【福音宣教】 2024年イースター礼拝メッセージ
事実、主はよみがえられました」(1コリント15:17-20)  2024年3月30日

皆さん、イースターおめでとうございます。はじめての方々、ようこそイースター礼拝にお越しくださいました。こころから歓迎いたします。ようこそイエス様のもとへ、そしてようこその永遠の神の国へ。今日、皆さんは希望に満ちた天国への第一歩を踏み出されたのです。

今日は、イエスキリストが復活されたことを記念する祝日です。2000年前、神の御子キリストは人となって人間の世界に下ってこられ、罪人、貧しい者、虐げられている弱い者、小さな者たちの友となり、それでいて自らは罪のないきよい生涯を歩まれました。人間が抱え、自分では解決できずに苦悩する大きな罪、咎、汚れのすべてをキリストは背負い十字架にかかり、身代わりとなって刑罰を受けて死なれました。その結果、キリストの死をもって、すべての罪の代価が支払われ、罪の赦しがもたらされました。そればかりでなく、墓に葬られたキリストは、土にかえってしまわれたのではなく、あらかじめ予告されていた通り、葬られた墓をからにし、死の力を打ち破って、3日後の日曜日の朝、復活されたのです。宣教師パウロは、はっきりとこのように、宣言しています。「今やキリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」(20)と。口語では「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」、共同訳では「しかし実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」と。いずれにしろ、

1)キリストの復活は紛れもない事実なのです。このことを皆さんに伝えたい、知ってほしい。

今の時代、何が事実なのか嘘なのか、何が真実であり何がいつわりなのか、何が本物であり何が偽物なのか、ファクトとフェイクがあいまいになっています。ますますあいまいな世界になっていくことでしょう。生成AI技術が驚異的に進化し、やがて私の声そっくり、私の顔そっくり、身振り手振りもそっくりの「フェイク小出」がZOOMに登場するかもしれません。フェイクの小出が、十字架について、復活について何も語らなかったら、これは偽物だと判断してくださいね。

2)何を信じたらいいのかいいのかわからない。悩むぐらいならばいっそうもう何も信じない!と極端な結論を出してしまうかたがおられるかもしれません。すっきりするかもしれませんが、なにも信じられない世界っていったいどんな世界でしょう。イメージできるでしょうか。「信じられるのは自分だけ」周りは全部、うそつきばかり、敵ばかり、信用しちゃいけないし、すべてを疑ってかからなくちゃいけない。このサプリメント飲んでもいいかな、この予防注射うっても大丈夫かな、お母ちゃんがつくってくれたこの夕ご飯に毒が入ってないかな・・など疑いだしたらもう、生きていけなくなる。不安で何も食べれなくなる、怖くて一歩も外へ出れなくなる。信じることができなければこの世界は事実上、消滅してしまう。いいかえれば、私たちはどれほど周囲の人々を信じ、信頼しながら、安らかに生きているか、また信じてもらいながら信頼してもらいながら、安心してもらって関係性を深めながら生きているかということでもある。だまされること、裏切られること、被害や心の傷を受けることがあるかもしれないけれど、それでも天の父なる神は、「信じる」こころを私たちに与えてくださいました。だから信じるこころを豊かに育みましょう。豊かに信じるこころを育む試金石の一つにキリストの復活を信じることを覚えていただきたいのです。「事実、キリストはよみがえられた」のですから。

3)もしキリストの復活が、嘘、偽り、都合のいい作り話だとしたら、キリスト教会は世界最大の嘘つき集団になり、キリストの復活を信じる23億8千万人の世界中のクリスチャンは、みんなかわいそうな被害者であり同情すべき哀れな人たちになってしまいます。ローマ帝国がキリスト教を国教とするまでに、幾度もすさまじい迫害があり、どれほど多くのクリスチャンが殉教したことでしょう。嘘のために命までも喜んで捨てる人がいるでしょうか。日本でも徳川幕府時代、京都のキリシタンたちが弾圧され、長崎にまで連行され、外国船から良く見えるように海に向かってはりつけにされました。わずか14歳のルドリコ茨木という少年は、不憫に思った取り調べた大名が、「キリスト教を捨てるならお前を養子に迎え、侍の子にしてやる」と声をかけたそうですが「この世のものと天国を取り換えるわけにはまいりません」と断り、処刑台へ向かったそうです。

今日は12歳の女子中学生が、イエス様を信じて洗礼を受けます。洗礼は新しいいのちに生まれることを意味しています。くしくも彼女は明日が誕生日です。お母さんから生まれ、家族から「お誕生、おめでとう」とお祝いされ誕生しました(覚えていますか?)。でも今日の新しい誕生を天の父なる神様とみ使いが大いに喜びお祝いしてくださっています。洗礼式はキリストの復活を今ここで体験する恵みの時でもあるのです。

4)事実、キリストはよみがえられました。

キリストを信じる者がこの人生を閉じるときには、「死んだ者」ではなく、「眠った者」と呼ばれます。しかもキリストの復活は、彼らの「初穂」つまり最初の実としての意味を持っています。キリストを信じる者は「死んだ」者ではなく「眠った」者であり、キリストが死の力を打ち破りあたらしいいのちによみがえられたように、眠った者たちも、キリストと同じように新しい永遠のいのちによみがえらされるのです。

東京では靖国神社の境内にある桜(ソメイヨシノ)の標本木に5輪花が咲いたら「開花宣言」が出されます。京都では二条城にある標本木があり、29日に開花宣言をしました。昨年より12日も遅い開花でしたが、1週間以内に満開となるそうです。キリストは初穂です。キリストを信じる者はキリストと同じように死の力を打ち破って永遠のいのちによみがえり、神の国に移され、朽ちることのない身体が与えられるのです。

ラジオ牧師として活躍しておられる村上宣道牧師のお父様も牧師でした。お父さんが天に召される前、病床でどんなお葬式にするか話し合ったそうです。お父さんが言うには「天国に行く日だから、イエス様とついにお会いする喜びの日だから、結婚行進曲を弾いてくれ」と言ったそうです。あまり楽しそうに二人で会話をしているので、医者が「何の話をしているのですか」とっくと、「お葬式の話をしてるのです」と答えるとびっくりして「こんな親子見たことがない」と言われたそうです。でもそれぐらいキリストの復活は、肉体の死が終わりではないという事実と希望をもたらしてくれるのです。
そして、よみがえられたイエス様は今も、生きておられ、私たちを愛し、導き続けておられます。私たちの人生はもう一人ぽっちではありません。よみがえられたキリストがいつも共におられるのです。天に帰られたキリストの最後の約束は「見よ、私は世の終わりまで、あなた方と共にいる」(マタイ2820)でした。

事実、キリストはよみがえられました。あなたに永遠のいのちを与えるために。

事実、キリストはよみがえられました。どんな境遇の中におかれても、あなたがかつてのように孤独の中で嘆き悲しむことなく、希望と平安に満たされて、キリストと共に歩み続けることができるために。神の御子はあなたを愛してくださっています。その愛を目に見える形で示すために十字架で死なれ、永遠のいのちを目に見える形で示すために復活されたのです。

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