なんどもそうだん室(ひつ)こにもどる
  

   「ぼくは、学校に行くと口がかたまちゃって『遊ぼう』と言えなくなっちゃうん。だから、友だちできないの」

 まず、今(いま)のところ無理(むり)をして『遊(あそ)ぼう』と話(はな)しかけなくてもいいと思(おも)うよ。「学校(がっこう)に行(い)くと…」とあるから、あなたは自分(じぶん)の家(いえ)では自由(じゆう)に話(はな)しが出来(でき)るのだと思(おも)います。そうだとすれば、だいじょうぶです。
 学校(がっこう)に行(い)くと、口(くち)が固(かた)まってしまうというのは、学校(がっこう)と自分(じぶん)の家(いえ)とではちがう世界(せかい)だとあなたは、びんかんに感じ取(かんじと)っているのです。このように感じ取(かんじと)ることは大切(たいせつ)なことなのです。電車(でんしゃ)にのっても自分(じぶん)の家(いえ)のように平気(へいき)で大声(おおごえ)をあげてめいわくをかける子(こ)どもがいるね。(最近(さいきん)はこどもだけではありませんが)これは、自分(じぶん)の家(いえ)とみんなのいる所(ところ)の違(ちが)いがわからないという所(ところ)からはじまっています。
 たた、「友(とも)だちができない」というのは寂(さび)しいですね。でも友(とも)だちというのは、別(べつ)に同(おな)じ年(ねん)のこどもでなくてもいいのです。何(なん)でも話(はな)せるなら「おじさん」でも「おばさん」でももう友(とも)だちです。 そして色々(いろいろ)な人(にん)と話(はな)しているうちに、同(おな)じ年(とし)の友(とも)だちもできてくると思(おも)います。
 学校(がっこう)でもきっとあなたに「遊(あそ)ぼう」と話(はな)しかけてくれるようになるので、その時(とき)にはうれしい顔(かお)をして「遊(あそ)ぼう!」とへんじをしてね。  ところでイエス様(さま)はあなたにとってどんなお方(かた)でしょうか。イエス様(さま)はあなたの友(とも)だちでいてくださることを忘(わす)れないでね。