証 し


2008年2月11日
「向日かおりさん blogより」

Women's Live。
大きなライブを一つ終えて、今日は物思い。

みんな今日は仕事をしている。偉いよなあ。
でも私はオフを取った。
明日が、また週末が、連投しなければならないものが控えているから。

「出会い」。これがやっぱり今回の感想です。

声楽やってバロックやって、それからワーシップやって、
神様を賛美する為には「母国語のオリジナル」だと確信した。
日本のゴスペルのフィールドを見た時、もの凄い大きなものと、
それから新しい、だからまだ手つかずの荒れた地のようなものを見、
自分が居た狭い狭い場所でだったけど、その中でただただ地道に戦った。

ひとりぼっちの時間が本当に長かった。
話すことが出来ない。通じない。とっかかりも何も無い。

でも「こうだ」と思った領域に居続けた。

今回感動したことは、本当に神様にあって戦って来た人の美しさだ。
同じ女性の目で「美しい」と思う。

Megさん、霊的な母だと思った。
Ron Kenolyのワーシップを「神様にぶつかっていけるように、
彼の懐にぶつかってワーシップしたくなる。」と言った人がいて、
それが忘れられない。
Megさんも、彼女の「霊的な母」のような存在に、ぶつかっていきたくなる。
自分を神様に捧げた人の姿だと思った。
彼女の姿に、ものすごく教えられ、そして希望をいただいた。

兼松さん。かっこいい・・・。
中部の「カリスマ」と呼んでいる人がいたが、うん、魅力的な方だ。
ああいう魅力は天来のギフトなので、他にないんだなあ。
しかし彼女から本当に学ぶべきところは、教会とゴスペルの間の垣根を取り、
また埋めるための、血のにじむ努力だと思う。
あの苦しみは、人にはあかせられなかっただろう。

と来れば、陽子ラッカーさん。
この方の霊的品性、信仰の落ち着き。
これは練られて練られて練りあげられたものだ。
火の中を通っただろう。水の中も。
しかしその中で立たされ、生かされ、この品性が生まれたのだろう。
私には想像もつかないと思った。

古山夏子さん。
昨日は美しかった。今まで自分は知らなかっただけだろうが、
彼女に女性としての「品格」を感じた。まぶしく思った。
今回のお世話をいっさいがっさい請け負って下さった。
疲れ、気を使い、痛まれたことだろう。
しかし、立っていた彼女は美しかった。

患難があっても、忍耐し、その中に練達が生まれる時、それが希望を生み出す。
聖書の言葉どうりの存在に、本当に感動した。

マリサ。始めて会った。
でも、彼女のあたたか??な、そしてやさしさと強さの共存する存在は
もの凄く魅力的だった。
まだ私の歌を聞いたことがないのに、ソロをくれた。
驚きだった。なんでだろう。
でも聖霊さまがそうおっしゃったのだと、従った。
歌った歌は詩編103。名古屋のVOVの岩田さんのオリジナル。
めちゃくちゃ良い曲だった。
「オリジナル」で礼拝、と思っていた私に、神様とマリサはものすごいものと
結びつけてくれた。もっとあの領域に入っていきたい。
そして何よりマリサが持っている熱く力強い色は私は持っていないもので、
だからこそ私は、自分自身の色を安心して出しても良いと思った。
そして彼女から今までに無い力をもらった。
コラボレートって・・・こういうことだったんだと始めて思った。
本当に感動した。

Segaちゃん。はじめて見たのはVOVの練習。
彼女のディレクションに感動してしまった。今も目に焼き付いてる。
私は昔むかし、マニッシュな男の子(爆笑)になりたかった。
Segaちゃんはそういう魅力満載の人で、背が高ければ私は彼女の世界を
目指していたに違いない(さらに爆)。
それは神様からのギフトで、とても麗しいものだ。
でも彼女への感動は、謙遜。ひた向きにイエスさまについていく目だ。

詩編103編を歌い終わった時、私達は無言で抱き合った。
言葉が無かったのだが、それは「神様が中心にいる」からだ。
目の前に人がいるが、そこにもっとはっきり神様がいる。
神様によって私達は合わされたされた。
この「神様」への、そして「神様」からの思い。
これによって「ひとつ」になる。
これが本当の感動だった。

