「夫婦への日々の御言葉」著者:韓国教会情報センター金ハンアン牧師/日本語訳:姜泰進(日本ナザレン教団赤坂教会牧師)
1月の御言葉
2月の御言葉
3月31日(金)
愛の法則
自分のせいで誰かが苦しんだ時に相手を訪ねて和解する事は、イエス様を知らない人でも行う事が出来ます。 ではイエス様と共に生きる者はどうあるべきでしょうか。自分に対して過ちを犯した人が、自分を訪ねて和解を求めて来るのをただひたすら待つのではなく、自ら相手を訪ね、抱擁し、和解の手を差しのべることが、イエス様から教えられた愛の法則です。 「一日の苦労は、その日だけで十分です」と聖書に記されているように、私たちは憎しみや怒りという労苦を持ち続けて生きる必要はありません。その重荷を早く肩から下ろしましょう。 その為には、手紙を書いたり、電話をかける方法もあるでしょう。或いは直接訪ね、心を開いて話しをする事も出来ます。私たちがイエス様の愛の法則に従って行う時、御わざは起るのです。私たちの家庭は、その為のよい練習場です。 |
もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。
もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。
−マタイ18:15−
3月30日(木)
沈黙の時間
イエス様は、時折寂しい所に退いて祈られました。私たちもイエス様のように一人静まる時を持っては如何でしょうか。 とは言え、現実に家庭をあける事は容易ではありません。しかし、一日のうちで「沈黙」の時間をつくる事は出来るでしょう。 例えば、夕食後から翌日の朝食時までの時間、特別な事がないかぎり沈黙の時間とし、家族皆で静まって過ごします。そして、翌日の朝食時に各々が感じた事について話合ってみましょう。「沈黙」こそ黄金である事が分かるでしょう。 |
わたしは、あなたのすべてのみわざを思い、あなたの力ある御わざを深く思う。
−詩篇77:12−
3月29日(水)
困った夫
突然怒りだしたり、かといって妙に機嫌がよかったり、はたまた権威を振りかざして威張ったり、と自分の感情をむき出しにして家族の気分をそこない、妻の感情にもまったく配慮しない夫がいます。 妻の不足の訴えを無視し、精神的にも物理的にも支えようとせず、自分を正当化する自己中心的で困った夫です。このような夫は、妻の霊的健康をそこなわせ、女性の価値を下げ、抑圧してしまいます。 しかし、心配はいりません。このような困った夫も、祈りと御言葉によって矯正されることが出来るのです。 |
ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。
それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。
そして、すべてのものは神から出たのである。
−第1コリント11:11〜12−
3月28日(火)
夫婦の祈りの習慣
幸せな夫婦生活を創る為には、祈りの習慣をつけることが大切です。 神様は、あなたたちの家庭が更に祝福される事を望まれます。何も求めず、何も探さず、叩こうとしないなら、神様が与えようとしておられる恵みに与る事ができません。神様も切ないのではないでしょうか。 更に恵まれた結婚生活が備えられるよう、夫婦が心を合わせて祈りましょう。祈りが夫婦生活になくてはならない習慣となるよう努力してみては如何でしょうか。 |
誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである。
−マタイ26:41−
3月27日(月)
夫の実家とよい関係を持つ秘訣
「夫と結婚したのであって、夫の実家と結婚したのではない!」そう思っているかも知れません。確かにその通りです。しかし、実際は、夫の実家がさながら牢屋のように感じる時があるのではないでしょうか。 以下に、その牢屋が素晴らしい天国に変わる秘訣を記しましたので、是非参考にしてみて下さい。 1.常に礼儀正しい言葉使いと行動でよいイメージを築き、 |
神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。
−第1ヨハネ4:21−
3月26日(主日)
夫がたくさん!?
