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神様の愛に出会って

・・・・・  エホバの証人研究生からクリスチャンへ  ・・・・・

(主婦)

1  イエス様と出会うまでの私

私は子供の頃から自分はなぜ生まれてきたのか、何のために生きているのか、その答えを求め続けてきたような気がします。それは小学校4年生の時に、母が育ての母であると聞かされ、目の前が真っ暗になるほどのショックを受けたからです。すごい孤独感に襲われ、この世に不必要な人間ではないのかと自分自身を追いつめ、いつも心の中は冷たい風が吹いていました。その日から、一人になるといろいろ考えるようになり、ある時は不良になろうと思い、不良になる方法が解らなかったことと、親を困らせ自分を傷つけても何も解決しないのではないかと、思いとどまりました。

これは私の運命なのだ、誰かのせいにしても状況が変わるわけでもないし、それなら自分の境遇を素直に受けとめ、幸せになるよう努力していきようと思いました。人間は皆、いつか死ぬんだから祝福されて生まれてきたのか、両親から愛されているのかわからないけど、せっかく生まれてきたのだ゛からせめて人の役に立って生きてゆこう。人に親切にしたり、喜ばれることで自分は生きてていい人だ、生きる価値があるんだと思いたかったし、誰かに必要とされたかったのです。

また、私のような淋しい思いをしている人、必要とされていないと悩み苦しんでいる人のために力になりたいと思いました。職場で主人と出会い結婚し、かわいい子供たちにも恵まれ幸せな日々でしたが、年月が過ぎてゆくうちにお互いの気持ちにズレを感じるようになりました。主人は私に完璧な妻像を求め、私は身内の争いに巻き込まれ、何もかもが私の上に覆い被さり、一人で苦しむ日々が続きました。子供たちの成長を喜びとしながらも自分の心の中にポッカリあいた空洞、淋しさ、むなしさを何で埋めればいいのかと考える日々を過ごす中で、友人が勧めてくれるあらゆる偶像崇拝をしました。毎日、仏壇に手を合わせ、朝起き会、霊媒師、姓名判断、神社とお地蔵さん参り。それでも心は満たされませんでした。

2  イエス様と出会って

そして8年前、エホバの証人の方から聖書を頂き、「神様はすべての人々を愛しておられ、神の子であるイエスキリストが全人類の罪のために死なれたんですよ。あなたのためにもね」と言われました。神様が私を愛してくださっている。クリスチャンでもない、この私のために死んで下さった。その時、私の心に神様の愛がドスンと入った気がしました。そしてこんなにも愛に飢え渇いていた自分を知らされました。

イエスキリストは歴史上の人物として知っていましたが、私にはまったく関係のない人だと思っていたのに、感動と喜びが心一杯に広がりました。イエスキリストがどのような方なのかを知りたいと思い、聖書研究を始めました。みことばに惹かれて6年間、エホバの証人の研究生として聖書を学んでいましたが、輸血拒否に疑問を感じました。それに最初、身近に感じたイエスキリストが霞がかかったように遠くに行かれた気がして、エホバの証人になることもできない中途半端な自分がいました。

神様は思いもかけない方法で私を救い出し、宇治バプテスト教会へと導いて下さいました。教会でもう一度、最初から聖書を学び、人間が神様から離れ自己中心的な生き方をしていることを聖書では「罪」と呼んでいること、全人類の罪を償うためにイエス様が十字架の上で死んで下さったことを知り、イエス様の十字架の身代わりの死や復活の希望をはっきりと信じることができるようになりました。エホバの証人の研究生だった時の遠い神様ではなく、いつも共にいて下さる神様、今も生きていて働いてくださる神様は、あふれるばかりの恵みを与えて下さり、私の問題を一つづつ解決してくださいました。

「愛のない者に神はわかりません。なぜなら、神は愛だからです。」(1ヨハネ4章8節)

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のためになだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(1ヨハネ4章10節)

3  イエス様を信じた私の日々

今も問題が全くないというのではありませんが、「心を尽くして主により頼め。自分の悟りに頼るな。あなたのゆくところどこにおいても主を認めよ。そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる」( 箴言3章5−6節)。このみことばのようにすべてを主にお委ねして祈りと感謝の日々を送らせていただいています。

神様の愛を知ることによって、父や二人の母からも愛されていたことがわかりました。小さい頃から求め続けていた答えは、神様と出会うことだったのです。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43章4節)

52年間生きてきた中で、こんなにも深くこんなにも優しく暖かく大切に愛しているよと言われたことがあるでしょうか。このみことばをいつも心に留めて、イエス様を仰ぎ、イエス様に従い、イエス様の愛をまだ知らない人々にお伝えして、残りの人生を生きてゆきたいと思います。

1999年11月