
「へロディアはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながらできずにいた。」(マルコ6:19)
今日の個所には、最後の預言者と言われたバプテスマのヨハネの壮絶な最後が描かれています。
ガリラヤ地方の領主であったヘロデ・アンティパスがローマを訪問した時、ローマで暮らしていた自分の腹違いの兄弟のピリポの妻ヘロデアの美貌に惹かれ誘惑し、離婚させ、自分の正妻とも離婚し、彼女の娘サロメとともに迎え入れました。帰国した彼らに対して、預言者ヨハネがこのことを「自分の兄弟の妻と結婚することは律法で許されていない」(6:18)と厳しく批判をしたため、特に妻のヘロデヤが激しい怒りを募らせヨハネを憎んでいました。そのため、ついにヨハネは逮捕、投獄されてしまいました。主イエスがいよいよ12弟子たちをガリラヤ全土に派遣するという本格的な宣教の働きを始めておられるとき、預言者ヨハネが獄中で首をはねられ殉教の死をとげた知らせが届いたのでした。こうして、預言者たちの活動がついに終わり、神の御子・主イエスによる宣教がいよいよ始動する歴史的転換を迎えました。神は、昔は預言者たちを通して語られましたが、「この終わりの時には御子によって私たちに語られました」(へブル1:2)とあるように、終末すなわち御国の到来が現実的となったのです。
1. 理不尽なバプテスマのヨハネの死
主イエスが、「女の産んだものの中で最大の人物」(マタイ11:11) とまで賞讃した預言者バプテスマのヨハネの死は、領主ヘロデが有力者たちを王宮に迎えて宴会を開いた時に予期せぬ形で起こりました。娘サロメの舞を見て上機嫌になったヘロデが、酒の勢いもあって発した不用意な一言がきっかけとなりました。「国の半分でも望むなら褒美にあげよう」と、できもしないことをうかつに口約束したため、「では、牢獄にいるヨハネの首をください」という思いがけない娘のことばに、驚きました。しかし、居合わせた客人たちの手前、あとに引けなくなり、ヨハネの殺害を命じたのでした。いつの時代も、酒で失敗する人、後から人生そのものを後悔する人は後を絶ちませんが、領主ヘロデはその典型的な代表例といえます。小学校の時、修学旅行の費用を父親が酒代に使ってしまって行けなくなった友達がいたことを、思い出します。
報われない預言者のあっけない突然の死、理不尽なできごとに対して、なぜ神はこんな事をゆるされたのか、私たちは理解できず悩み戸惑います。それでも主イエスは弟子たちをガリラヤ全土に派遣し、神の国の福音を語り伝え続けるるように命じました。この世は様々な矛盾や不合理、理不尽さに満ち満ちています。そして私たちは、あれやこれや解決を求めて努力します。その努力が報われるときもあれば、報われないときもあります。神の恵みの御手が速やかに伸ばされる時もあれば、神の長い沈黙の中に置かれるときもあります。
箴言16:1-9は、私たちが信仰者としてこの地上で学ぶ、もっとも大切なレッスンではないでしょうか。「人は心に自分の道を思いめぐらす。しかし、主が人の歩みを確かにされる」(1)。
私たちは人生で直面するあらゆる矛盾、不合理、不正、罪の究極の解決は、キリストの御国の栄光に満ちた完成を待ち望む中にのみあることを学び続ける必要があります。それゆえ、「御国が来ますように、御心が地でもなりますように」と祈りつつ、福音の宣教に励み続けることが私たちに与えられた働きといえます。
主イエスは弟子たちに、「体は殺しても魂を殺すことのできないものどもを恐れるな むしろ 魂も体も地獄で 滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:26)と語られました。地獄で滅ぼすことができる権威を持つ唯一の真のお方がおられるのです。そして今や、その権威は十字架で死なれよみがえられた主イエスにすべて託されています。この世の王と呼ばれる人々は、権力を持っていますが、それは真の権威ではありません。その証拠にヘロデ王は権力の象徴である王の座に就きながら、つねに恐れと不安にかられていました。主イエスの名がガリラヤ地方に知られるようになると、彼は「バプテスマのヨハネが生き返った」(16)のだと自己判断しました。