結婚は、一個の人格が他の人格と結合し、一つの人格体になろうと努めることです。聖書は、妻は夫に仕えるよう命じています。しかし、実際の結婚生活において、妻が仕えなければならない対象が、必ずしも夫だけに限定されない状況が起きて来ます。 例えば、姑や姑、親族、夫の社会的な身分に対して、或いは、生活環境、経済力、友人などなど、夫に関連するありとあらゆるものが妻にとって、夫のように仕える対象となるのです。 もしも妻が「いや、仕えるのは夫一人だけで十分」と、周りの一切を無視するなら結婚生活に支障をきたす事になるのは火を見るよりも明らかです。 「まるで夫がたくさんいるみたい...」 |
彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。
−第1テサロニケ5:13−
3月25日(土)
イエス様のように
イエス様は、捕えられる夜、手ぬぐいをとり腰にまいて、たらいに水をはり、弟子たち一人ひとりの足を洗われました。 今年、私たちの家庭でもイエス様が私たちの為に十字架で死なれたその日を覚え、また、イエス様が弟子たちの足を洗われたように、敬虔な心で礼拝を捧げた後、家族一人ひとりの足を洗ってみてはいかがでしょうか。 夫が妻の足を洗い、子どもたちの足を洗ってみましょう。ふざけたり、冗談半分で行うのではなく、イエス様の思いを持って敬虔な気持ちで行いましょう。夫婦の心を合わせて行うならば、必ずや子どもたちにも深い感動を与える事でしょう。 イエス様も行ったのですから・・・ |
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に卷き、
それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、
腰に卷いた手ぬぐいでふき始められた。
−ヨハネ13:4〜5−
3月24日(金)
赦しの未成熟現象
「神様が自分と相手のすべてを赦す」という事実を認める事なしに、真の赦しはありません。また、真の赦しには「傷」と言う代価を払わなければなりません。 己の痛みを耐え忍ぶ中でイエス様の犠牲を悟る事が出来、赦す事によって生じる犠牲の痛みを絶える力が与えられるのです。ですから、言葉だけで赦しを語る人は、本当の赦しが出来ていない人です。そのような人は、赦すと言いながら何かしらの代価や、担保を求めるなどして、赦しの取引を行おうとします。それは、赦すことではありません。そのような状態を「赦しの未成熟現象」といいます。 赦す時、一切の条件をつけてはなりません。相手に負担を与えてもいけません。何も足し引きせずに行うことが真の赦しなのです。 |
愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる。
−箴言17:7−
3月23日(木)
叩きなさい、そうすれば開かれるであろう
私たちは、人が初めから完全な者として生まれるのではないという事を知っています。子どもは、両親の行動や言動の影響をストレートに受けて成長していきます。 結婚生活も同じです。結婚したというだけで、すぐさま円熟した夫婦となるのではありません。様々な夫婦の形を見たり聞いたりしながら、夫婦のあり方を模索し、学び取って行くのです。 大切な事は、結婚生活に失敗した人々をモデルにするのではなく、理想的な結婚生活を送っている人々を模範にする事です。 あなたの周りに、そのような人々がきっといるはずです。彼らに、幸せな結婚生活についての助言を求めるなら、喜んで協力してくれるでしょう。 今あなたが結婚生活に行き詰まりを感じていたり、不安を感じているのなら、迷わずに求めましょう。思いもかけない助けが与えられる事でしょう。 幸せの扉は、叩けば叩くほど広く開かれるものなのです。 |
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、 あけてもらえるであろう。
−マタイ7:7−
3月22日(水)
結婚適齢期の娘へ
結婚は神様が制定されたものです。 結婚年齢が近づいた娘に父母は「幸せな結婚生活に必要な三つの要素」を教え、心の備えをするよう勧めましょう。 1. 祈りなさい−ー祈りは起きる為の準備運動であり、闇を照らす光である |
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計?に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
