【福音宣教】  頑ななこころを砕かれる主イエス

イエスは怒って彼らを見まわし、そのこころの頑ななのを嘆きながら、その人に手を伸ばしなさいと言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元通りになった」(マルコ3:5)


再び、イエス様は安息日にカペナウムの町のユダヤ教の会堂に入られました。前週の安息日に、パリサイ派の律法学者たちと安息日を巡って激しい議論が交わされた場所です。

ユダヤ教では土曜日の安息日に関する戒めは最も重要であり、一切の労働が禁じられていました。ハンカチをもって歩くことは違反にならないか、腕に巻いて歩く場合はどうかと真剣に議論されるほどでした。いのちにかかわる緊急の場合は救助や治療を行うことは例外的に認められていましたが、骨折しても捻挫しても治したり、冷たい水で熱をさますことは禁じられていたそうです。ローマ帝国は属国に対して徴兵の義務を負わせていましたが、ユダヤ人は安息日には武器を取らず決して戦わなかったため、兵役を免除されるほど徹底していました。ですから律法に厳格なパリサイ派の律法学者たちは、安息日にイエス様が病人を癒したり、悪霊を追放したり、弟子たちが麦畑の麦を摘んで食べることを容認したりするのを見聞きするにつれ、イエス様の言動にいらだち、敵対心を募らせていました。激論が交わされ、対立関係がホットな場所に再び出かけるようなことは普通ならば避けたいものですます。しかしイエス様は大切なことを先伸ばししたり、回避せず、しっかりと正面から向き合い、道を正されるお方です。

会堂の最前列は名誉席と呼ばれ、特別重要な立場の人々が座ります。イエス様の教えをチェックするために律法学者たちが陣取っていたようです。しかもその日には、会衆の中に片手の萎えた男性が混じっていました。居合わせた人々は安息日にイエス様が彼を癒すか、癒さないか固唾を呑んでじっと見守っていました。彼は、生まれながら片手が不自由であったのではなく、病気か事故で障害を持つようになったようです(バークレ
)。

しかも、彼からイエス様に「癒してください」と、願い出たわけではなく、一人の礼拝者として、神の言葉を聞くために会堂に集っていたようです。障害を負ったことを受け入れつつ、精神的な安らぎを求めていたようです。すべての病人が癒しを強く求めているわけではありません。すべての障害者が健全なからだの回復を強く祈り求めているわけではありません。自分の身に起きてしまったことを否認したり、拒絶するのでなく、あるがままに受け入れ、病もハンディキャップも自分の一部として受けとめ、さらにはこれもまた神様からの贈り物とまで心の扉を開いている方もおられます。ある牧師は「人生は十字架だよ。横の水平な軸はこの社会で仕事や人と交わって共に生きていく生活。縦の垂直な軸は、目に見えないが創造主なる真の神を礼拝し、神のことばに聞き従い、神と共に生きていく霊的な生活。二つの軸が交わるところに救い主イエス様がおられる」と。水平な軸だけで生きていくと、この世の幸不幸に支配され、成功しなければ取り残された、落ちこぼれたと嘆き、孤独を味わいます。しかし縦の軸があると知っている人、信じている人には、置かれた状況に振り回されない落ち着き、安定感、安心感があり、その生き方に深みがあり、天を見あげる聖さがある。この世は横軸の大切さを処世術として教えますが、教会は縦軸の大切さを信仰として教えます。信仰は神の言葉を聞き、心に蓄え、祈ることによって養われるからです。

2. 手を差し伸べなさい
イエス様は、会衆の中に彼を見つけると、あえて彼を会衆のまんなかに立つように招き、「安息日にしてよいことは、善を行うことか悪を行うことか、いのちを救うことか殺すことか」(4)と、律法学者たちに問いかけました。彼らは黙りこくってしまいました。

一方、イエス様は手の不自由な男性に「手を伸ばしなさい」(5)と命じました。彼は伸ばすことなどできないはずの腕を伸ばそうとしました。イエス様のことばに素直に従おうとしたのです。すると彼の腕はたちどころに癒され、自由に動かすことができるようになりました。

