「夫婦への日々の御言葉」著者:韓国教会情報センター金ハンアン牧師/日本語訳:姜泰進(日本ナザレン教団赤坂教会牧師)

1月の御言葉   2月の御言葉


3月31日(金)

愛の法則

自分のせいで誰かが苦しんだ時に相手を訪ねて和解する事は、イエス様を知らない人でも行う事が出来ます。

ではイエス様と共に生きる者はどうあるべきでしょうか。自分に対して過ちを犯した人が、自分を訪ねて和解を求めて来るのをただひたすら待つのではなく、自ら相手を訪ね、抱擁し、和解の手を差しのべることが、イエス様から教えられた愛の法則です。

「一日の苦労は、その日だけで十分です」と聖書に記されているように、私たちは憎しみや怒りという労苦を持ち続けて生きる必要はありません。その重荷を早く肩から下ろしましょう。

その為には、手紙を書いたり、電話をかける方法もあるでしょう。或いは直接訪ね、心を開いて話しをする事も出来ます。私たちがイエス様の愛の法則に従って行う時、御わざは起るのです。私たちの家庭は、その為のよい練習場です。

もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。
もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。

−マタイ18:15−


 

3月30日(木)

沈黙の時間

イエス様は、時折寂しい所に退いて祈られました。私たちもイエス様のように一人静まる時を持っては如何でしょうか。

とは言え、現実に家庭をあける事は容易ではありません。しかし、一日のうちで「沈黙」の時間をつくる事は出来るでしょう。

例えば、夕食後から翌日の朝食時までの時間、特別な事がないかぎり沈黙の時間とし、家族皆で静まって過ごします。そして、翌日の朝食時に各々が感じた事について話合ってみましょう。「沈黙」こそ黄金である事が分かるでしょう。

わたしは、あなたのすべてのみわざを思い、あなたの力ある御わざを深く思う。

 −詩篇77:12−


3月29日(水)

困った夫

突然怒りだしたり、かといって妙に機嫌がよかったり、はたまた権威を振りかざして威張ったり、と自分の感情をむき出しにして家族の気分をそこない、妻の感情にもまったく配慮しない夫がいます。

妻の不足の訴えを無視し、精神的にも物理的にも支えようとせず、自分を正当化する自己中心的で困った夫です。このような夫は、妻の霊的健康をそこなわせ、女性の価値を下げ、抑圧してしまいます。

しかし、心配はいりません。このような困った夫も、祈りと御言葉によって矯正されることが出来るのです。

ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。
それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。
そして、すべてのものは神から出たのである。
 −第1コリント11:11〜12−


3月28日(火)

夫婦の祈りの習慣

幸せな夫婦生活を創る為には、祈りの習慣をつけることが大切です。
また、夫婦が膝を交えて聖書を開き、命の糧を分かち合い ましょう。
共に御言葉を読む時、互いに心の扉が開かれ、その家庭に神様の御心を実現させる智恵が心の奥から満たされてくることを感じる事ができます。

神様は、あなたたちの家庭が更に祝福される事を望まれます。何も求めず、何も探さず、叩こうとしないなら、神様が与えようとしておられる恵みに与る事ができません。神様も切ないのではないでしょうか。

更に恵まれた結婚生活が備えられるよう、夫婦が心を合わせて祈りましょう。祈りが夫婦生活になくてはならない習慣となるよう努力してみては如何でしょうか。

誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである。

 −マタイ26:41−


3月27日(月)

夫の実家とよい関係を持つ秘訣

「夫と結婚したのであって、夫の実家と結婚したのではない!」そう思っているかも知れません。確かにその通りです。しかし、実際は、夫の実家がさながら牢屋のように感じる時があるのではないでしょうか。

