酔っているのか、目をさましなさい」(14)と彼女をたしなめました。心の願いや祈りを理解することは祭司といえども難しいものです。見かけだけで決して人の心ははかれません。ハンナの話しを良く聞き事情を知った祭司はいたく心を動かされ神様の祝福を祈りました。

「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」(1:17) 心の中の憂いや苦悩はひとりで抱えていても癒されません。重荷は分かち合うときに軽くなるのです。そして祈りを分かち合うことは幸いなことなのです。

2.祈りぬいたハンナ

宮の中で彼女はあきらめることなく最後まで祈りぬきました。それは「子が与えられたら一生涯、神様にささげます」と約束することができたためでした。

「そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(11−12)

「自分に与えられる」ことだけを願っている間はいつまでも祈り続けることになります。与えられることに捕らわれるからです。しかし「自分を明け渡す事ができたとき、あるいはささげることができたとき」祈りは変化します。終結するのです。終わると言うよりむしろ祈りが完成するといってもいいかもしれません。祈り抜いた彼女に大きな変化が生じてきていることに注目しましょう。

「それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」(18)

明らかにハンナの態度にも顔の表情にも大きな変化が見られるようになりました。もはや、うつうつと落ち込み、以前のようにふさぎこむハンナではありませんでした。食事をとり日常生活の営みへと戻ってゆきました。なぜならば、「神様から与えられる子であるならば神様にその子をお返ししましょう」と、ハンナの心は明け渡しへと導かれたからです。

イエス様もゲッセマネの園で徹夜の祈りをささげた後、「主よ、あなたのみこころのままに」と父のみこころにすべてを委ね、ついに祈りの座から立ち上がり十字架の道へと歩み出されました。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ22:42)「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。 イエスは祈り終わって立ち上がり・・・」(22:44−45)と聖書は記しています。

「神のみこころのままに」にと、すべてを委ねきるとき、祈りは完成し、祈りの座から静かな平安と確信をもって立ち上がることができるのです。

彼女の祈りはついにきかれ、彼女は待ち望んだ男の子を産み、胸に抱くことができました。

3 約束を果たしたハンナ

ハンナはサムエルが乳離れするまでの期間、およそ5歳前後まで手元において育てました。母親として心からサムエルを愛し、愛情を注いで息子を育てました。そして乳離れの時がきたときに、約束通り、祭司エリのもとへサムエルを連れて行き、祭司の手に我が子を委ねたのでした。

武将の子供が母親から離されお殿様の屋敷やお寺に預けられて修行の道へと踏み出してゆく状況とよく似ています。

「この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。」(1:28)

「祈りがきかれるまでは熱心に祈るけれど、祈りがきかれたらあとはしらんふり」そんな態度にうっかりすると私たちも陥ってしまう可能性があります。神様をないがしろにしたそのような生き方は決して祝福されません。神様は祈りに答えて祝福してくださる恵みに満ちたお方ですが、私たちが神様に誓ったこと、お約束したことを忠実に果たすことをお求めになるお方でもあります。

ここまでだけの物語であれば、母と子の悲しい別離の物語となってしまいますが、聖書は続きを記しています。

「サムエルの母は、彼のために小さな上着を作り、毎年、夫とともに、その年のいけにえをささげに上って行くとき、その上着を持って行くのだった。エリは、エルカナとその妻を祝福して、「主がお求めになった者の代わりに、主がこの女により、あなたに子どもを賜わりますように。」と言い、彼らは、自分の家に帰るのであった。事実、主はハンナを顧み、彼女はみごもって、三人の息子と、ふたりの娘を産んだ。少年サムエルは、主のみもとで成長した。」(2:19−21)

サムエルに対するハンナの愛情は少しもかわりませんでした。ハンナは毎年、新しい上着をつくり、宮詣の度毎にサムエルに手渡し、息子の成長を心から喜ぶことができました。このようにして祭司のもとに預けられた幼子サムエルは母ハンナの大きな愛情に深く包まれ育ってゆきました。

ハンナは悲しみの人でした。しかし、彼女は涙と祈りをもって神様に願いをささげ、その願いは神様によって聞かれ、やがてサムエルの母となることができました。神様がサムエルの母としてハンナを選ばれたのでした。ハンナの信仰と愛情にサムエルを預けられたとも言えます。

嫁姑関係や夫婦関係と同様、親子関係もたいへん難しいものがあります。他人ならばここまで争わないのに親子となれば言いたいことを言い合って互いに傷つけてしまうことも多々あります。親が子をコントロ−ルできるのは赤ちゃん時代のしつけを必要とする時までです。その後は祈りつつ子の成長を見守り、子を信じ、子の選んだ道を応援してあげるしかないのです。

キリスト教の世界には「涙の子は滅びない」という有名な言葉があります。

紀元300年代のロ−マ帝国において学者、哲学者としてのアウグスチヌスの名声は世に広まっていました。けれども若い日のアウグスチヌスの生き方は放蕩に身をまかせた自堕落な悲惨なものでした。家を出て17歳で性的な放縦のあげく同棲し子供をもうけるほどでした。母の素朴なキリスト教信仰に反発し、マニ教と呼ばれていた異端宗教へと進んでしまいました。息子の荒廃した生き方に心を痛めていた母モニカに対して司教のアンブロシウスは、「あなたは本当に真実に生きています。このような涙の子は滅び得ないのです」と諭しました。涙の子は滅びない・・この一言が折れて砕けてしまいそうな母モニカの心を支えぬいたのでした。

アウグスチヌスはやがてアンブロシウスに出会い深い感化を受け、今までの放蕩三昧な罪の生活を悔い改め、キリストの十字架の血による赦しと聖霊による新生の体験をしました。

アウグスチヌスは「母にできる唯一のことは私のために祈ることであった」と告白しています。母は祈ることしかできないのではなく、母が祈ってくれた、祈り続けてくれたことに深く感謝しているのです。母が渡しのために祈ってくれた、祈り続けてくれていた、このことに勝る愛は他に無いのです。

神様は自らお創りになった者を決してお忘れにならず最後まで愛し抜かれるように、信仰の母の愛もまた不変なのです。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手にひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」(イザヤ49:15−16)


神様の恵みと祝福があなたの上にありますように。




   

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