マルコはここでイエス様の「奇跡」を強調しているのではありません。むしろ、パリサイ派の律法学者たちの「心のかたくなさ」と、片手が不自由ながら障害を受け入れつつも、神の言葉を聞いてこころの糧として生きていこうと礼拝に出席し、イエス様のことばに「素直に従順に従おう」とする「素直な心」とを対比しているのです。

イエス様に対して、心を閉ざし、黙りこくって、頑なにまで口を閉じ、敵意をいだいているパリサイ派の人々に対してイエスは「怒って彼らを見まわし」(5)とあります。聖書の中でイエス様が怒られたという箇所はわずかです。幼子たちがイエス様のもとに駆け寄ってきたとき、弟子たちが彼らを止めたとき(マルコ1013-16)、神殿の異邦人の庭と呼ばれる唯一の礼拝の場が、両替商人や犠牲の供え物を売買する店で占領されてしまっていたとき(マルコ1115-18)。そして黙示録で終末において、「小羊の怒り」(616)が降る時です。

イエス様はパリサイ派の律法学者たちの、心のかたくなさと沈黙に対して激しい怒りを向けられました。その上、彼らは手の不自由な障害を抱えた者へのいたわりさえ持ち合わせていなかった。自分のそばに痛みや悲しみや困難を抱えている人がいるにもかかわらずまったく無関心。障害をかかえ働くことができずに、経済的にも苦しいなかに置かれているだろうという生活の窮乏に対する想像力も共感性もない彼らの無慈悲な姿にイエス様は怒りを覚えられたのでした。

主イエスの怒りは嘆きであり、涙でもあった。律法の専門家たちが、安息日の意味を見失ってしまっていたからです。安息日は、神の平安に招き入れられ、人間的な力のみで生きていこうとするすべて営みを中断し、すべてを創造し、ご支配される神に全面的に信頼して、神を礼拝する日でした。さらに、律法の専門家たちが、最も重要な律法の教えである「神を愛し、隣人を愛せよ」という戒めを空洞化してしまっていたからです。同じ会堂にいる「隣人」にさえまったく気づかない、見えていないのです。

彼らの心のかたくなさの行く末は、席を立って会堂を出たときに、ヘロデ党の者たちと一緒になってイエスの暗殺を企てる(36)という結末に至りました。ヘロデ党はローマ政府に加担する異邦人のヘロデ王一族と密接につながり、パリサイ派とは普段、反目しあっているグループですが、イエス様の暗殺という点で一致し、手を結んだのでした。こうして遂にイエス様の十字架の死へと時計の針が動き始めました。その意味で6節はマルコにとっては非常に重要な聖句でした。

3. 心を砕かれたニコデモ

イエス様のことばを受け入れない「頑なな心」こそが、神の御前における最大の罪です。罪とは犯罪行為のことや、道徳的な不完全さのことでもありません。イエス様を拒む頑なな心そのものこそが罪、まとはずれなのです。神を信じる人々は多くいます。しかし神が世に遣わされた救い主である主イエスを信じ、受け入れる人々は決して多くはありません。

もちろん、すべてのパリサイ派、律法学者がイエス様を拒み続けたわけではありません。例外的な人物がいました。すでに律法学者たちの頂点に立ち、国会議員の一人でもあり、民衆からも尊敬されていたニコデモという老学者がいました。彼は夜、人目を避けて、イエス様のもとを訪ねてきました。イエス様は「だれでも水と霊とから新しく生まれなければ神の国に入ることはできない」(ヨハネ35)と、いのちの真理を語りました。真理の御霊が働くとき、頑なな岩のごとき心も、砕かれます。彼は3年近くイエス様のことばを心の中で温め続けました。十字架の死に至るまでのいきさつもつぶさに見ていたことでしょう。み言葉がニコデモの頑なさを砕き、律法学者としてのプライドからも解放し、ついに彼はイエス様の弟子となり、名誉も社会的地位も捨てる覚悟で、イエス様の遺体の引き取りを総督ピラトに願い出たのでした。この人もイエスの弟子であったのかと驚いた総督ピラトは特別に許可を与えました。こうしてニコデモは、彼にしかできない尊い奉仕に用いられたのでした。彼の愛と奉仕によって、復活という栄光に満ちた神の御業が明らかになったのでした。

雨だれ岩をも穿つといいます。どんな頑なな心も、み言葉と御霊が働くところでは砕かれます。

「御子の血による贖い、罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによるのです」(エペソ「17