「強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモ―セがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。」
序論:歴史の歯車を寸分違わず正確に執行する神様の御計画によって、今年も恵みの内に生かされ、残すところ、あと1ヶ月弱となりました。「今年も精一杯頑張ってきた、いや、まだ何かやり遂げてない事があるのではないか...」そんな思いが交差する師走です。しかし、すべてにおいて私たちの歩みを導いてくださった神様の恵みに感謝があるのみです。エベネゼルの神様がここまで私たちを助けてくださったからです(サムエル上7:12)
私たちはもはや過去に葬られる希望のない死んだ者ではありません。未来志向でビジョンを持ち、聖霊の慰めによって進み、カナン、すなわち永遠の御国を目指して前進すべきです。御国こそが私たちのゴールであり、永遠のふるさとであるからです。
荒野の教会の運動の第一次の御わざはネボアの山に隠されたモーセの最後と共にその幕を閉じました。エジプト王パロの前に現れた神様の大いなる力(出エジプト7:1〜10:23)、ゴセンの地で成し遂げた過越しの御わざとエジプトの号泣(出エジプト12:28〜30)、泣き叫ぶ声で震えた死の地エジプトからの脱出(出12:40〜41)、紅海を渡る奇跡(出エジプト14:15〜22)、ルビデムの岩から吹き出た水(出エジプト17:1〜7)、鶉を呼び集めた御わざ、マナを降らせる御わざ、火の柱、雲の柱による神様の臨在と導き(出エジプト14:9、24、13:20)など、荒野において様々な御わざを示し、御自身の聖なる輝き、威光と尊厳とを現されました。
モーセの後継者となったヨシュアの歩みは、これから向かうカナンの地への入国を前にヨルダン川の向こう側にそびえ立つエリコの町の陥落と共に展開されます。
歴史的なヨルダン渡河作戦、エリコの町の陥落、アイの町の占領、カナン入国、約束の地の配分、神政国家の樹立など、ヨシュアに委ねられた大役を最後まで果たす為に前進を続けなければなりませんでした。後悔しない前進だけが勝利につながる近道でした。そしてイスラエルの民は、新しい指導者ヨシュアのもとヨルダン川辺のシッテムに辿り着きます。
新たな地への期待、何が彼らを待ち受けているか分からない不安や恐れを前に、イスラエルの民は常に戦いの姿勢を整え、前進の備えをしながら神様の命令を待ち続けました。私たちも、エジプトを出発した彼らのように、生まれて初めて歩むこの道を(ヨシュア3:4)「前進する歩み」と言う主題を掲げて、神様の命令に従いつつ信仰の前進を続ける十字架の兵隊となりますように。
1.契約の箱を先に立たせる
民に 命じて言った、「あなたたちは、あなたたちの神,主の契約の箱をレビ人の祭司たちがかきあげるのを見たなら,今いる所をたって,その後に続け.契約の箱との間には約二千キュビトの距離をとり,それ以上近寄ってはならない.そうすれば,これまで一度も通ったことのない道であるが,あなたたちの行くべき道は分かる.」と記されています。普通の旅路では契約の箱は行列の中央に置きますが、ここヨルダン渡河の場合には契約の箱が先頭に置かれました。何故でしょうか?
1)契約の箱は御言葉のシンボルです。
契約の箱を前に置いたのは「カナンを与える」という神様の真実な約束を堅持する意味を持ちます。荒野の行進の主役が、御言葉そのものにあることを再確認させる行為です。その神様の真実な御言葉そのものが根本的に荒野の行進の責任を負っているということです(出エジプト13:21、ヨシュア1:5〜9)。
@ 御言葉はツアーコンダクターです。
ヨシュア3:4節に「契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり,それ以上近寄ってはならない.そうすれば,これまで一度も通ったことのない道であるが,あなたたちの行くべき道は分かる.