以下に、その牢屋が素晴らしい天国に変わる秘訣を記しましたので、是非参考にしてみて下さい。

1.常に礼儀正しい言葉使いと行動でよいイメージを築き、
2.話すときには短く、話を聞くときには熱心に傾聴し、
3.走り使いや雑役の時には常に先立ち、
4.食事の時には美味しくいただき、褒め言葉を一貫し、
5.訪問するときには帰るまで最上の気持ちで過ごし、
6.夫の家族の記念日等祝う日には真心を込めて祝い、
7.自分の家を誇るよりも常に夫の実家のことを誉め、
8.夫の家族の年配者が自分に好意を持つよう努力し、
9.夫の家族とゲームを興じる時には(トランプ、賭け)常に配慮を怠らず、
10.夫の実家を訪れる際には心を込めたお土産を備える。

神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

−第1ヨハネ4:21−


3月26日(主日)

夫がたくさん!?

結婚は、一個の人格が他の人格と結合し、一つの人格体になろうと努めることです。聖書は、妻は夫に仕えるよう命じています。しかし、実際の結婚生活において、妻が仕えなければならない対象が、必ずしも夫だけに限定されない状況が起きて来ます。

例えば、姑や姑、親族、夫の社会的な身分に対して、或いは、生活環境、経済力、友人などなど、夫に関連するありとあらゆるものが妻にとって、夫のように仕える対象となるのです。

もしも妻が「いや、仕えるのは夫一人だけで十分」と、周りの一切を無視するなら結婚生活に支障をきたす事になるのは火を見るよりも明らかです。

「まるで夫がたくさんいるみたい...」
まさにそうです。あなたが仕え、支えるべき夫がたくさんいるのです。益々夫が増える事を喜びとし、生き甲斐としてみては如何でしょうか。

彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。 

−第1テサロニケ5:13−


3月25日(土)

イエス様のように

イエス様は、捕えられる夜、手ぬぐいをとり腰にまいて、たらいに水をはり、弟子たち一人ひとりの足を洗われました。
その行動が指し示す、イエス様の深い御旨がありました。

今年、私たちの家庭でもイエス様が私たちの為に十字架で死なれたその日を覚え、また、イエス様が弟子たちの足を洗われたように、敬虔な心で礼拝を捧げた後、家族一人ひとりの足を洗ってみてはいかがでしょうか。

夫が妻の足を洗い、子どもたちの足を洗ってみましょう。ふざけたり、冗談半分で行うのではなく、イエス様の思いを持って敬虔な気持ちで行いましょう。夫婦の心を合わせて行うならば、必ずや子どもたちにも深い感動を与える事でしょう。

イエス様も行ったのですから・・・

夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に卷き、
それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、
腰に卷いた手ぬぐいでふき始められた。

 −ヨハネ13:4〜5−


3月24日(金)

赦しの未成熟現象

「神様が自分と相手のすべてを赦す」という事実を認める事なしに、真の赦しはありません。また、真の赦しには「傷」と言う代価を払わなければなりません。

己の痛みを耐え忍ぶ中でイエス様の犠牲を悟る事が出来、赦す事によって生じる犠牲の痛みを絶える力が与えられるのです。ですから、言葉だけで赦しを語る人は、本当の赦しが出来ていない人です。そのような人は、赦すと言いながら何かしらの代価や、担保を求めるなどして、赦しの取引を行おうとします。それは、赦すことではありません。そのような状態を「赦しの未成熟現象」といいます。

赦す時、一切の条件をつけてはなりません。相手に負担を与えてもいけません。何も足し引きせずに行うことが真の赦しなのです。

愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる。

 −箴言17:7−


3月23日(木)

叩きなさい、そうすれば開かれるであろう

私たちは、人が初めから完全な者として生まれるのではないという事を知っています。子どもは、両親の行動や言動の影響をストレートに受けて成長していきます。

結婚生活も同じです。結婚したというだけで、すぐさま円熟した夫婦となるのではありません。様々な夫婦の形を見たり聞いたりしながら、夫婦のあり方を模索し、学び取って行くのです。

