【福音宣教】 あなたの家族のもとに帰りなさい

あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたにどんな大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい」(マルコ5:19)

先週、学びましたようにガリラヤ湖を横断して主イエス様が弟子たちとともに上陸した土地はゲラサの地、別名デカポリスというギリシャの植民地であった地域でした。その後、ローマによる支配下に置かれましたが、当然ながらギリシャやローマの神々が祭られていました。ローマ人は豚肉やその加工品を好んで食べ、軍団の旗印に豚の姿を描いたそうです。

岸辺に到着するや否や、墓場を住まいとし、日夜眠ることなく叫び続け、鎖や足かせを引きちぎって逃亡し、自分の体を石で傷つける自傷行為を繰り返すとう悪霊に憑かれた人物がイエス様のもとにやってきました。彼は本名を名乗らず、自分の名前はレギオンすなわち5-6000人からなる獰猛なローマ歩兵師団だと名乗り、自分たちをこの地から追い出さないようにとイエス様に願ったのでした。大勢の悪霊が住み着いて乗っ取り支配している。その結果、自分が自分でなくなってしまって自己分裂を引き起こし、常に自分を破滅と死へと追い立てている。深刻な人間性の喪失状態に追い込まれていた悲劇の人でした。

先輩牧師のもとに、妻が悪霊に憑かれ狂暴になって暴れているので何とか助けてほしいとあるご主人が駆け込んできたそうです。フィリピンの女性と結婚し、彼女は日本に嫁いできましたが日本の文化や風習や仏教習慣になじめず悩んでいたそうです。形相は一変し、獣のような低い声でうなっている。悪霊払いができる牧師を紹介しようとしたら奥さんが「せっかく教会を訪ねてきたのだからあなたがしてあげたら」と言う。「キリストの名によって命じる。「悪霊よ出ていけ」」と祈ったところ、「おまえなど知らん」と言われ、落ち込んでしまった。どうしたらいいかわからなくなって、「イエス様、助けてください。私は無力で何もできませんから」と祈ったところ、スッと彼女から霊が抜けて普通の顔と声に戻ったそうです。その後しばらくご主人と一緒に教会の礼拝に集いようになったそうです。

カトリック教国のフィリピンから日本に嫁つぎ言葉もわからない、孤独の中で抱え込んでしまったストレスからくる一次的な精神疾患と観ることもできます。主イエスに心の底からより頼んだ先生の砕かれた祈りに、主が御力をもって臨んで彼女から悪霊を追放してくださったとも理解できます。きっと重なり合っていたのでしょう。不思議な体験だったそうです。

1.    豚の群れの中に逃げ込んだ悪霊

彼の中に住み着いた悪霊どもは「豚の群れの中に逃れさせてくれ」と主イエスに哀願しました。そうすればゲラサの地にまだ居座ることができると考えたのかもしれません。イエス様が許すと、およそ2000頭ばかりの豚の群れが急に暴れだし、がけからなだれ落ちて全滅してしまったというのです。悪霊は人間ほどうまく豚をコントロールできなかったのでしょうか? それとも地上ではイエス様の権威と支配が及ぶのでせめて海の中であれば自分たちの居場所を見出せると思ったのでしょうか。注解者たちはいろいろ考えています。豚にしたらとんでもない迷惑な話ですが。。。

2.    ゲラサの住民はイエス様を追い出そうとした

豚の所有者たちもゲラサの町の人もイエス様に「この地方から離れてくれ」と要求しました。豚一匹の値段は現代、紀州岩清水 1(約4560㎏)12万円、鹿児島産黒豚は33万円だそうです。単純計算しても2億4千万円。養豚業者たちにとっては大損害。この先どれだけの豚が死んでしまうかわからないというので大慌てだったことでしょう。悪霊に憑かれて人間性を奪われ、苦しむ一人の人間よりも、豚2000頭のほうが大切であり価値があったのです。日夜叫び声を上げ苦しむ人よりもお金になる豚のほうが重要であり、彼らの関心はそこに向けられていました。人間が忘れられ、お金や事業が商売が優先される、現代社会、都市文化の在り方と重なってくる思いがします。

3.    家族のもとに帰るように命じた主イエス

悪霊から解放され癒された男性は、正気に戻り服を着てイエス様の前に座っていました。じっと静かにできず、鎖でつなぎ重い足かせをして縛っていても引きちぎって逃亡してしまう彼が、イエス様の前におだやかに落ち着いて座り、イエス様の語る言葉にじっと耳を傾けて聞き入っていました。たとえレギオン1軍団が彼の人生を支配し、破壊と混乱の中に陥れていたとしても、必要ならイエス様は12軍団もの天使を配置することができるお方です(マタイ2653)。イエス様が統べ治められない状況などは存在しないのです。このことを覚えたいものですね。旧約聖書にも「主を恐れる者の周りには主が陣を張って助け出される」(詩篇347)とあります。だから、「静かにしているならば救われます」(詩篇461)と、神への信頼がなによりも求められているのです。。

「お供をしたい」と願った彼に対して、イエス様は「家に帰りなさい」そして「主がどんな大きなことをしてくださったか」を伝えなさい(マルコ19)と命じました。この場合の「主」は、異邦人であるゲラサ人にとっては、「イスラエルの神」、すなわち天地を創造された唯一の神を指します。ギリシャやローマの神々、大理石や金銀銅で造られた物言わぬ偶像の神々ではなく、み言葉をもって力強く働かれる生ける「主なる神」を指します。

彼には家族があり友人知人がいました。天涯孤独な存在ではなく、所属すべき家族や地域社会がありました。イエス様によって癒され、悪霊から解放され、救われ、人間性と社会性を回復できた彼は、まず家族のもとへ帰り、人間関係を再構築することを何より優先するように命じられたのです。主イエスの救いは十全です。永遠のいのちも、今を生きるいのちも、ともに満たしてくださいます。

そして彼は異邦人の地の最初の証人として、伝道者として、イエス様から「家族のもとへ」と、遣わされたのでした。

宇治市の近鉄伊勢田駅の南西部はウトロ地域と呼ばれ、長年日本社会から取り残された地域とも呼ばれていました。戦時中に飛行場を建設するため日本中から朝鮮半島出身の労働者たちを集め、労働させました。戦後、その飯場あとに形成された集落に、家族たちが多く生活するようになりました。在日韓国人や朝鮮人の集落は、貧困、差別、水道させ敷かれず井戸水に頼る劣悪な住宅環境、そして強制立ち退きなど、長く社会から置き去りにされたままでした。その地域に、一人の韓国人の女性が伝道のために移り住んで、孤軍奮闘しながら、福音を伝えました。その名は、朱南道姉妹。私たちの教会員の娘さんのお母さんです。また開拓伝道中の私たち夫婦を食事に招いてくださり、いつも励ましてくださいました。目に見える大きな成果は得られなかったかもしれませんが、宇治バプテスト教会がこうして伊勢田駅の東側で存続し、福音宣教と愛の交わりの輪を地域に広げていくことができているのも、背後に姉妹の「祈り」があったゆえと、深く神様に感謝しています。

一人一人の役割は異なります。思いも異なりますが、主の御心のみが、いつでも堅く立ちます。(箴言1921)。 召された場所、置かれた場所で、「主がどんなに大きなことをしてくださったか」を、証していきましょう。