なんどもそうだん室(ひつ)こにもどる
  

  神様がいるなら、どうしてこんなひどいこと何も悪くない子どもが殺されたりすること)をやめさせてくれないの?


 ふたつの点(てん)から考(かんが)えたいと思(おも)います。  ひとつは、もし神様(かみさま)があなたををロボットのように造(つく)られたらどうでしょうか。神様(かみさま)の命令(めいれい)やプログラム通(どお)りに動(うご)くかもしれないが、つまんないよね。自分(じぶん)で考(かんが)えるて決(き)めることが出来(でき)るということはすごいことなのだ。
 次(つぎ)に考(かんが)えたいことは、「こんなひどいことをする人(ひと)」のことだ。17歳(さい)の少年(しょうねん)が人(ひと)を殺(ころ)してしまった事件(じけん)を今年(ことし)は何回(なんかい)も聞(き)いたね。
 でも「こんなひどいことをする人(ひと)」が特別(とくべつ)な悪(わる)い少年(しょうねん)ではなくて、「普通(ふつう)の少年(しょうねん)だった」ということをよく聞(き)きます。つまり、ひどいことをする人(ひと)は特別(とくべつ)な人(ひと)ではなくて、私(わたし)でもありあなたでもあることさえあるのです。
 私(わたし)は中学(ちゅうがく)3年(ねん)の時(とき)に、ある小(ちい)さな暴力(ぼうりょく)事件(じけん)にかかわってしまったときに、このように思(おも)いました。「ああ、そうだ。私(わたし)の体(からだ)の血(ち)の中(なか)に、人(ひと)を傷(きず)つけてしまうような、場合(ばあい)によっては人(ひと)を殺(ころ)してしまうようなことさえある…」  罪(つみ)を犯(おか)してしまう人(ひと)をこの地(じ)上(ちじょう)から消(け)すとすれば、この地上(ちじょう)から人間(にんげん)はいなくなってしまうでしょう。
  イエス様(さま)は、こんな私(わたし)のために、あなたのために、またそのひどいことをしてしまったような人(ひと)のために十字架(じゅうじか)にかかってくださったのです。
 これは、ひとつのヒントです。疑問(ぎもん)に思(おも)ったことを家庭(かてい)や教会(きょうかい)で話し合(はなしあ)ってみましょう。