大切な事は、結婚生活に失敗した人々をモデルにするのではなく、理想的な結婚生活を送っている人々を模範にする事です。

あなたの周りに、そのような人々がきっといるはずです。彼らに、幸せな結婚生活についての助言を求めるなら、喜んで協力してくれるでしょう。

今あなたが結婚生活に行き詰まりを感じていたり、不安を感じているのなら、迷わずに求めましょう。思いもかけない助けが与えられる事でしょう。

幸せの扉は、叩けば叩くほど広く開かれるものなのです。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、 あけてもらえるであろう。

−マタイ7:7−


3月22日(水)

結婚適齢期の娘へ

結婚は神様が制定されたものです。

結婚年齢が近づいた娘に父母は「幸せな結婚生活に必要な三つの要素」を教え、心の備えをするよう勧めましょう。

1. 祈りなさい−ー祈りは起きる為の準備運動であり、闇を照らす光である
2. 備えなさい−ー結婚生活に必要な以下の三つを備えなさい。
一つ、料理、針仕事、子育て、礼儀など家事一般
二つ、美しさを保つこと
三つ、 人格的な魅力を備えること
3. 前進しなさい−ー紹介された男性が心にかなったら、積極的に関係を発展させなさい。成功に向かって…

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計?に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
−ローマ8:28−


3月21日(火)

重荷

仕える事と責任を持つ指導者になるのとでは、どちらの負担が重いと思いますか?実は、仕える妻に比べると、キリストが夫に要求している事の方が最も大きな荷物なのです。

夫は、神の御前に一人のクリスチャンとして、家庭の頭となるべき責任があります。うわべだけの頭ではなく、実質共に夫としての務めを果たし、家庭内で起る様々な事柄に責任を追わなければなりません。

その責任から逃れようとするならば、もはや夫とは言えません。

夫たる者よ。あなた方も同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、
知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みと共どもに受け継ぐ者として、
尊びなさい。それは、あなた方の祈りが妨げられないためである。

 −第一ペテロ3:7−


3月20日(月)

妻は手形保証人

妻は夫との関係において手形保証人になるべきです。

「夫は人から頼まれたらイヤと言えないたちで...」
「うちの夫ときたら仕事をするために産まれてきたような人で....」
「わたしの夫ほど勤勉な人はいないのではないかしら....」

そうです。これほどまでにあなたの夫を知りつくしている人は、あなた以外にはいません。そんな妻だからこそ、夫の能力を最大限に引き出す事が出来るのです。その為のとっておきの秘策をお教えしましょう。

その秘策とは、妻が笛吹き名人になる事です。はて?笛吹き?とお思いでしょう。この笛を上手に使用することで、夫がよくも悪くもなるのです。

夫の長所には力強く吹き、短所には弱く吹きます。その時、できれば息を吹きかける程度で極力音は出さない方がよいでしょう。

実はこの笛、謙遜な人はあまり鳴らしません。ですから、笛を吹くタイミングに気をつける必要があるのです。妻の吹く笛の音が、夫に心地よいものとなればしめたものです。

そのような笛を吹けば吹く程、夫の手形がより多く、より豊かに発行されることになるからです。不渡り手形を出したくなければ、妻の成すべき事は明らかでしょう。

妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から惠みを与えられる。   

−箴言18:22−


3月19日(主日)

対話こそが・・・

一つひとつの言葉がつながって対話となります。あなたの家庭に豊かな対話がありますか?

