ここに書き記す一つ一つの文章が、私たちの家と私たち夫婦、そして、私たちの子供たちに対してあわれみの心を豊かに注ぐきっかけとなりますように。 お届けする「夫婦への日々の御言葉」は、韓国教会情報センター金ハンアン牧師が図書出版グロリアで出版した内容を翻訳してご紹介します。皆様の信仰に在る夫婦の日々の歩みに、少しでもお役に立てれば幸いです。 2006年1月20日 赤坂教会 牧師 姜泰進(カンテージン) |
1月31日(火)
理想的な夫婦の為の対話術
「十の智恵」
「一言で千両の借金を返す」と言うほどに、言葉は豊かな可能性を持っています。
どんなに多く語っても、或いは語らなくても費用は一切かかりません。
しかし悪い言葉は毒薬となり、多大な被害をもたらします。
お互いが、生き甲斐と喜びを感じる言葉を交わしましょう。
1.夫が話しをする時は、うなずくなどして聞く姿勢を表しましょう。
2.相手が話している時は、途中で割り込まないこと。
3.笑顔で話し、相手の心が和む言葉を選んで使いましょう。
4.プライドを傷つける言葉は、生き甲斐を失わせるので気をつけましょう。
5.心に合わない話しでも、面と向かって非難してはなりません。
6.自分の話しだけで終わらせず、相手にも話す機会を与えましょう。
7.同じ話しは繰り返してしないこと。
8.話をするときはユーモアに富んだ話しをしましょう。
9.不愉快な表情をしたり、つばを飛ばして話さないこと。
10.偽りの言葉は、初めから口に乗せないこと。
愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。
人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
−ヤコブ1:19−
1月30日(月)
家庭の幸福を打ち砕く金槌
神様の創造の御わざの中で最も麗しいものは幸せな家庭でした。
しかし、神様に対する不従順という罪は、
その幸せな家庭を破壊させる恐ろしい武器となります。
その罪の故にアダムとエバは楽園から追い出され、
さらには、アベルが自分の兄から殺害されるに至りました。
罪がとどまる家庭は、金槌で打たれながら生きるようなものです。
成長の過程で打たれ、結婚してからも打たれ、
人生の中の、大切なものが次々と壊されていく悪循環が継続します。
幸福な家庭を回復する為には、
その罪を完全に打ち砕き、家庭の中から追放しなければなりません。
方法はただ一つ、「祈り」という最も硬質な金槌を用いる事です。
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、
ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
−第1ペテロ5:8−
1月29日(主日)
女性の涙は妙薬中の妙薬
女性が流す涙はストレスを解消し、心に固まったしこりを溶かす力となります。
男性は感情を押さえる時に涙し、女性は感情を発散する時に涙を流します。
妻の目に涙が溢れたなら、ぎゅと抱きしめて
あなたの胸で彼女を受け止めてあげなさい。
妻の瞬間的な感情表現は決して悪いものではありません。
夫であるあなたに対して表現出来なければ、いったい誰に表現出来るでしょうか。
女性の涙が乾いてしまう事こそが問題なのです。
だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
−箴言31:10−
1月28日(土)
わたしはあなたを愛しています
お金は一銭もかかりません。
減ることもありません。
惜しむ必要もありません。
しかし行う価値は十分にあります。
それは「アイシテイル
」と伝えることです。
自国の言葉で言うのが照れくさいのなら
外国語で伝えるという方法もあります。
「どういう意味?」と聞かれたら
「わたしはあなたを愛しています」と答えましょう。
ナヌン タンシヌル サランハミダ=韓国語
アイラブユー(I love You) =英語
エゴ アモ テ(Ego amo Te) =ラテンゴ
ヨ テ アモ (io te amo)=スペイン語
ジュ テーム (Je t’aime)=フランス語
イッヒ リーベ ディッヒ(Ich liebe dich)=ドイツ語
ウオ アイ ニー(我愛ni)=中国語
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、
この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
−第一コリント13:13−
1月27日(金)
家庭礼拝を捧げない家庭のもっともな言い訳
礼拝は選択の余地のない「命」そのものです。
家庭礼拝も家庭に於いてなくてはならないものであり、
崇高なる神様から与えられた聖なる務めです。しかし
家庭礼拝を捧げない人々は、その理由を次のように述べます。
1. 必ずしも家庭礼拝を捧げなければならないとは思えない。
2. 家族それぞれが忙しいので、時間が合わせられない。
3. 家族の中に未信者がいるから一緒に行う事ができない。
4. 信仰がもっと成長してからでも遅くはないと思う。
5. 家庭礼拝を導く適切な人がいない。
6. 家庭礼拝の方法が分からない。
7. 捧げるべきと分かりながらも、つい先へ延ばしてしまう。
8. 率直に言えば、夕方は礼拝よりも興味ある事が多いからである。
9. 家庭礼拝がそれほど重要であるとは思っていない。
10.家庭礼拝を捧げなくても信仰に何ら影響はないと思う。
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。
そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
−ヨハネ4:23−
1月26日(木)
理想的な妻、理想的な夫
あなたはこの世の中に、理想的な夫がいると信じていますか?
