「神の御子イエスキリストの福音のはじまり」(マルコ1:1)
約9ヶ月かけて学んだヤコブの手紙を終えて、今日からマルコの福音書の学びを礼拝で始めます。 最近、礼拝に新しい方々も多く出席をしてくださっていますので改めて イエス様のご生涯とそのいのちの言葉と数々の素晴らしい御業をご一緒に学び、神の御子イエスキリストをますます知り、 主イエスキリストとの豊かな交わりの中に生きるものとされていきたいと願います。 槙島家庭集会でもマルコの福音書の学びが継続されていますので 、相乗効果が生まれるといいなと思っています。
Ⅰ 初めに
旧約聖書の冒頭で「初めに神が天と地とを創造された」(創世記1:1)と教えています。これは全人類が知るべき偉大な真理です。また新約聖書の冒頭では「神の御子イエスキリストの福音のはじまり」と記されています。これは全人類が受け入れるべき「喜びの知らせ」福音です。
私たちが 旧約聖書を学ぶ目的の1つは「人間の手によって作り出された無数の神々ではなく、天と地とその中に住む生きとし生ける全てのものをお造りになられた唯一の創造主なる神を知ること」です。日本人である私たちは、神様が1人ではちょっと心細い、むしろたくさんいる方が安心だという感覚を持っています。しかし、まことの神は天地の造り主であり、主権者であり、この方のいのちによって私たちの人生が始まり、この方の愛によって私たちの人生が導かれ、この方の深い御心の中で私たちの人生が閉じられ、天に移されていくと教えています。この恵みの真理を知った時、私たちは世界を見る目が変わったのではないでしょうか。
一方、私たちが 新約聖書を学ぶ目的は、ヨハネ福音書20章30節で明確に教えられています。「これらのことが書かれたのはイエスが神の子キリストであることをあなたが信じ、イエスの名によっていのちを得るためである」。 神の御子が人となって私たちの世界に来てくださった。そして彼こそが全人類を罪と死から救いうる唯一の救い主であることを信じ、永遠の命を得るためであると教えられています。
今朝は1人の高齢の兄弟が救いの証をしてくださいました。幼いころより厳しい境遇の中で歯を食いしばって生きてきました。ひどい仕打ちに世を恨み人を憎みもしましたが、キリストのもとに招かれ、十字架の赦しと平安を受けることができました。彼は残りの人生をこのように生きたいと語ってくださいました。「残りの人生を、他人の傷に包帯を巻くように生きていきたい」と。怒りや恨みや復讐に生きるのではなく、他者の心の傷にそっとやさしく包帯を巻く、そんな人生を歩みたいと。私はそのことばを聴いて深く感動しました。キリストを信じる時、人は神の愛の中に歩みだす、新しい始まりを経験することができるのです。
Ⅱ 福音とは
福音とは「喜びの知らせ」
good ニュースを意味します。まもなくクリスマスを迎えます。クリスマスツリーには金や銀のベルがたくさん飾られます。これらのベルは神の御子イエスキリストの誕生を全世界の人々に高らかに告げ知らせることのしるしとなっています。西洋の大きな教会では、屋上に尖塔が築かれ、鐘がつけられています。この鐘は礼拝の始まりを町中に告げ知らせるためのものです。「神の御子イエスキリストの喜びの知らせを聞く礼拝が始まるよ。さあみんな集おう!」というメッセージを込めて鐘が鳴らされると聞いています。
残念ながら、日本では教会の鐘がうるさい、安眠妨害だとばかりに周囲から苦情が出て、鐘を鳴らせない寂しい現実があるようです。しかし私たちは心の中に喜びの鐘を鳴らし続けたいものですね。
アメリカ映画などで「ちょっとお話があるのですが」と言われた時に、「それはグッドニュースかバッドニュースか」と問いかけるシーンをよく見かけます。 この世の中にはグッドニュースよりもバッドニュースの方が圧倒的に多い、そんな経験を私たちは重ねています。 特に年末ともなり、何かと慌ただしくなり、日も早く暮れ、夜が長くなり、そこに寒さも加わってくると嫌なことばかりが耳に入ってきて、気持ちも暗くなってきます。多くの人々は「何か良いことがないか」、「いい話がないのか」と、ため息をつくことも多くなってくるようです。
お寺の鐘は除夜の鐘に代表されるように「ゴーン(gone)」と響き、教会の鐘は「カーン」と鳴ります。「嫌なことはみんなあっちへ去って行ってしまえ、ゴーン!」と。。
でも、いい知らせも悪い知らせも、すべてが共に相働らいて神は最善へと導かれると信じているので、教会の鐘は、「カモン・カーン(come)」となると、ユーモアを交えて語られます。人生におけるすべてのことを、喜びも悲しみも、苦も楽も、心を刺す傷も痛みも、あるがまま受けとめる「恵みの力」がキリストにあっては用意されているからです。
聖書は次のように教えています。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ロマ8:28)
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」
今日からマルコの福音書の講解説教がはじまります。
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