聖書は「ことばは神であった」と述べています。まさに、言葉は私たちにとってなくてはならないものです。

主に在る夫婦や家族の対話も、キリストを中心に迎え入れた対話であるべきです。
対話のない家庭は、もはやキリストがそこにおられないのと同じです。「対話」という管を通らなければ、キリストを通して注がれる祝福の門が閉ざされてしまいます。

心の通い合った対話こそが、円満な夫婦関係を維持させるのです。

こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、
真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。

−エペソ4:25−


 

3月18日(土)

パウロ愛の宣言

― 愛は不義を喜びません ―

1.  不義の側に立たず、義の側に加わります。
2.  正当な理由がなければ受けることも喜ぶこともしません。
3. どんなに大金を積まれても不義には従いません。
4.  不健全なものを楽しんだり、誘惑したりしません。
5.  隣人の失敗を望んだり、喜ぶ事をしません。
6.  隣人の不幸に拍手を送るのではなく、共に涙します。
7.  隣人が不幸に遭遇するなら、最も暖かな友情を示します。
8.  噂だけで決めつけず結果を見て判断します。
9.  不義によって生じたものはすべて排除します。
10   喜びや悲しみ、苦しみさえも分かち合い、共に徳を高めるよう努めます。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。   −第1コリント13:6−


3月17日(金)

赦すべきか、赦さざるべきか

夫婦生活は、現在との戦いであると共に過去との戦いでもあります。何故ならば過去の上に現在があるからです。

もしも、過去に苦しい思い出や、消えない悲しみ、汚名を被せられたり、辱めを受けた苦い記憶が今もぬぐい去れないとしたら、日々多くの精神的ストレスを抱えて生きることになります。

それら過去の重荷から解放される方法は、赦すか、赦さざるべきか、或いは、仕返しすべきか、止めるべきかをどちらか一つを選択し、決断を下す以外にありません。

片足を赦しの道に、もう片足を復讐の道に向けて生きるなら、生活のエネルギーが分散されてしまい、疲労困ぱいするだけだからです。

復讐したいのなら潔くやりなさい。それが出来ないのなら赦すことです。赦すことが出来ずに、ずっと胸に抱いたままでいるのは、あなた自身が自分を拷問しているのと同じです。

傷をもたらせた相手を赦すことは、拷問のエキスパートであったあなたが、霊魂の腫瘍を取り出す命の医師へと変身することなのです。

もう十分です。自分を傷つける事は止めて下さい。

憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。  

−箴言10:12−


3月16日(木)

あなたのお金?私のお金?

結婚生活で、難しい問題の一つにお金の問題があります。
夫婦どちらが管理すべき、という原則はありません。それは夫婦の合意によって決めるべきでしょう。
そして、どちらが担うにしても、お互いが解放し、責任感を持って使わなければなりません。何故ならば家庭経済に問題が生じると、夫婦間の信頼関係に亀裂が生じてしまうからです。

物がある所に心もある、と云います。夫や妻が、与えられたお金を正しく用いる事が出来なければ、結果として誤った思いや行動を起こす事になります。

物がもたらした代価は、必ず支払わなければならないという事を夫婦が共に認識すべきです。

あなたの実のある所には、心もあるからである。

−マタイ6:21−


 

3月15日(水)

妻が夫の成功の妨げに?

妻の無関心は夫の可能性をさえぎる有刺鉄線のようなものです。
妻としての役割は、夫の目標を知るだけで十分とは言えません。

夫の計画を理解しようと努め、その計画が神様の御心にかなうように祈る時、神様が妻を通して答えを与えて下さることもあります。

夫婦の愛とは、ただ互いを見つめ合うのではなく、同じ方向を見て、共に手を携えて進むことです。

同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、
わたしたちがキリストの奧義を語れるように
(わたしは、実は、そのために獄につながれているのである)、

 −コロサイ4:3−


3月14日(火)

ホワイトデー

3月14日は、愛する人にキャンディを贈る日です。
赤いキャンディをまとめて花束のようにしても素敵ですね。
緑の飴で作った花籠に色とりどりのキャンディを盛るのもまた一考でしょう。

ところで、結婚記念日に花束のプレゼントはしましたか?もし、忘れていたら、この機会を用いない手はありません。

あなたの年と彼女の年をあわせた数の飴をつなぎ合わせて「キャンディレイ」を作って、そうっと首にかけてあげては如何でしょうか。

普段は気恥ずかしくて出来ない...そんなあなたの為にこの日があるのでは?
3月14日は 確かに、ただの一日でしかないかもしれません。でも、その一日をあなたがどう思うか、どう行動するかによってどんな日にもなるのです。どうでしょう。素敵な日、嬉しい日、妻が喜ぶ日にしてみませんか。

