【福音宣教】 ゲラサの狂人 人間性の回復

それで彼は夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分の体を傷つけていた」(マルコ5:5)

ガリラヤ湖の嵐を鎮められた主イエスは弟子たちと一緒に東南の岸ゲラサに到着しました 。この地域はデカポリスとも呼ばれ、かつては アレキサンダー大王によって支配されたギリシャの植民地域であり、ユダヤのベツサイダなどと比較すれば都会でした。主イエスが岸につくや否や、墓場を住まいとする悪霊に疲れた一人の男性が迎え出てきました。デカポリス地方で主イエスが最初に出会われた人物であり、結果的には、ただ一人イエスに癒され救われた人物となりました。

1. 墓場を住処とする男

人間は誰であってもやがて墓の中に入る日を迎えます。しかし生きていながら墓場を住まいとする人はまずいません。ところが彼は墓場以外の場所に安心感を見いだせなかったようです。自分の家族や知人が鎖でつなぎ足かせをして、彼を家の中にとどめようと努力しましたが、鎖を引きちぎり足枷を砕いて再び墓場へと向かってしまう。 誰も彼を止められない。自分の家族や知人、周囲の人々といった人間関係を断ち切って拒絶するため、誰も近づくことができず、誰も近寄ろうとしませんでした。

墓場で死人たちと共にいる方がまだましだと考えるような人物でした。こういう人を異常者、狂人だと人々は呼びます。当時、墓の奥は死人の世界であり、暗黒の闇の世界であり、そして悪霊が住む世界だと信じられていました。従って人々は、彼は悪霊に憑かれた哀れな人物だと考え、恐れていました。

2.  私の名はレギオン

主イエスが名前を尋ねたところ、彼は本名を語らず、「レギオン」と答えました。レギオンというのは、「歩兵5-6000人 騎馬兵 120人からなる獰猛なローマの1軍団」を意味する言葉です。それほど大勢の悪霊が自分の中に住み着いていると彼は言ったのでした。

再び話を戻しますが、ゲラサ地方は別名デカポリス、「十の都市」というギリシャの植民地でした。かつてはギリシャ軍によって古い住民は虐殺され、家を焼き尽くされ、土地を奪われ、ギリシャ風の町が建設されたことを歴史的に意味します。その後 ローマによる支配があり、おそらく殺戮 流血 恐怖などの暗い歴史を住民は経験したことでしょう。爪痕となって残り、深い心の傷を持っていたと想像できます。哲学者の三木清さんは「山奥や深い谷間に孤独はあるのではなく、都会の中に孤独がある」という有名な言葉を残しました。このデカポリス 地方は弟子たちが住んでいたガリラヤ湖周辺のようなのどかな地域ではなく、異邦人の大都会 ギリシャ・ローマの植民地でした。ここからは私の推測にすぎませんが、征服者と被征服者が入り混じる複雑な社会でもあった。そうした中で適合して生きてゆくことがうまくいかず、街の中に居場所が見つからず、共同体から離れ去らざるを得なかった人。誰も寄り付かないような墓場に、一人でいるしか生きる術がない人物でもあったという一面もあるのではないでしょうか。

3.  自傷行為と日夜の叫び

彼は「昼夜問わず 大声で叫び続けていた」(5)とありま。一体、いつ、彼は安らかに眠ることができたのでしょうか。さらに石で自分の体を傷つけ、打ちたたいていたとありますが、彼は激しい自傷行為を繰り返していました。自傷行為は自殺行為につながる深刻な自己否定ともいわれます。自傷行為というのは自分で自分を罰する行為です。リストカット、薬物依存、暴走行為なども自傷行為に属します。腕を切って、流れ出る血を見、強い痛みを感じて、「自分が死んではいない、生きている」ことを確認する行為でもあると言われています。自分が自分でなくなってしまっている。一体、自分は何者なのか、悪霊に支配されて、内部で分裂し、争い、混乱と破壊を引き起こしているのですから、安らかであるはずがありません。「自分はいったい何者なのだ、何をしたいのか」、自己確認を強く求める叫びが、伝わってくるのではないでしょうか。

3. 人間性を奪いとる悪霊

彼は、悪霊に支配され人間らしい営みを奪われ、家族や友人知人ともまともな人間関係を築くことができず、暴力的 破壊的 自虐的に生きている。まさに「人間性を奪われている」状態といえます。これが悪霊のしわざです。悪霊は人間の魂から神への信仰を奪うだけではありません。神のかたちに似せて造られた私たちから、尊厳、栄光、価値を奪い取って「非人間化」を推し進めていく強力な力を持っています。ゲラサの狂人を、単純に精神疾患と言い切ることはできません。2000年前のゲラサの地における特別な出来事として済ますことはできません。

人間性を破壊してしまう行為を、悪霊のしわざだとするならば、現代におけるウクライナ侵攻、ハマスによるイスラエル襲撃、イスラエルによるガザ地域への無差別爆撃。ニュースで報道されないだけであって、私たちの知らないところで、世界中の多くの国や地域や部族間で、今も、この瞬間も繰り広げられている、とどまることのない暴力と殺戮、復讐の連鎖、人権蹂躙、差別、偏見これらも、形を変えた現代における悪霊の働きと言えるのではないかと私は感じます。

4. 悪霊よ、出ていけ

主イエスは彼に対して「悪霊よ、出て行け」と命令しました すると彼は正気に戻ったとあります。 ガリラヤ湖で、自然界の猛威である「嵐」に向かって「黙れ 静まれ」と命じ、これを統べ治められた主イエスは、今、悪霊に対して権威をもって命じられます。 レギオンすなわち5000-6000もの悪霊を敵にしても、ただ一人、主イエスは力ある神の言葉を語り、悪霊を鎮め、追い出すことができるお方です。主イエスの権威がここでも明らかにされています。

ゲッセマネの園で、武装したローマ兵らがイエス様を束縛するために来た時、「父にお願いして、12軍団よりも多くの御使いを、今、私の配下に置いていただくことができないととでも思うのか」(マタイ2653)と、主イエスは血気にはやるペテロを諫めました。

悪霊による様々な残虐的で非人間的な扱い。人から人間性を奪い取ってしまうような出来事 や、人間の手に負えないような悲惨な現状が次々と繰り広げられています。それを統べ治めることができるお方はただ一人、神の御子、主イエスキリストではないでしょうか。 悪霊でさえ「いと高き神の子よ」(57)と恐れているとするならば、 私たちはいよいよ、キリストの聖名を高らかに宣べ伝えていくべきではないでしょうか。そして、霊的な戦いに対する教会に託された唯一の道は、「祈り」にあることを再確認したいと思います。教会の力は、祈りにあります。

かつて無力さに嘆く弟子たちに対して、主イエスは「この類のものは、祈りによらなければ、追い出せるものではない」(マルコ929)と励ましてくださいました。「主の祈り」を弟子たちに教えることを通して、神のみ旨と御国の栄光は、祈りによって地の上においても成就すると、主イエスは約束してくださいました。礼拝ごとに心を込めて、信仰に固くたって、共に「主の祈り」をささげましょう。