【福音宣教】 平和と対立をつなぐ寛容

「上からの知恵は第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また憐みと良い実とに道、えこひいきがなく、見せかけのないものです」(ヤコブ3::17) 

20240728

今日の賛美は作詞松田幹夫兄弟、作曲村尾恵子姉、宇治バプテスト教会のオリジナル曲でしたね。新しい歌が次々と生まれるといいですね。著作権は大丈夫でしょうかね。

1. 2種類の知恵

ヤコブは様々な知識よりも知恵を神様に願い求めなさい(15)と勧めました。知識を生活の中にうまく適用したり応用したりして生活しやすくするのが知恵だからです。今日の個所ではさらに、知恵には2種類あります。上からの知恵(17)と地に属し肉に属し悪霊にさえ属する知恵(15)です。どう区別するかと言えば、上からの知恵は柔和な行いを、良い生活を通して示すことができる。しかし地に属する知恵は、妬みと敵対心が隠されていて、おごり高ぶらせたり、嘘偽りを語り(14)、邪悪な行いを生み出していく(16)ことで区別されます。

「良き」生活と訳された言葉は、善悪というよりは「魅力的な人を引き付ける生き方」という意味だそうです。嘘偽りまみれで、周囲の人への妬み、敵対心、つまらぬプライドが見え隠れするような人には誰も魅力を感じないし、友達にもなりたくない。一言でいえば「邪悪」の人には誰も近づきたくない。

この世の知恵の限界、もっとも大きな悲劇は、「神を知ることができない」ことです。「神はこの世の知恵を愚かにされた。事実この世は自分の知恵で、神を知ることがないのは神の知恵による」(1コリント120)と。つまり、「信じることによって神を知る」ことが、神が用意された道なのです。ですから、信じられなくても「信じます」と宣言する、告白することで、神を知る道、神と出会う道が開かれていくのは、まさに神秘の世界かもしれませんね。

2. 上からの知恵として、17節には、8つ記されています。純真、平和、寛容、温順、憐み、良い実、えこひいきのなさ、見せかけのなさです。18節ではまとめて「義の実」と呼んでいます。ヤコブは上からの知恵を求めるならば、これらがもたらされると教えています。ペテロは神を信じ、神が遣わされたイエスがキリストつまり救い主であることを信じたすべての者には約束の御霊(ヨハネ1416)である聖霊が、神からの贈り物として与えられると教えています(使徒238)。しかもパウロは聖霊はキリストの愛、アガペーと呼ばれる神の愛を無限に注がれるお方であると語っています(ロマ55)。この神の愛の注ぎと満たしがあるからこそ、決して失望することなく、どんな患難にも対処できると語っています。

さらにパウロはガラテヤ522-23で、具体的には、御霊の実(単数)は愛であり、愛とは「喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」と8種類をあげています。一方、神から与えられる知恵がもたらす義の実は「純真、平和、寛容、温順、あわれみと良い(魅力的)実、えこひいきのなさ、見せかけのなさ」の8種類であり、二つの実は重なっています。愛の実と義の実、合わせて合計16もの満ち満ちた性質と考えるよりは、これらはただ一人の完全なお方、神の御子イエス様の中に満ち満ちているご性質と言えます。コロサイ119では「神はみこころによって満ち満ちた神の本質を御子の内に宿らせておられます」と、御子の本質を示しています。。私たちは父なる神様からあれこれたくさんの恵みをいただくのではなく、神の御子、イエス様、このお方ただ一人をいただくのです。神の御子が心に住んでくださるならば、もうそれで十分すぎるのではないでしょうか。恐れることも不安を覚える必要もありません。

実家を離れて嫁ぎ先でひとり苦労していた娘さんが、母親に思い切って手紙を書きました。母親から返事の手紙が届きました。手紙を読んだ娘さんの顔が輝きました。どんな励ましの言葉が、慰めの言葉が、知恵の言葉やアドバイスがそこに書かれていたことでしょうか。手紙にはたった一言「私が行く」と記されていました。100の言葉1000の言葉よりも、お母さんという一人の存在がすべてに優るのです。天の父なる神様は、かけがえのない一人子、御子なる神を私たちの世界に贈ってくださいました。御子イエス様を信じる、お迎えする、心の戸を開いて、人生にお迎えするときから、すばらしい良き人生が始まります。イエス様はああしなさい、こうしなさいと言われるのではなく、「私があなたの心に中に行く。だから案じるな、心配するな、恐れる必要はない」と言ってくださいます。孤独であろうと無力であろうと荒れすさんでいようと、愛が不毛であると嘆こうと、思いが時々邪悪になろうと、イエス様が来られるならば、そこを住まいとしてくださるならば、砂漠に泉を湧かせ、荒地に川を流し潤し、やがて緑の地にしてくださいます。

3. 大切な「寛容」という愛の実

愛の実、義の実の中で重なっている言葉は「平和」と「寛容」(やさしさ新改訳2017)です。寛容さと平和は深く結びつけられています。ヤコブは教会の中に様々なえこひいき(貧しい人、寡婦、孤児、病人に対して)や差別や分裂が生じていることに痛みを覚えています。ヤコブは対立が生じるのは、寛容さが欠けるところから生まれて来ると理解していまっした。

「異なる文化や思想と共存していくこれからの多様性社会を築いていくうえでも、寛容は最も重要な言葉になる」と、森本あんり教授(国際キリスト教大学)は著書「不寛容論」の中で述べています。

寛容は一般にトレランス=忍耐と訳されますが、むしろ「他者の尊重」という意味を持つと言われています。寛容を忍耐とみなせば、「自分の中の不快感や嫌悪感をできるだけ抑える」という心の態度を示すことになり、相手をしぶしぶ認めるものの、相手を是認せず、否定的であり、できれば禁止したり抑圧したい。が、そうもいかないのでしかたなくその存在を認めるという消極的態度であると指摘しています。

「宗教を重要視しない国では寛容度が低い」結果が出ているそうです。反対に宗教に価値を置く国では、「信仰を大切に考える」からこそ、「他者の考えや信念、信仰をも尊重する」寛容度は高くなるのだそうです。「自分にとって信仰はかけがえのない尊いものだから、他者にとってもその人の信仰は大切であるに違いない」(ウィルアムズ)と考え、「寛容を養い育て」共存を目指すのです。

人間を理解しきることは難しく、どんなに親しくても最後まで完全にわかりあえることはないと考えるほうが現実です。しかし、それでも受け入れることはできます。森本先生は「理解できないまま受け入れることを愛と呼ぶ」(p285)と述べています。お互いが重要でありこれが「真理」と主張すれば、「平和」はなし崩され、対立が生じてしまいますが、そこに「寛容」が介在することによって、両者をつなぎ続け、支え続け、未来に向かうかすかな希望があるといえます。愛の実も、義の実も魔法のように一瞬にして出来上がるものではなく、実を結ぶように「時間」を必要とします。時間を必要とするぶん、結ぶ実も大きくなると信じましょう。

これからの時代は確実に、さまざまな文化や価値観と共存していく多様性に満ちた社会へと変化して行くことでしょう。クリスチャンも教会も多様性社会のただなかに置かれます。

真の意味での平和と共存は、寛容さが生みだしていきます。天からの知恵も、義の実も、御霊の愛も「寛容」と「平和」を共に重視していることはそのことを示唆しています。

                       寛容さこそこれからの教会が求め続けいく神からの知恵ではないでしょうか。

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