あるいは理想的な妻がいると信じていますか?
確かに、主観的には「いる」と言えるでしょう。
しかし、客観的には「いない」と言えます。
何故ならば、自分にとって最も理想的な夫が、他の女性にとっても
理想的な夫であるとは限らないからです。
ここで、一つ実験をしてみましょう。
女性もしくは男性同士、何名かで一緒に行ってみて下さい。
用紙を一人一枚づつ配り、その中に各々「理想的夫像」または「女性像」を
10項目記入して下さい。その後、互いに内容をつき合わせてみましょう。
さて、どのような結果になったでしょうか?
決して皆の理想像が同じではない事がお分かりになったはずです。
この世の中に理想的な夫や妻は存在しません。
それは、
ただ自分の中に存在するだけです。
あなた自身が相手を受容する時にこそ、
あなたの夫や妻が理想の相手となるのです。
理想的な夫や妻は、どこか遠いところから得られるのではなく
自分の中で得られるものです。その事に気がつかなければ、あなたの
結婚生活が豊かになる事は決してないしょう。
いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を
自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。
−エペソ5:33−
1月25日(水)
妻の健康診断
果たして自分は夫にとって、ふさわしい妻だろうか?自らに問いかけてみましょう。
・ 祈りをする、賛美をする、御言葉を読むなどの時間が面倒だと思う。
・ 私は自分の夫を他の男性と比較する時、気にさわる事がある。
・ 私はたまに公の場で、夫の立場を困らせることがある。
・ 夫をなじったり、皮肉る言葉を使う事が多い。
・ 夫と争う時はいつも私の声が大きい方だ。
・ 私は他人の前で夫の格を下げる方だ。
・ 私は家を掃除したり整理することが嫌いだ。
・ 家族の団らん場所が家庭だと思うのは間違いだと思う。
・ 家庭内では女性らしさ(外見と心得)が、特に必要であるとは思わない。
・ 湯水のごとくお金を使う事に対して,何ら呵責はない。
・ 私は夫の親族に対して敵対意識がある。
・ 食事の支度をする時、自分が実にみじめに感じる。
・ 夫の性的な要求は非常に卑しい行動であると思う。
・ 私は子供の人生について責任を感じる必要はないと思う。
上記の質問の中で三つ以上当てはまるなら、あなたはすでに夫拒否症の病に
かかっているか、夫 憎みウイルスに感染した女性であるかも知れない。
妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、
自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会が
キリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
−エペソ5:22〜24−
1月24日(火)
夫の健康診断
・ 祈りをする、賛美をする、御言葉を読むなどの時間が退屈である。
・ 家族と妻のために働く自分が、強いられて働く家来のように思う。
・ 私は妻に満足と信頼感を与えられない。
・ 自分の日程と自分が行く場所は無理に知らせる必要はない。
・ 今まで一度も妻と一緒に旅行や外出をした事がない。
・ 私は自分の妻を他の女性と比較するたびに気にさわる。
・ 妻と争う時はいつも自分の声が大きい方だ。
・ 私は人前で妻の自尊心を傷つける方だ。
・ 自分の思い通りに行かない事があれば暴力をふるってでも正当化させる。
・ 私は妻の家族たちといると心地悪いし不快に思う。
・ 妻の性的な要求は淑やかな行動ではないと主張する。
・ 私は子供たちの教育の責任は妻にあると思う。
上記の質問の中で三つ以上当てはまるならば、あなたは間違いなく自称「よい夫」
であるか、一人の女性と家族を苦しませる無味乾燥な男性に過ぎない。
夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、
妻を愛しなさい。それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように
愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
−エペソ5:25,28−
1月23日(月)
愛は「愛」という糧を受けてこそ
愛は育むものです。
愛は感謝や助けという栄養を絶えず与えることによって豊かに育ちます。
家庭を体にたとえるなら夫は頭であり、家族は肢体です。
愛のない家庭は頭のない肢体と同様です。
家庭に愛がないのは頭である夫に問題があるしるしです。
妻に対する接し方で最も良い方法は愛することです。
妻は夫の愛に満たされる時に変わります。
事実かどうか愛を注いで見て下さい。
昨日より今日、そして今日より明日
必ず変わります。
わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。
−第1ヨハネ4:19−
1月22日(日)
