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みことばに立って社会に生きる (社会人)
・・・・・新しくなってもいいかな。YES!・・・・・
社会人生活が5年になりました。東京にあるフランチャイズビジネスを立ち上げる企業に就職し4年間働きました。私は外食産業部門のコンサルティングを受け持ち、全国で数十店舗から六百店舗ほどに急成長する過程をクライアントと共に過ごしました。
私は生れた時からクリスチャン家庭で育ち、小学校4年生でクリスチャンになりましたが、中学高校時代はほとんど教会に行かなくなりました。
大学時代は宇治教会で信仰の交わりをもつことができましたが、大学卒業後入社してからは、土曜・日曜日もなく、1年365日、1日18時間、北は東北岩手から南は沖縄まで毎日ホテル暮らしをして全国の店を飛び回っていました。若いからできたことだと思います。そのため、礼拝になかなか出席できませんでした。
そんな私が正直、クリスチャンとして聖書を読み、お祈りを始めるようになったのは今年になってからです。今年の一月から、なぜか、朝、お祈りをして聖書を読むことが習慣になってきました。私は今、デボーションブック「クレイ」を用いています。朝ベットの上や通勤電車の中や喫茶店などで祈るようになってから、仕事の質も生活の質も変わってきたなとつくづく思います。
「あなたは今日も生きて働かれるかたです。すべてを益としてくださることを感謝します。私はあなたの手の中にある粘土です。私を新しく形づくってください。主の栄光を鏡のように反映する者のようにかえてください」今、そんな言葉から祈りだしています。
私は「慎重で石橋をたたいて渡る」性質なので、時々チャンスを逃がしてしまうことがありました。「こんな自分が」という思いに捕らわれてしまうからです。
クリスチャン新聞の記者の方から、証しのインタビューを依頼されました。その後、クリスチャン経営者の集いであるXTPの集いで講演を依頼されました。以前なら怖くて断っていたと思います。「それに値する人間だろうか」「そんないい人間じゃない」「どんな期待をされるか不安だ」と思ってしまうからです。でも、思い切って受諾させていただきました。こんな心境がどこからくるのか不思議でした。自分は若いし中小企業の会社だしと思えばできないことでした。しかし、お祈りをすると、無条件で神様に受け入れていただいている自分を感じ、安らぎが出てくるのです。
「仕事が嫌だ」と思っても、「今日は神様が何かしてくださる。新しく変えられたことを基にして自分は今日、変わっても変わらなくても良い自由が与えられている。神様は受け入れて下さっている。」そう思って動き出すと型にはまらなくなるのです。
私はすぐに答えを出してしまう癖があります。相手の気持ちを聞くことよりも、解決策をすぐ出してしまったり、状況が変化しているのに初期の行動計画に固執してしまうのです。目的と手段を間違えて手段にこだわってしまうことが多くあります。そのたびに落ち込みます。
そんな時、デボーションをすると、私を受け入れ愛してくださっている神様を身近に覚えます。暖かい気持ちになります。「あいつはしょうがない」と思っていても、今日この人も変わりうるかもしれない。イエス様は福音を通じてすべての人に神様との交わりを築こうとしておられる。変われない自分を神様は受け入れてくださり、少しずつだけど変えてくださり、僕もハッピーだ。そんな気持ちで同僚や上司に接することができるようになりだしました。
いもむしは蝶に変化してゆきます。いもむしに必要なのは蝶になるための筋力トレーニングじゃなく、自分はいもむしじゃなく蝶なんだと自覚することが大切だと思います。
自分は若いから、親がこうだから、人に対しても「あいつは今までの仕事がこうだから、これからもこうだろう」と、経験に基いて人を見てしまうことが日常生活の中にたくさんあります。
でも、聖書を読み、聖書につながるときには、私はイエスキリストによって生かされ変えられている、そして今日もまた一つ変わっても良いと教えられました。私自身も今日、まわりの人に対しても新しい気持ちで接しようと思うようになりました。
「神の子供らしく歩みなさい。」(エペソ五章八節)
クリスチャンになることは、単に良い人間になることではなく、まったく生まれ変わった別人になることです。どれだけ神様を知ってるかそれに伴う変化だと思います。私は朝、起きると鏡を見ながら「今日の俺って新しくなってもいいかな」なんて思いながら「YES! 今日もがんばっちゃおうかな」と言って、一日をスタートするようにしています。