」と記されています。
イスラエル人にとって一度も経験のない、生まれて初めての行程でした。しかし契約の箱を背負った祭司長に従って進むなら、その道を知るようになる、と神様の御言葉の約束がありました。
人間的には保障がないように思える不確かな未来への道が、確かな道、幸せの道となるためには案内役が必要です。私たちの人生の案内役とは誰でしょうか?そのお方は、真の牧者であるイエス・キリストです(詩篇23:1〜2)。「主の御言葉はわたしの足のともし火であり、道の光であり」(詩篇119:105)、「主によって喜びをなせ.主はあなたの心の願いをかなえられる.あなたの道を主にゆだねよ.主に信頼せよ,主はそれをなしとげ,」(詩篇37:5)
私たちにとって、たとえ、今まで通ったことのない未知の世界だとしても、すべての生活における決定者であり、わたしの道を知っている(ヨブ23:10)神様にすべてを委ねつつ進むならば、必ず自分の道を知ることができるのです。
A 御言葉は開拓者です。
アブラハムは、自分に与えられた御言葉の前ですべてを委ねることができる人でした。「アブラハムは神様の御言葉にしたがった」(創世記12:4)
私たちも新しい出発のために今まで留まっていた場所から離れるべきです。信仰によって出発するべきです。信仰は過去の業績や現実に安住することではなく、ひたすら決断であり、冒険であり、自分自身を神の前に差し出す行為です。
2)神の契約の箱は糧のシンボルです。
糧のシンボルとは命のシンボルと言うことです。イスラエルの民は、荒野を行進する間、40年間もの長きにわたり、恵みと豊かさを受けて暮らしてきました。それは神様が彼らに「マナ」を降らせ、カナンに向かうイスラエルの人々の健康を保障されたからです(出エジプト16:11〜35、民数記11:7〜9、詩篇105:40)。マナと鶉と飲料水など日用の糧を完全に保障されたのです(民数11:31)。そして神様は、モーセに対し、イスラエルの民がカナンの地に到着した際、神様から与えられた荒野における恩寵を覚えさせるために、マナを入れた壺を契約の箱の中に保管するようにと命じました。
3)神の契約の箱は復活のシンボルです。
また、この箱の中に、アロンの芽が出た杖を保管するように言われました。これは代々アロンの子らが祭司長となるという保証のしるしです。杖から芽が出たという出来事は、復活の雛形です。では復活の原型は誰でしょう?イエス・キリストです。すなわち、彼らがヨルダン川を渡る前に、前進の姿勢を新たに整えたことは、イエス様に対する信仰の再確認の働きであります。
言葉のシンボルとされる二つの石の板は御言葉が肉体となってこられたイエス様です。壺に入れたマナは、私たちの罪の代わりにむち打たれ、血を流された真の命のパンであるイエス・キリストを意味します(ヨ6:33〜59)。
アロンの芽が出た杖は墓からよみがえられ、私たちの永遠の大祭司となられたイエスの象徴です。
2.きよめる姿勢
「ヨシュアはまた民に言った,あなたがたは身をきよめなさい.あす,主があなたがたのうちに
不思議を 行われるからである 」ヨシュアは3章5節
イスラエルの民の前に神様が来られる瞬間です。神様は聖なるお方です。その神様が今、ヨルダン川にイスラエルの人々を通らせるために来られます。聖なる神様がエリコの勝利をイスラエルの人々に与えるために来られるのです。その時ヨシュアは「主があなたがたのうちに 不思議を 行われるからである
」(ヨシュア3:5)と言いました。聖なる神様を迎え入れるための備えとして「清め」を要求したのです。神様が人間の世界に来られる時、常に要求することがありますが、それが清めです。聖潔です(レビ記11:44)。
神様はヨルダン川が割れる奇跡よりも、民の心が清められることを願っています(ローマ1:4)。神様はエリコの町が陥落されることよりも、先ずはイスラエルの人々の中にある罪の城が崩れることを要求しています。
3.信仰の決断
「ヨシュアは朝早く起き,イスラエルの人々すべてとともにシッテムを出立して,ヨルダンに行き,それを渡らずに,そこに宿った.」ヨシュア3:1節
「三日の後,つかさたちは宿営の中を 行き巡り,」3章2節
ヨシュアは祭司たちに言った,「契約の箱をかき,民に先立って渡りなさい.そこで彼らは契約の箱をかき,民に先立って進んだ.」3章6節
「あなたは契約の箱をかく祭司たちに命じて言わなければならない,『あなたがたは,ヨルダン の水ぎわへ行くと,すぐ,ヨルダンの中に立ちとどまらなければならない
』」.3章8節
以上は、偉大なるヨシュアの命令であり、その命令に従う祭司長らの率先的な信仰の決断がありました。
率先的な決断を行う人は、生活の現場で信仰が適応されます。その人は「主よ信じます」と、神様が御わざを成して下さると確信して進み出ることができます。その信仰による決断は想像を超える驚く結果をもたらせます(出エジプト14:22、ヨシュア3:15〜16)。
4.信仰による従順
イスラエルの人々は「そのあとに従わなければならない.」ヨシュア3:3節、と命令を受けました。また、ヨシュアによって勝利の約束の知らせを聞き、生きる神に望みを抱きました。(3章10節)「こうして民はヨルダンを渡ろうとして天幕をいで立ち,祭司たちは契約の箱をかき,民に先立って行ったが,」3章14節
イスラエルの民が、指導者によって語られた言葉を信じ、御言葉に従う姿勢が見て取れます。(ヨシュア3:16、17,4:1)。その時、ヨルダン川に奇跡が起こりました。エリコの町を陥落させる時も、イスラエルの人々が御言葉を信じて行う姿勢が伴いました。常識的に考えて、エリコの城壁の周りを歩き回るだけで町が崩れることなどあるでしょうか?しかし彼らは回りました。なぜでしょうか?大切なことは神様の御言葉をそのとおり信じて従ったからです。神の契約の箱を自分たちの前に置く姿勢をとったからです。指導者の率先的な模範、そして人々の信仰による従順が、この素晴らしい奇跡をもたらせたのです。
結論:イスラエルの民は、信じて従う行為によって神様の御わざを経験しました。ヨルダン川を渡る際の導き手はヨシュアでしたが、『ヨシュア』という言葉はイエスと言う意味もあります。ヨシュアは、人々をカナンへ導く役割、民を救う為の役割を担った人でした。そこにあるのは前進のみでした。わたしたちの前にも待望のカナン(御国)があります。私たちも信仰によって、強くまた雄々しく前進する教会でありますように!
日本ナザレン教団 赤坂教会
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