【福音宣教】 神の家族になろう

神の御心を行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」(マルコ3:35)

イエス様はナザレの村に連れ戻そうとやってきた家族に対して「私の母、兄弟、姉妹とは、天の父の御心を行うものである」と語られました。イエス様の兄弟とは、ヤコブ ヨセフ シモン ユダ、そして妹たち(マルコ332)のことです。イエス様は、この機会に「血縁による家族ではなく、信仰による神の家族」という新しい霊的な家族、共同体を形作ろうとされたのでした。
そもそも、家族ってなんでしょう? わかっているようで突き詰めるとわからなくなります。
国語辞典によれば「同じ家に住んで暮らしを共にする血縁の人」と定義されています。民法では、「家族」という言葉は明確に定義されておらず、親族(血族、配偶者、姻族)という言葉が使われています。す。社会学では家族は、結婚、血縁、養子などによって結合され、共同生活を営む集団」と捉えられています。晩婚化、未婚化、少子化など、社会の変化によって家族の形態は多様化し、家族に対する考え方も多様化しています。固定観念に囚われることなく、一人ひとりの「家族の形態」を尊重する必要があると指摘されています。時代や社会が変われば家族の在り方も変化し、夫婦や親子だけが家族ではなく、多様性に富んだ家族の形があるという考えが必要になってくるとされています。

血縁を強調すれば「夫婦はしょせん他人」「嫁と姑は他人」となり、同居を強調すれば、独立している子供は家族ではなくなります。親密性の深さから言えば人間よりはペットのほうが深い関係ともなる。同性婚カップルも存在しています。親子の縁を切った子は、もう家族でないのか?育児放棄の母親は?介護放棄の子供は?家族と言えるのだろうか。家庭内離婚や機能不全家庭は? さらには生殖補助医療技術を通して、精子・卵子提供者、出産者、養育者つまり遺伝上の親が二人、生みの親が一人、育ての親が二人いる子供が生まれています。その子の家族は?どらえもんはのび太君の家族? ペットはもはや家族?。

家族の在り方を定義したり、家族と家族でない者の境界線をどこに引くかが本当に難しくなっています。あなたは「家族とはなに?」と問われたらどう答えますか? 
複雑化する現代と異なり、イエス様の時代、古代社会では男性中心の家父長制度が強く、父親の絶対権力と地位に隷属する形で子供や妻はおかれていました。そんな時代環境中でイエス様は、遺伝や血縁によらない新しい家族のかたち、在り方を創造されようとされているのです。「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです」(ガラテヤ32628

イエス様の語る新しい神の家族のカタチとあり方を学びましょう。

第一に、「私の兄弟、姉妹、母である」(35)と、姉妹という言葉が明確に語られています。つまり、男女の性というジェンダーを超えた平等や人間性の尊重が語られています。イエス様には12使徒を中心とした男性グループのほかに、マグダラのマリアを中心とした女性の弟子グループがあり、互いを「兄弟姉妹」と呼び合い役割を担い合いました。当時としては画期的な集団、共同体の在り方といえます。神の御国の新しい家族の形でした。

第二に、「父の御心を行うものは」と、神の御国の家族の共通の目的と機能が語られています。父の御心とはなんでしょうか。ヨハネ6:38-40に明確に記されています。「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」と。父の御心には定冠詞THEがつけられ、あの御心この御心といった複数ではなく、父なる神のまさにその御心という意味があります。主イエスが教えられた「神の御国の家族」の定義は、「天の父の御心を行うもの」たちを指しています。神の御心には定冠詞THEがつけられていますから、父の「あの御心」と限定されています(榊原康夫)。父なる神の大御心 と                                                                  一人一人の永遠の御救いです。神の御国に招き入れられ、永遠の命を間違いなく受けることです。そのために父なる神様は独り子を世に遣わし、十字架かからせ、死なせ、その身代わりの死をもって罪の代価を支払ってくださったのです。「御心を行う」とは、「信じること」です。慈悲と慈愛に満ち満ちた父なる神の救いのご計画を信じることです。そして神の御心を知った一人一人が神の救いの知らせを伝え、神の御国に招き、主イエスキリストを信じ、神の家族として共に生きることです。この地上においても来るべき御国においても。この一つの御心、大御心を知り、信じ、仕えあっていくことが新しい神の家族の目的であり、家族の基盤であり、家族の結束力の要とされています。

第三に、シンプルなことですが、家族の定義に「食事を共に分かち合う関係」が指摘されています。家族の絆は乏しい食料をと主に分かち合って食べて生きていくのが原点にあるという説です。「人類とは、食を分かち合い、その分かち合う基本単位として家族を作った「共食(ともに食べること)をする動物である」(国立民族学博物館 石毛直道名誉教授)と、味わい深いことばを語っています。熊本地震で家を失った家族の小学生が「生きるとは、家族が一緒に食事すること」と答えたそうです。家族とは「共食の関係」分かち合って共に生きる、いのちを支え合って生きる関係といえます。弱肉強食の世界のただ中で、共に分かち合って食べる、支えあい助けあう愛の関係に生きることが家族の素朴なしかし力強いかたちではないでしょうか。そして共食は「饗宴(もてなし)の食事」、すなわち「饗食」の喜びと感謝の心に通じていきます。共食を支えるのは愛の精神、限定されない開かれた、境界線のない隣人愛です。マザーテレサは「世界平和のために何ができるかですって?家に帰って、あなたの家族を愛しなさい」と言いました。同志社大学の佐藤優教授は「家族関係は「give&take」ではなく「GiveGive}の関係です」と語っています。

主の祈りの中で、「日毎の糧を今日も与えたまえ」と祈りますが、「私の」ではなく「私たちの日毎の糧」と祈られています。「私たち」という境界線は「私の家族」だけではなく「私たちの隣人」やがては「世界中の貧しい人々」へと無限に広がっていくのではないでしょうか。つまり、家族というのは血縁によって結ばれた関係ではなく、愛によって選び、ひろげられていく境界線のない関係といえます。それが主イエスが教えてくださった神の家族の新しいカタチといえます、

教会では過去2000年間、聖餐式が継承されてきました。単なる儀式ではなく、キリストの十字架と復活を記念する食事であり、神の前における食卓、御国の食卓ともいわれます。神の家族とは、聖餐式という御国の食卓を共に囲み、感謝し、キリストが与えてくださった永遠の命を喜び祝う、永遠の家族なのです。さあ、あなたも神の家族に加わりましょう。今から始まる聖餐式に、あなたもご一緒に預かり、共に饗宴の席に座りましょう。私たちは主イエスキリストを信じる永遠の神の家族なのですから。

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」(エペソ2:19)