第8回 再びエルサレムにて
2000年3月30日、私たちは再びエルサレム市内を見学しました。神殿の丘にある岩のド−ム、ベテスタの池、そしてビア・ドロロ−サ。神の都エルサレムを心ゆくまで体験する恵みの1日でした。
1 神殿の丘
嘆きの壁の近くのモロッコ門を入ると神殿の丘と呼ばれる聖域へ入ります。かつてソロモンによって建てられた荘厳なあった場所、ダビデ王が契約の箱を安置した場所、さらにアブラハムがイサクを神に捧げようとしたモリアの山でもありました。ですからユダヤ人はかつて至聖所があったこの高台部分には、神を畏れて足を踏み入れることをしません。神殿に最も近い場所とされる嘆きの壁で彼らは祈ります。
イスラムがこの地域を支配した時代、691年にウマイア王朝のカリフ・アブドュル・マリクによってイスラムの神殿がこの地に建てられてから、メッカ、メディナにつぐイスラム教第3の聖地となっています。高台の中央に8角形の岩のド−ム(女性の礼拝場)、南端に3000人が一緒に祈れるアル・アクサ寺院(男性の礼拝場)があり、高貴な聖域(ハラム・アッシャリ−フ)と呼ばれています。見事な青いイスラミックタイルで外壁が覆われた1辺20.5mの8角形の寺院部分に高さ30mの黄金色に輝く独特の丸屋根がついたモスクは、現存するイスラム最古の建築物であり、エルサレムのシンボルとなっています。
このモスクは巨大な聖岩(エッサフラ)を覆うように建てられているため「岩のド−ム」と呼ばれています。イスラムの伝承によれば、この岩から馬に乗って天使ガブリエルに案内されてマホメットが天に昇ったと言われています。岩の上にはマホメットの足跡、天使ガブリエルの手の跡が残っているとされています。聖岩の地下は大きな空洞になっており、かつて神殿の祭壇に注がれた犠牲の動物の血がここに流れ落ちるようになっていたのではと考えられています。
このド−ムは大理石の柱で支えられています。柱にも内部の壁にも一面に、華麗で繊細な芸術的装飾が施され、その技術の高さに驚嘆します。イスラムの女性の礼拝場らしい気品を保っています。
岩のド−ム
2 エルサレムの帰属問題
この神殿の丘の聖域で1951年にヨルダン王アブドュラはアラブ青年に暗殺され、1969年にはエルアクサ寺院が熱狂的なキリスト教徒によって放火され、貴重な文化遺産が喪失しました。さらに過激なユダヤ教徒によって岩のド−ム爆破計画が企てられたこともありました。最近の報告では、この丘の地下にイスラムの第3の寺院が建設されつつあり、その工事のためにブルト−ザ−が地下を掘り起こして、貴重な考古学的遺産、世界の歴史的文化遺産を破壊してしまう恐れがあると懸念されています。
1947年にイギリスからパレスティナの管理を委ねられた国連は、バレスティナの地にユダヤ人の国と、アラブパレスティナ人の二つの国を建国するという「パレスティナ分割決議案」を採択しました。この決議案ではベツレヘムを含むエルサレム市と周辺地域は国連管理下におかれるとされたが、実行に移されることはありませんでした。1948年のイスラエル建国宣言とともに第1次中東戦争が始まり、翌年にヨルダンと結ばれた休戦協定で東エルサレムはヨルダンに、西エルサレムはイスラエルの支配下におかれました。国連決議を実行すべく準備が進められている間に、西エルサレムにイスラエル国会が移され、1950年にはエルサレムはイスラエルの首都であると国会決議がなされ、ヨルダンもエルサレムをアンマンにつぐ第2の首都と宣言し、エルサレムの東西分割が事実化してしまったのです。
1967年の第3次中東戦争によってイスラエルはヨルダンの支配にあった旧市街地を含む東エルサレムを奪還し、法的な措置をとって東西エルサレムを統合しました。東西の分割ラインを示していたバリケ−ドは取り除かれ往来も自由となりました。エルサレムを国連管理下におくと決議していた国連は、この併合に反対し措置撤回を決議しました。イスラエル外相は、これは併合ではなく行政上の統合であり、聖地の保護のための必要な法整備であると主張しました。東エルサレムの90%はアラブ人が住んでおり、東西エルサレムの間には越えがたい障害が存在しており、共存と対立という葛藤状況の中におかれています。
1980年にはエルサレム基本法が国会で制定され、「統一エルサレムはイスラエルの首都て゜ある」と宣言されましたが、パレスティナ自治政府とアラブ諸国は東エルサレムは「バレスティナ国家の首都」となるべきであると主張しており、エルサレムの主権と所属を巡って両者は激しく対立し、中東和平合意の大きなネックとなっています。したがって、多くの国々が大使館をエルサレムではなく、テルアビブ市においています。
クリントン大統領の和平合意仲裁案をバラク・イスラエル首相は原則的に受け入れる表明をしています。聖地の地下の主権はイスラエルに残して譲渡する案を模索しているようです。これに対してエルサレム分割に反対する右派市民とユダヤ人入植者らが2001年の1月8日夜に旧市街の城壁を囲んで15万人から25万人規模の抗議デモを行いました。2月にイスラエル首相の公選が行われますが、対パレスティナ強行派のリク−ド党首シャロン氏が世論をリ−ドしており、勝利が予想されています。エルサレム主権を巡る問題はますます混迷を深める気配です。
「平和の町」エルサレムに、いつ真の和解と平和が訪れるのでしょう。人間の政治力ではなく、ましてや武力ではなく、主権者なる神の深い御心の中にこの問題の真の解決があり、神の御計画を仰ぐ者でありたいと思います。
「エルサレムの平和のために祈れ」(詩122:6)