なんどもそうだん室(ひつ)こにもどる
  

A 質問ありがとう。いま「いじめ」のことは毎日のようにニュースに出てきますね。では昔はなかったかというと、そんなことはありません。旧約聖書の最初の創世記にも出てきます。有名なアブラハムの妻だったサラも自分の奴隷だった女性をいじめています。
 同じ創世記にヨセフという人が登場します。彼は小さい頃に自分の見た夢を語ってお兄さんたちのねたみを買い、兄弟によりエジプトに奴隷として売られてしまうのです。
 つまり、「いじめ」というのは私たちのうちにある罪が、人とのあいだで形となって出てきたものです。聖書は人間の生きてきた歴史が書かれているので、当然「いじめ」が出てくるのです。
 さて、あなたに出来ることは何でしょう。まずいじめられている人のために祈りささえてあげることです。いじめている人のためにも祈りましょう。不思議に解決への道が開かれていきます。「わたしが助けてあげる」という一人のがんばりではいけません。いじめが自分にまわってきてしまう時があります。いじめは、一人で解決できるものではありません。まわりの人が「いじめはぜったいゆるしません!」とならなければ解決できません。
 先ほどのヨセフがいじめた兄弟と仲直りをする場面で、ヨセフは次のように話します。「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことの計らいとなさいました」美しく素晴らしいことばですね。