あなたの泉に祝福を受けさせ、あなたの若い時の妻を楽しめ。  

−箴言5:18−


3月13日(月)

愛の殉教の場所

教会は神様の家です。
自分の家を守るように、教会も誰かが守らなければなりません。日々家の掃除を行うように教会も誰かがしなければなりません。

教会の中でどこか一カ所、自分の担当する場所を決めて、きれいに掃除しましょう。講壇やピアノを拭いたり、聖歌隊のガウンの整理、トイレ掃除、キッチン周りや、ゴミ箱や、その周辺の整理etc・・・、探せばいくらでも見つかります。

イエス様は私たちのために血潮を流されました。私たちも主の体なる教会のために汗を流すべきではないでしょうか。

そして、それらの場所の務めを子どもたちに祈りつつ継がせましょう。その場所こそが、愛の殉教の場所になるでしょう。

あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエスキリストに対する
望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。  

 −第1テサロニケ1:3−


3月12日(主日)

似た者夫婦

「よく似たご夫婦ですね・・・」
こんなふうに言われた事はありませんか?。

人によっては、夫婦が正反対の方が互いの欠点を補い合うからよい、と考える人もいます。たとえば、夫が短気で、妻がのんびりや・・・というように。

しかし、必ずしも正反対の夫婦ばかりがよいとは言えません。
賢い妻と愚かな夫が理想的な夫婦でしょうか。背の低い夫と、背の高い妻が素晴らしくお似合いのカップルでしょうか。無知な妻とエリート意識を持った夫がうまくいくでしょうか。

そう考えると、あながち正反対がよいとも言えませんね。では、よい夫婦になる為の原則は存在しないのでしょうか。

実は一つあります。それは、お互いのよさを認める事です。相手のよい所に接するうちに、人は自然に、その人に似ていくものです。

一緒に生活する中で、食べ物の好みが似てきます。何気ない癖や言葉遣いが似て来る事もあるでしょう。そして経済感覚も、価値観も似て来るのです。
それこそ 最高にお似合いの夫婦です。

もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、
一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな
共に喜ぶ。

−第1コリント12:26−


 

3月11(土)

不幸な家庭になる為の10の方策

幸福の扉が努力する事によって開かれるように、不幸が家庭に忍び寄るのも決して自然に起るのではありません。夫婦の行動の結果として不幸を招くのです。もしも、不幸になりたいと思うなら、以下の方法を行ってみて下さい。

1.  常に文句を口にする事。

2.  仕事のストレスは家庭に持ち込み、妻にぶつける事。

3.  お金は使う為にあるもの。生きているうちに思う存分使い果たすべし。

4.  「駄目だ!出来ない!無理だ!」とため息を吐き続け、常に強迫観念を抱いて、最悪の状態をキープし続ける事。

5.  教会に行って時間を割かれるより、十分な睡眠を取る方が懸命である。

6. 「 駒は打ってこそ回る!」妻も同じである。出来れば3日に一度は辛くあたる事。

7.  未来は空想の中でだけ楽しみ、今の自分は、過去に浸って生きる事。

8.  人を気遣う必要はない。人は皆自分の益の為に存在するものである。

9.  家事はすべて妻の役割である。夫は決して手を出す事なかれ。

10.「自分たちの結婚は間違いだった」と頻繁に口にする事。

以上の事を実践すれば間違いなくあなたも不幸になれます。

悪しき者の家は滅ぼされ、正しい者の幕屋は栄える。  −箴言14:1−


3月10日(金)

性生活の主導は、夫?妻?

