なんどもそうだん室(ひつ)こにもどる
  

 Q  毎日勉強ばかりでつかれた。どうしてこんなに勉強しなくちゃあいけないの?

A A そうだね。「勉強(べんきょう)とはつかれるものかもしれないね。」
 ある本でこんなことが書(か)いてありました。「勉強(べんきょう)とは元々(もともと)中国(ちゅうごく)語(ご)では<無理(むり)をすること>という意味(いみ)です。商売(しょうばい)で『これ以上(いじょう)まけられません』という意味(いみ)で「勉強(べんきょう)しておきます」と言(い)います」
 だから、勉強(べんきょう)や運動(うんどう)でも何(なん)でも「無理(むり)をすること」が勉強(べんきょう)ということかもしれないね。無理(むり)をすることは、時(とき)には必要(ひつよう)です。マラソンの選手(せんしゅ)もある時(とき)は、空気の薄(うす)い所(ところ)に行(い)って「無理(むり)をして」練習(れんしゅう)をするのです。すると普通(ふつう)のところにいくとらくに走(はし)れるようになるのです。
 でも無理(むり)ばかりしていると、「プッツン」と切(き)れてしまうことがあるね。
 そんな時(とき)にどうしたらいいのでしょうか。聖書(せいしょ)の中に「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦(ろうく)すれば、良(よ)い報(むく)いがあるからだ」とあります。つまり、お友(とも)だちといっしょに苦労(くろう)をいっしょにすると喜(よろこ)びや良(よ)いことがあるということです。
 あなたのクラスが合唱(がっしょう)コンクールで一生懸命(いっしょうけんめい)に歌(うた)って優勝(ゆうしょう)したらどうでしょうか。クラスみんながうれしいよね。実(じつ)はそれが勉強(べんきょう)だけでなくて本当(ほんとう)に<学ぶ>ということになっていくのです。
 イエス様(さま)も「私(わたし)と一緒(いっしょ)に苦(くる)しみを背負(せお)って<学びなさい>と言(い)われていますよ。