オリジナルはもう一つ。
アンコールでMegさんの旦那様、Piano Kojiさんが作った(もしくは一緒に
作った??)「あなたは愛されている」をMegさんのディレクションで歌った。
リハの時から号泣直前でやばかった。
こんなに良い歌があるなんて。
歌だけでない。やっぱりこれをMegさん自身がディレクションすること。
今回出会ったみんなと、そして何かを共有してきたみんなと歌うこと。
ここに大きな意味がある。

書ききれない人もいっぱい。今回通訳して下さった市岡裕子さんも一曲
賛美してくださったが、残念ながらこれは聞けなかった。
しかし彼女はこの12月、西宮福音教会、すなわち私の教会に来てくれる。
彼女の本当の魅力に出会えると思うと、わくわくしている。

こんなにも素晴らしい女性達に出会えたことは、私の将来の希望や光になった。
神様からの誕生日プレゼントだと思った。

さらに神様からは、自分がまだまだこれから成長するべき、破るべきことも
たくさん見せていただいた。課題は満載。これがまた希望になる。
自分はまだまだ成長することができるだって。

本当にみんなに感謝。

そのあとも御誕生日のお食事、ごちそうしてくださった方に、
これはまた特別な感謝を。
何より裂いてくださったその時間や労力、そして心尽くしに、
本当に感謝します。

神様がくれた最高の一日に、本当に感謝。



Meg Awano (粟野めぐみ)

 早いものでこの”STAND”Women’s Ministryが始まってから、2年が経とうとしています。
実は、カンフェランスのスタッフのお誘いを受けた時には、ただ、賛美の奉仕をするだけかと・・。まさか、自分が女性ミニストリーチームの一員になって、人々のために祈り、働くといったことをするとは思ってもみませんでした。女性集会へいったり、聖書の女性について学んだりの経験もほとんどありませんでしたから、何も知らない私に神様は何をしなさいと言っているのだろうと、ただ、ただ祈っていました。しかし、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と、この2年間の歩みを振りかえって思います。何よりも私こそ、このミニストリーを経験する必要のあった女性だったからです。
当時の私はまさに、Meg&Piano Kojiとしての新しい賛美ミニストリーが始まったばかりで、夫婦関係について、神様に何度も問われているにも関わらず、夫に対しての不満や主張は常にあり、聖書を読んでいても、「妻は夫に従いなさい」という箇所は見て見ぬ振りをしてしまい、ただ神様と自分の関係だけを大切にして、それを一方的に夫に理解して欲しいと思っていたのです。友の時代、恋人の時代、妻と夫の時代、そして加えて母と父の時代に入ってきて、立場は変化してきているにも関わらず、二人の関係にはなぜ成長しないのだろうか!日々神様に訴える気持ちで生活していました。
しかし、このWomen’sが始まり、定期的に聖書の女性について学び、女性達のために祈り、交わっていくうちに、神様ははっきりと御言葉を通して自分が女性として生まれてきた目的を教えて下さいました。「こうして人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見あたらなかった。〜神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。創世記2:20,22」夫の分身であり、助け手として、重要な役割を担っている妻のセルフイメージを私に与えてくださいました。夫に仕えることは男尊女卑ではなく、役割なのだということがわかったのです。そして、それまでは、自分の生きてきた時代、時代の世間が言う結婚観や男女の関係に翻弄されていて、いかに平安がなったかに気づきました。そんな私を神様はこの”STAND”Women’s Ministryへと導いて下さり、癒してくださいました。
この経験は私の内に大きな変革をもたらしました。神様との関係、教会との関係も深めて下さり、神様に献身する決心が与えられ、伝道に燃やされています。同時に夫にも新しい神様からのビジョンが与えられ、御言葉を土台とした日本語の賛美を作曲するようになり、人々に神様のことばを伝えることを使命とするようになったのです。
このようにして、まず私自身を神様が整えて下さったことで、女性ミニストリーの大切さを実感し、またその為に奉仕ができることを喜びとしています。多くの女性達が日々の生活の深い溝から這い上がれないでいます。STANDとはまさにその溝から立ち上がり、主にある女性として地の塩、世の光として輝いて生きていくことなのです。そのような人々のために祈り、仕えることができるようにと心から望んでいます。「まことに、わたしのいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。私は、いつまでも主の家にすまいましょう。」(詩篇23:6)主に感謝します! アーメン!



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