妻が先

肯定的な面
・  妻が愛情を表現したい時に主導すると、夫に対して十分に愛を伝えられる。

否定的な面
・  女性が主導するのは不自然なようで気がとがめる。
・ 自分の思いだけで主導すると、性生活の頻度が減る心配がある。

夫が先

肯定的な面
・  妻に対する愛情の積極的なアプローチが出来る。
・ 妻に「愛されている」という安心感を与えられる。
・ 夫が主導すれば、妻に十分な愛情を伝える事が出来ると思う。

否定的な面
・ 気分が乗らない時は石像のようになり、自分が好む時だけ一方的に求める自分本位な性生活になる畏れがある。

以上のように、性生活の主導をどちらが行うにしても、それぞれの考え方に相違があります。どちらが主導するのかではなく、夫婦が共に同じ思いを持ち、まさしく「一心同体となる」事を先ず祈るべきではないでしょうか。

ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。 

 −第1コリント11:11−


 

3月9日(木)

優れた夫になる為の10の知恵

1.夫は「 夫」であって「独裁者」ではありません。
2.「夫が家庭の頭である」という事は「他のものより優れている」という意味ではありません。
3.夫は専売特許の独占権を持つ意思決定者ではありません。
4.夫の決定がすべて正しいわけではありません。意見の相違を認めましょう。
5. 夫は指導者である前に、よき伴侶であるべきです。
6.夫はまず家族一人ひとりの価値を認め、尊重する必要があります。
7.夫は家族の基本的な要求を満たす義務があります。
8.夫は家族の個人的な目標達成の為に尽力しなければなりません。
9.夫は、家族一人ひとりの能力が十分に発揮出来るように、最大限の努力をしなければなりません。
10.  夫は、家族が互いに心を開いて話合える場を設けるべきです。

主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。
主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

 −詩篇127:1−


3月8日(水)

黒穂のような人生

麦畑に時折生育する黒穂を知っていますか?初めは他の麦とあまり区別がつかず、見つけにくいものですが、麦全体が実る頃になると、まるで黒い墨のような黒穂は、その独特の醜さを表します。

肉の快楽を楽しむ人生が、まさにこのようです。人の目からは完全に隠されていると思うかも知れませんが、決して神様の目からは隠されていません。どんな秘密であろうと、やがて明らかになる日が必ずあります。その時、苦みを味わいながら涙のパンを食する事になるのです。

よい実だけを得る方法は何でしょうか。それは、腐った根を抜き取り、「新しい人」という苗を植える事です。すると、その穂はやがて豊かな「聖霊の実」を結ばせます。

すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、
霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。

 −ガラテヤ 6:8−


3月7日(火)

愚痴をこぼす妻

男性の幸福は妻の性格によって左右されます。
気難しく、頻繁に愚痴をこぼし、常に他の男性と比較したり、いつもつぶやくような女性を妻に持つと、夫は萎縮し生気を失ってしまいます。何故なら、愚痴や不平は聞く人の心を蝕み、力や才能に冷や水を浴びせ、腐らせてしまう毒素だからです。

愚痴は、愚痴をこぼす妻の窮乏や、不満、見栄、怠慢、全て合わせたものよりも大きな不幸の種を家庭に蒔く愚かな行為です。

「愚痴をこぼす妻」を「感謝する妻」に変えるのは、ただ祈りだけです。

もしあなたのくちびるの言葉によって、わなにかかり、
あなたの口の言葉によって捕えられたならば、  

−箴言6:2−


3月6日(月)

結婚の実

夫婦の間に新しい命が誕生する事程喜ばしく感動的な事はないでしょう。その瞬間夫婦は、夫と妻だけではなく、父と母としての新しい役割を担う事になります。子供は夫婦共通の話題になります。子供のない家庭の寂しさは、そうした夫婦共通の話題がなかなか持てない事でしょう。

ところが子供は予期せぬ話題を絶えず提供してくれる事が多々あります。時には心配や悩みなど困難をもたらせます。しかし、それらの状況に夫婦が力を合わせて取り組む事によって、互いの信頼関係が培われ、家庭全体が調和していくのです。

