30 ロ−マ人の手紙  題 「あなたの味方は誰ですか」 2003/8/3

聖書箇所 ロマ8:31−34

「神が私たちの味方であるなら誰が私たちに敵対できるでしょう。」(31)


教育心理学者の諸富祥彦先生は、「孤独であるためのレッスン」という書物の中で、孤独であること、つまり「一人でも生きてゆける力」を養うことの大切さを強調しています。特に、最近の若者は「ひとりになれない症候群」にかかっているそうです。いつもだれかと携帯電話やメールでやり取りしていないと取り残されみみたいで不安でたまらないのだそうです。それでいて「自分が傷ついてしまう」ことをおそれて、深い人間関係や恋愛をさけるそうです。一人になってじぶんを見つめ自分と対話をすることが思春期の心の成長には不可欠なのに「孤独」になることを避けている。実は「一人になって自分自身の心と深く対話できる人が他者とも深く対話できるのだ」と先生は指摘されています[1]

諸富先生は、肯定的な意味をもつこのような孤独の能力を身につけるには、「ほんの一人でもいい、この人だけは私を見捨てない、どこかで見守ってくれている」そう思える人を見つけておくことが大事であると強調されています。「どこかで自分を無条件で支え、見守ってくれている人の存在」「この人だけはへまや失敗をして社会から見捨てられても私の味方になってくれる」そう思える人の存在がどうしても必要だそうです。この人に無条件で支えてもらったという経験があって、一人で生きてゆくための踏ん張りが効くのです。

パウロは、「神が私たちの味方なら誰が私たちに敵対できるでしょうか」(31)と語っています。もし、神様を敵にまわせば誰が味方をしてくれても勝つことができない、しかしもし神様が味方であるならば、どんな敵が現れても敗れない。神が味方ならば何も恐れる必要がない。神様が味方となってくださるとはなんと力強いことばでしょうか。神様にいつも見守られ支えられているという安心感はどれほど大きな人生の宝でしょうか。

「神様が私の味方である」、この言葉が一人で生きてゆくための踏ん張りとなります。

わたしたちの周囲には私たちを「脅かす存在」である敵が多くいます。戦争の相手ばかりでなく、商売敵、恋敵もいます。病気も災難も不景気もみんな私たちの敵となりうるのです。しかし聖書は最大の敵は、「罪と死であり」、「サタン」であると教えています。聖書はサタンの別名は「訴える者」、私たちを「滅びに誘惑する者」だと正体を暴いています。

パウロは「わたしたちを訴えるのは誰か、罪に定めるのは誰か」(33−34)と問いかけていますが、パウロは「神が義としてくださったものをもはや誰も訴えることも再び有罪に定めることもできません」と確信に満ちて宣言します。キリストにあるならば罪の赦しはすでに十字架で解決済みとされ、無罪が確定しているからです。

さらに、復活されたキリストは神の右に着座され権威をもって、私たちのために取り成して下さっています。キリストの権威にまさる権威は神の前に存在しません。ですから、キリストはすべてのことを合い働かせて、神を愛する者たちのために最善を為してくださることがおできになるのです。神が強い味方なので敵となる者はいません。だから恐れることはないのです。

私たちが孤独にも耐え人生を生きてゆくには、味方となってくれる存在がなくてはやれません。そこで、3人の味方を見つけましょう。

1 まず、家族や友人、恩師といった身近な存在の中に味方を探しましょう。

私はまだ出会っていないという人がいるかもしれませんが、すでに身近にいるのに自分がまだ気づいていないだけなのかもしれません。周囲の人々に完全を求めてはなりません。お互いを裁き苦しめるだけですから。周囲の人々を赦し合う心で見渡してみれば、あなたの味方となってくれている人の存在に気がつくことでしょう。そして誰か味方を見つけようとする前に、あなたがまず、誰かの味方となってあげてください。そのように積極的な愛に生きてみることです。

歌手の島倉千代子さんは子供時代、長野に疎開中、倒れたガラス瓶の破片で左腕のお付け根を切り、大出血し、意識を失いました。一命を取り留めましたが血管と神経がズタズタに切れ、37針縫う大怪我のため、左腕の感覚を失い、ほとんど動かなくなりました。病室で気がつくと父親や母親や姉や村の人がベットを取り囲み「千代ちゃん、大丈夫かい」と声をかけてくれた。いくつものあたたかい「まなざしが自分を見つめている」それが、彼女の生きる原点になっていると語っています。「7歳の時に見た幸せの目玉が私の人生を支えてくれている[2]」と感謝しています。

第2に、せめて自分だけは自分の味方になってあげましょう。

周囲の人々の中に味方を見つけるまでに時間がかかります。だからせめて自分だけは自分のやさしい味方になってあげてください。自分を責めて、自分を罰し続けていては生きる元気も勇気も力も出てきません。「おれはおまえの味方だよ」と自分をしっかり応援してやってください。まわりがダメダと言っても、「お前なりに良くやったじゃないか」と認めてあげてください。一つのことで失敗しても全部を否定してはなりません。極端な例ですがもし大失敗をしたら、「せっかく失敗したんだから、そこから何かを学んでやろう。ただでは起きない。」と自分に言ってあげてください。

第3に、神様が味方になってくださることに感謝しましょう。

神様は、究極において最善をなされる頼りがいのある「味方」です。神に愛され、神に選ばれ、先週学んだように「黄金の鎖」でつながれた、「神を愛する人々」(28)の唯一の味方であり、あなたをいつもかわらず見守るお方です。

あなたは「神を愛しておられますか」。もしそうであるならば、その愛を形にしてみてください。献身と奉仕の道を歩ませていただきましょう。

神は生まれながらの罪人の味方ではありません。キリストにあって新しく生まれた神の子供たちの味方です。ですから未信者はイエスの名によってバプテスマを受け、地域教会に属し、「神の子ども」としての特別な立場をしっかりいただいてください。神を味方としたいと願うならば、まず神様との「和解」をはじめに受けていただきたいと思います。

死の力もサタンの力も打ち破られたイエス様が、あなたのただ一人の、変わらぬ友であり、味方でありますように。

                                            

    祈り     

主よ、わたしたちが真の意味で一人で生きることができるように、力をください。

神が味方となってくださっていることを覚えて、恐れや困難にも勇気と元気をいただい

て対処してゆくことをお導きください。


[1]孤独であるためのレッスン 諸富祥彦 p84
[2]PHP 663号 2003年8月「私の幸福論 それでも笑って生きる」


     

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