なんどもそうだん室(ひつ)こにもどる
  

    Q先生ってひどんいんだよ。一部の人たちばっかりほめて、他の人たちには「まじめにやらないからできないのよ」って言うんだ。「先生が変わりますように」ってお祈りしてもいい?


 「先生(せんせい)がかわりますように」というお祈(おいの)りは方向(ほうこう)ちがいの祈(いの)りかもしれませんが、「してもいい」と思(おも)います。たとえ方向(ほうこう)違(ちが)いの祈(いの)りでも、祈(いの)り続(つづ)けるとイエス様(さま)は正(ただ)しい方向(ほうこう)へと直(なお)してくださるお方(かた)ですから。
  一部(いちぶ)のひとだけをかわいがることを「えこひいき」といいますね。聖書(せいしょ)の中(なか)には「神(かみ)にはえこひいきはありません」とあります。でもそれと同時(どうじ)に、神(かみ)さまは私(わたし)たちをえこひいきするかのように愛(あい)して下(くだ)さっているとあります。  こんな話(はな)しを聞(き)いたことがあります。それぞれがりっぱに育(そだ)った兄弟(きょうだい)どうしが話(はな)しをしました。一人(ひとり)が、「実(じつ)は、ぼくは親(おや)から『おまえは、兄弟(きょうだい)の中(なか)でも特別(とくべつ)にかわいいのだ!』と言(い)われて育(そだ)ったんだよ」すると他(ほか)の兄弟(きょうだい)たちも言(い)いました「え!おまえもか、実(じつ)を言(い)うとぼくも同(おな)じように言(い)われてきたのだ」
 「自分(じぶん)はとくべつにかわいがられている」との思(おも)いは大切(たいせつ)なのです。あなたは、そのように思(おも)えますか?
 A先生(せんせい)を嫌(きら)うのではなくて、A先生(せんせい)のために祈(いの)っていきましょう。きっといいことがあると思(おも)うよ。