そうです。新しい命の誕生は結婚の実です。初穂はより尊いものです。

 見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。 

−詩篇127:3−


3月5日(主日)

今月の計画

今日は3月初めの主日です。
今月の目標を立てて家族で話し合っては如何でしょうか。
食卓を囲み、或いは家庭礼拝時に、それぞれの計画を話合い、お互いの為に祈るとよいでしょう。

・ 誰を訪問したらよいか。
・  夕食に招待すべき人は誰か?
・  電話や手紙、電信メールで安否を訊ねたり、感謝を伝える人はいないか。
・  誕生日や記念日等、家族で祝う特別な日はないだろうか
・  買い物や、外食、レジャーなど家族みんなで楽しむ日はあるか。
・  これらの計画に必要な経費は用意できるのか。

 わたしたちの仲間も、さし迫った必要に備えて、努めて良いわざを励み、
実を結ばぬ者とならないように、心がけるべきである。  
 −テトス3:14−


3月4日(土)

「こんな女房がよかった」

夫たちの合唱が聞こえてきます。
「私はこんな女房がよかった」。
自分の夫だけは例外だと思わないで、夫の心の中をちょっぴり覗いてみて下さい。

・  夫や家族のために絶えず祈る妻
・  どんな時にも夫だけを愛する妻
・  夫の話しに聞き従う妻
・  夫を崇拝し尊敬する妻
・  夫に忠実に仕える妻
・  世界中で男性は夫だけと信じる妻
・  料理が上手な妻

男性は皆このような思いを持っています。自分の事は棚に上げて....。

妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から惠みを与えられる。  

 −箴言18:22−


3月3日(金)

「夫」という武器

ある夫は、家族とは自分に満足を与える為にあると思い込み、夫としての権威を振りかざします。
確かに夫は家庭の頭です。そして、家庭の主としての権威を神様から授かっている事も事実です。しかし、自分自身も神様の前に一人の僕に過ぎない事を覚えるべきです。

妻や子どもたちの上に君臨しようとする思いは捨てなければなりません。
「夫」という称号によって権威の要塞を立てたり、或いは武器として用いるべきでは決してありません。

わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。 

  − 第2コリント 10:4 −


 

3月2日(木)

愛は表してこそ

神様も愛を行動で示されたように、愛は表すものです。夫婦の愛も、言葉や行動で表してこそ本当の愛です。心の中に閉じ込めたままの愛は、土の中に隠してある宝と同じです。

子どもたちにとって父母の愛は視覚教材です。目の前に表れた愛の行動を見て子どもたちは愛を学びます。実物教育なしに愛を習得する事は出来ません。

真の愛の意味を知る人は、愛を見た経験のある人です。そして、やがて自らも、愛を実践するようになるのです。

事をよく聞かないで答える者は、愚かであって恥をこうむる。

   −箴言18:13−


3月1日(水)

幸福の練習

練習は、出来ない事を出来るようにする為にあります。また、練習は弱い所を強くする為にもおこないます。練習を積み重ねる事によって、確実に成果が表れるものです。

それは、「愛」も同じです。練習した時間と量によって、そのかたちも変わってきます。車の免許を取得する為にも練習が必要なように、幸せな家庭や、円満な夫婦の関係を築いたり、親子の信頼関係を築く為にも十分な練習が必要ではないでしょうか。

人は一枚の写真を撮る為にさえ笑顔の練習をします。では、毎日のの幸福の為に、あなたはどのような練習をしていますか?笑う練習、愛を交わす練習、喜びや悲しみを分かち合う練習の為に、どれほどの時間を割き、心を注いでいるでしょうか。

もしかすると、それらの労力を怠ってはいないでしょうか。今からでも遅くはありません。さあ、練習に取りかかりましょう!

わたしは真実の道を選び、あなたのおきてをわたしの前に 置きました。   

−詩篇119:30−