幸せな結婚生活への知恵の十か条
あなたも幸せな結婚生活を維持することが出来ます。
結婚はあなたに幸せを与えるための打ち出のこづちです。
素敵に使ってみてください。
1.与えなさい、譲りなさい、傷は心に納めないでください。
2.性生活、食生活、家庭生活のすべてを楽しんでください。
3.子は二番目です、夫婦が一番目です。
4.信仰の中で愛を育んでいきましょう。
5.金銭に悩まないように努力しましょう。
6.婚姻関係の具体的な原則を定めましょう。
7.秘密を作らないでいつも心を打ち明けましょう。
8.互いが必要な存在であることを覚え、
互いの必要を満たしてあげましょう。
9.相手が好むものに関心を持ち、共通の趣味などを持ちましょう。
10.常に相手を思いやる言葉を用いながら、積極的、肯定的に話しましょう。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
−第2コリント5:17−
1月21日(土)
「愛の七つの峠」
第一の峠は幻の峠。
結婚してから3年ほどの間に越える峠道。
さまざまな困難に直面しながらも
泣いたり、笑ったり、夢幻の中を
耐えながら越えて行く涙の峠である。
第二の峠は妥協の峠。
結婚後3〜5年の間、互いの中に表われる。
相手の欠点をあえて見ないように努めつつ
危険な倦怠期を手に汗握りながら越える峠。
第三の峠は戦いの峠。
結婚後5〜10年間、夫婦として暮らし
真に相手を知る頃である。
互いに自分の気持ちと戦いながら
相手を受け入れようと努めるけれど
戸惑いを感じつつ越える非夢の峠。
第四の峠は決断の峠。
結婚後10〜15年を経た頃に越える峠である。
相手の長所短所を現実に受け止めて
足並みを合わせるよう心がけるも
空回りする峠。
第五の峠は孤立の峠。
結婚後15年〜20年頃に立ちはだかる峠である。
病や悩みという荷物を抱えるが
精神的にはあたかも独り身であるかのような
孤独さえ感じる時である。
各々が、将来に対する展望を
少しずつ諦めながら乗り越えて行く峠。
第六の峠は一致の峠。
今までの出来事すべてを受け入れ合い
相手を享受する心と責任感を持って
伴侶のために残された人生を捧げながら越える
下り道にさしかかった峠。
第七の峠は自由の峠。
結婚後、長い年月を経て表われるゴール間近の峠である。
言葉を交わさなくても互いが分かり合える
完熟した段階である。
そこは、幸せを分かち合う御国の峠。
あなたは今、どの峠を越えていますか?
イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴダ)という場所に出て行かれた。
−ヨハネ19:17−
1月20日(金)
「夫婦が捧げる祈りの力」
祈りは霊魂の息です。
夫婦が共に捧げる祈りは、
確かな神様の臨在の中で
一つとなる奇跡の瞬間です。
夫婦間の問題を
祈りを通して神様の御前に打ち明ける時
神様は確かに
答えて下さるのです。
なぜ神様から答えを頂く事を躊躇しているのですか?
「自分はしたいが、相手が問題だ」と思っていますか?
「自分は何でも出来るが、あなたには出来ないだろう」
と言われるのを恐れていますか?
または、なんとなく照れ臭いからですか?
それは違います。夫婦が共に祈る時初めて
対話を塞いでいた壁が崩され、
まことの愛によって一つに繋がる感動が与えられます。
このような夫婦の祈りは
神様が夫婦の生活の中に入る管となります。
そして、その時、あなたたち夫婦と
あなたたちの結婚生活の中に
聖霊様が臨まれるのです。
思いだけでとどまるのではなく、今から始めましょう。
必ず出来ます。何故なら、その祈りを神様が
心から待ち望んでおられるからです。
その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。
わたしはあなたがたの祈を聞く.あなたがたはわたしを尋ね求めて、
わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば.
−エレミヤ29:12〜13−
1月19日(木)
「家の中を御言葉の香りで」
病院へ行けば消毒の臭いがします。
飲食店へ行けば食べ物の臭いがします。
化粧品店へ行けば濃い化粧品の臭いがします。
死のあるところでは涙と泣き声が聞こえます。
では、あなたの家庭は、どのような香りがするのでしょうか。
心配や憂いがありますか?
夫の仕事が上手くいかずに元気を失っていますか?
子供さえもやる気をなくしていませんか?
もし、そうならば
家庭の隅々を御言葉の香りで満たしてみませんか?
家の隅々を祈りの香りで満たしてみませんか?
知らぬ間に力が湧いて来るのを感じる事が出来るでしょう。
そのために奮い立って働く人は誰でしょうか。
それは
まさにあなたです。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を
光のように明らかにし、 あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
−詩篇37:5〜6−