自分が首をはね、殺したヨハネが生き返って自分に復讐に来るとばかりに被害妄想、恐れにとらわれていたのです。領主ヘロデはひそかに獄中のヨハネを訪ね、「その教えを聞くとき、当惑しながらも喜んで耳を傾けていた」(20)と記してあるように、なんとなく中途半端、どっちつかずの態度で日を過ごしていたようです。頑なに拒否するわけでもなく、かといって信じるわけでもなく、聖なる人としてヨハネを恐れながらも、彼の言葉に従い悔い改めるわけでもなく、うやむやもやもやと、後回しにしている中で、突然思いがけない大事件が起きてしまい、ヨハネの首をはねるという不本意な決断をせざるを得なくなったのです。そして、不安と恐れ、良心の呵責の中で「後悔し続ける」という、出口のないもやもやとした日々を送っていました。彼に必要なのは、「後悔」ではなく、神の前に「悔い改める」ことだったのです。
2. 主イエスの前に立つヘロデ
実はこの領主ヘロデが一度だけ主イエスと出会う機会がありました。主イエスはヘロデが住むヨルダン川岸のギリシャ風の都市ティベリアには一度も足を運んでいません。弟子たちに対しては「ヘロデのパン種に心せよ」(マルコ8:15)と、警告を発し距離をとっていました。たった1度だけ、直接ヘロデはイエスと会う機会が備えられました。それは主イエスが十字架で処刑される日の朝の出来事です。祭司長、律法学者たちが、総督ピラトにイエスを訴えた時、ピラトは「この人には何の罪も見つからない」と彼らの訴えを却下しました。ガリラヤ地方の領主であるヘロデが祭りのために、エルサレムに滞在しているということを聞いて、ピラトはヘロデのもとにイエスを送りつけました。 自分から会おうとしたのではなく、「送られてきた」。つまり、あくまで「受け身」でした。ヘロデは非常に喜び、奇跡も見たいと、いろいろ質問しました(ルカ23:8)が、主イエスは何も答えませんでした。がっかりしたヘロデはさんざんイエスを侮辱し、嘲弄したあげくピラトのもとへ再び送り返したのでした。
最後のチャンスもこうして彼はみすみす手放してしまいました。彼が興味本位のどうでもよいような質問をせず、素直に自分の苦悩を告白すればよかったのです。「かつて私は不本意ながらヨハネの首をはねてしまった。そのため実は今日にいたるまでそのことで良心が痛み、後悔の念で苦しんでいる。あのヨハネが語っていたまことの救い主はあなたなのか?」とでも、真剣に尋ね求めるならば、主イエスは彼にまことの救いを与えたことでしょう。事実、ユダヤ教の指導者であったニコデモや会堂司であったヤイロのように、社会的地位も、名誉も、人の目も気にせず、真摯に救いを求めて、尊い御救いを得ました。しかし、残念ながら領主ヘロデは最後まで中途半端な生き方しかできなかったのでした。
何事も他人任せ、状況次第、自分で選べない、決められない、主体性のない生き方はやがて身を滅ぼしていきます。主は「求めよ、さらば与えられん」「あなたの信仰があなたを救った」と、からし種一粒ほどの小さな信仰であっても、支え、励ましてくださる恵み深いお方だからです。そんな中途半端な人任せのヘロデの最後はどうなったでしょうか。歴史家ヨセフスによれば。
自分が建設した都の名を、時のローマ皇帝ティベリウスにちなんでティベリアと命名するほど、皇帝に媚び入りつつ生き延びていた彼ですが、野心的な妻へロディアの後押しで、本人はあまり乗り気でなかったのですが、カリグラ皇帝に、領主ではなく、王の称号をもらえるように直訴しました。ところが、かえって武器を大量に貯蔵している罪を暴かれ、財産と領土の没収、領主の職もはく奪され、追放の刑を受け、流刑地で死んだと歴史家ヨセフスは記している。
ヨハネの死は預言者時代の終わりを告げ、主イエスキリストによる御国の福音の時代の夜明けとなりました。主イエスの十字架の死はまさに一粒の麦となって、やがて全世界にキリストの教会を生み出す始まりとなりました。領主ヘロデの流刑地での孤独な死からは何も生まれませんでした。私たちが地上での生涯を閉じるときに、私たちは何を残すことができるでしょうか。
主の聖徒たちの死は【主】の目に尊い」(詩篇116:15)