−ローマ8:28−
3月21日(火)
重荷
仕える事と責任を持つ指導者になるのとでは、どちらの負担が重いと思いますか?実は、仕える妻に比べると、キリストが夫に要求している事の方が最も大きな荷物なのです。 夫は、神の御前に一人のクリスチャンとして、家庭の頭となるべき責任があります。うわべだけの頭ではなく、実質共に夫としての務めを果たし、家庭内で起る様々な事柄に責任を追わなければなりません。 その責任から逃れようとするならば、もはや夫とは言えません。 |
夫たる者よ。あなた方も同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、
知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みと共どもに受け継ぐ者として、
尊びなさい。それは、あなた方の祈りが妨げられないためである。
−第一ペテロ3:7−
3月20日(月)
妻は手形保証人
妻は夫との関係において手形保証人になるべきです。 「夫は人から頼まれたらイヤと言えないたちで...」 夫の長所には力強く吹き、短所には弱く吹きます。その時、できれば息を吹きかける程度で極力音は出さない方がよいでしょう。 実はこの笛、謙遜な人はあまり鳴らしません。ですから、笛を吹くタイミングに気をつける必要があるのです。妻の吹く笛の音が、夫に心地よいものとなればしめたものです。 そのような笛を吹けば吹く程、夫の手形がより多く、より豊かに発行されることになるからです。不渡り手形を出したくなければ、妻の成すべき事は明らかでしょう。 |
妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から惠みを与えられる。
−箴言18:22−
3月19日(主日)
対話こそが・・・
一つひとつの言葉がつながって対話となります。あなたの家庭に豊かな対話がありますか? 聖書は「ことばは神であった」と述べています。まさに、言葉は私たちにとってなくてはならないものです。 主に在る夫婦や家族の対話も、キリストを中心に迎え入れた対話であるべきです。 心の通い合った対話こそが、円満な夫婦関係を維持させるのです。 |
こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、
真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。
−エペソ4:25−
3月18日(土)
パウロ愛の宣言
― 愛は不義を喜びません ―
1. 不義の側に立たず、義の側に加わります。 |
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 −第1コリント13:6−
3月17日(金)
赦すべきか、赦さざるべきか
夫婦生活は、現在との戦いであると共に過去との戦いでもあります。何故ならば過去の上に現在があるからです。 もしも、過去に苦しい思い出や、消えない悲しみ、汚名を被せられたり、辱めを受けた苦い記憶が今もぬぐい去れないとしたら、日々多くの精神的ストレスを抱えて生きることになります。 それら過去の重荷から解放される方法は、赦すか、赦さざるべきか、或いは、仕返しすべきか、止めるべきかをどちらか一つを選択し、決断を下す以外にありません。 片足を赦しの道に、もう片足を復讐の道に向けて生きるなら、生活のエネルギーが分散されてしまい、疲労困ぱいするだけだからです。 復讐したいのなら潔くやりなさい。それが出来ないのなら赦すことです。赦すことが出来ずに、ずっと胸に抱いたままでいるのは、あなた自身が自分を拷問しているのと同じです。 傷をもたらせた相手を赦すことは、拷問のエキスパートであったあなたが、霊魂の腫瘍を取り出す命の医師へと変身することなのです。 |
憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。
−箴言10:12−
3月16日(木)
あなたのお金?私のお金?
結婚生活で、難しい問題の一つにお金の問題があります。 物がある所に心もある、と云います。夫や妻が、与えられたお金を正しく用いる事が出来なければ、結果として誤った思いや行動を起こす事になります。 物がもたらした代価は、必ず支払わなければならないという事を夫婦が共に認識すべきです。 |
あなたの実のある所には、心もあるからである。
−マタイ6:21−
3月15日(水)
妻が夫の成功の妨げに?
妻の無関心は夫の可能性をさえぎる有刺鉄線のようなものです。 夫の計画を理解しようと努め、その計画が神様の御心にかなうように祈る時、神様が妻を通して答えを与えて下さることもあります。 夫婦の愛とは、ただ互いを見つめ合うのではなく、同じ方向を見て、共に手を携えて進むことです。 |
同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、
わたしたちがキリストの奧義を語れるように
(わたしは、実は、そのために獄につながれているのである)、
−コロサイ4:3−
3月14日(火)
ホワイトデー
3月14日は、愛する人にキャンディを贈る日です。 ところで、結婚記念日に花束のプレゼントはしましたか?もし、忘れていたら、この機会を用いない手はありません。 あなたの年と彼女の年をあわせた数の飴をつなぎ合わせて「キャンディレイ」を作って、そうっと首にかけてあげては如何でしょうか。 普段は気恥ずかしくて出来ない...そんなあなたの為にこの日があるのでは? |
あなたの泉に祝福を受けさせ、あなたの若い時の妻を楽しめ。
−箴言5:18−
3月13日(月)
愛の殉教の場所
教会は神様の家です。 教会の中でどこか一カ所、自分の担当する場所を決めて、きれいに掃除しましょう。講壇やピアノを拭いたり、聖歌隊のガウンの整理、トイレ掃除、キッチン周りや、ゴミ箱や、その周辺の整理etc・・・、探せばいくらでも見つかります。 イエス様は私たちのために血潮を流されました。私たちも主の体なる教会のために汗を流すべきではないでしょうか。 そして、それらの場所の務めを子どもたちに祈りつつ継がせましょう。その場所こそが、愛の殉教の場所になるでしょう。 |
あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する
望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。
−第1テサロニケ1:3−
3月12日(主日)
似た者夫婦
「よく似たご夫婦ですね・・・」 しかし、必ずしも正反対の夫婦ばかりがよいとは言えません。 そう考えると、あながち正反対がよいとも言えませんね。では、よい夫婦になる為の原則は存在しないのでしょうか。 実は一つあります。それは、お互いのよさを認める事です。相手のよい所に接するうちに、人は自然に、その人に似ていくものです。 一緒に生活する中で、食べ物の好みが似てきます。何気ない癖や言葉遣いが似て来る事もあるでしょう。そして経済感覚も、価値観も似て来るのです。 |
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、
一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
−第1コリント12:26−
3月11(土)
不幸な家庭になる為の10の方策
幸福の扉が努力する事によって開かれるように、不幸が家庭に忍び寄るのも決して自然に起るのではありません。夫婦の行動の結果として不幸を招くのです。もしも、不幸になりたいと思うなら、以下の方法を行ってみて下さい。 1. 常に文句を口にする事。 2. 仕事のストレスは家庭に持ち込み、妻にぶつける事。 3. お金は使う為にあるもの。生きているうちに思う存分使い果たすべし。 4. 「駄目だ!出来ない!無理だ!」とため息を吐き続け、常に強迫観念を抱いて、最悪の状態をキープし続ける事。 5. 教会に行って時間を割かれるより、十分な睡眠を取る方が懸命である。 6. 「 駒は打ってこそ回る!」妻も同じである。出来れば3日に一度は辛くあたる事。 7. 未来は空想の中でだけ楽しみ、今の自分は、過去に浸って生きる事。 8. 人を気遣う必要はない。人は皆自分の益の為に存在するものである。 9. 家事はすべて妻の役割である。夫は決して手を出す事なかれ。 10.「自分たちの結婚は間違いだった」と頻繁に口にする事。 以上の事を実践すれば間違いなくあなたも不幸になれます。 |
悪しき者の家は滅ぼされ、正しい者の幕屋は栄える。 −箴言14:1−
3月10日(金)
性生活の主導は、夫?妻?
妻が先 肯定的な面 否定的な面 夫が先 肯定的な面 否定的な面 以上のように、性生活の主導をどちらが行うにしても、それぞれの考え方に相違があります。どちらが主導するのかではなく、夫婦が共に同じ思いを持ち、まさしく「一心同体となる」事を先ず祈るべきではないでしょうか。 |
ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。
−第1コリント11:11−
3月9日(木)
優れた夫になる為の10の知恵
1.夫は「 夫」であって「独裁者」ではありません。 |
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。
主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
−詩篇127:1−
3月8日(水)
黒穂のような人生
麦畑に時折生育する黒穂を知っていますか?初めは他の麦とあまり区別がつかず、見つけにくいものですが、麦全体が実る頃になると、まるで黒い墨のような黒穂は、その独特の醜さを表します。 肉の快楽を楽しむ人生が、まさにこのようです。人の目からは完全に隠されていると思うかも知れませんが、決して神様の目からは隠されていません。どんな秘密であろうと、やがて明らかになる日が必ずあります。その時、苦みを味わいながら涙のパンを食する事になるのです。 |
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、
霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
−ガラテヤ 6:8−
3月7日(火)
愚痴をこぼす妻
男性の幸福は妻の性格によって左右されます。 愚痴は、愚痴をこぼす妻の窮乏や、不満、見栄、怠慢、全て合わせたものよりも大きな不幸の種を家庭に蒔く愚かな行為です。 「愚痴をこぼす妻」を「感謝する妻」に変えるのは、ただ祈りだけです。 |
もしあなたのくちびるの言葉によって、わなにかかり、
あなたの口の言葉によって捕えられたならば、
−箴言6:2−
3月6日(月)
結婚の実
夫婦の間に新しい命が誕生する事程喜ばしく感動的な事はないでしょう。その瞬間夫婦は、夫と妻だけではなく、父と母としての新しい役割を担う事になります。子供は夫婦共通の話題になります。子供のない家庭の寂しさは、そうした夫婦共通の話題がなかなか持てない事でしょう。 そうです。新しい命の誕生は結婚の実です。初穂はより尊いものです。 |
見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。
−詩篇127:3−
3月5日(主日)
今月の計画
今日は3月初めの主日です。 ・ 誰を訪問したらよいか。 |
わたしたちの仲間も、さし迫った必要に備えて、努めて良いわざを励み、
実を結ばぬ者とならないように、心がけるべきである。
−テトス3:14−
3月4日(土)
「こんな女房がよかった」
夫たちの合唱が聞こえてきます。 ・ 夫や家族のために絶えず祈る妻 男性は皆このような思いを持っています。自分の事は棚に上げて....。 |
妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から惠みを与えられる。
−箴言18:22−
3月3日(金)
「夫」という武器
ある夫は、家族とは自分に満足を与える為にあると思い込み、夫としての権威を振りかざします。 妻や子どもたちの上に君臨しようとする思いは捨てなければなりません。 |
わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。
− 第2コリント 10:4 −
3月2日(木)
愛は表してこそ
神様も愛を行動で示されたように、愛は表すものです。夫婦の愛も、言葉や行動で表してこそ本当の愛です。心の中に閉じ込めたままの愛は、土の中に隠してある宝と同じです。 子どもたちにとって父母の愛は視覚教材です。目の前に表れた愛の行動を見て子どもたちは愛を学びます。実物教育なしに愛を習得する事は出来ません。 真の愛の意味を知る人は、愛を見た経験のある人です。そして、やがて自らも、愛を実践するようになるのです。 |
事をよく聞かないで答える者は、愚かであって恥をこうむる。
−箴言18:13−
3月1日(水)
幸福の練習
練習は、出来ない事を出来るようにする為にあります。また、練習は弱い所を強くする為にもおこないます。練習を積み重ねる事によって、確実に成果が表れるものです。 それは、「愛」も同じです。練習した時間と量によって、そのかたちも変わってきます。車の免許を取得する為にも練習が必要なように、幸せな家庭や、円満な夫婦の関係を築いたり、親子の信頼関係を築く為にも十分な練習が必要ではないでしょうか。 人は一枚の写真を撮る為にさえ笑顔の練習をします。では、毎日のの幸福の為に、あなたはどのような練習をしていますか?笑う練習、愛を交わす練習、喜びや悲しみを分かち合う練習の為に、どれほどの時間を割き、心を注いでいるでしょうか。 もしかすると、それらの労力を怠ってはいないでしょうか。今からでも遅くはありません。さあ、練習に取りかかりましょう! |
わたしは真実の道を選び、あなたのおきてをわたしの前に 置きました。
−詩篇119:30−