この御言葉はいにしえの歴史である旧約を締めくくり新しい歴史である新約を始める、実に雄大かつ壮厳な宣布です(ヨハ1:17)。これは旧約のすべての歴史がイエス・キリストによって完成されてその絶頂を成し、新約のすべての歴史がイエス・キリストを通じて出発していることを証したものです。ですからイエス・キリストの系図は、旧約と新約を網羅する救済史の縮図として、聖書全体を救済史的に解釈する新しい地平を開いてくれます。
マタイによる福音書1:1に続けて記録されているイエス・キリストの系図は、三つの時代に区分されていて、第一期はアブラハムからダビデまでの十四代、第二期はダビデからバビロンに移住するまでの十四代、第三期はバビロンに移住してからイエス・キリストまでの十四代に当たります(マタ1:17)。
このようにイエス・キリストの系図が、新約を開く始めの章に記録されているのは、系図に記録されている人物たちが全て、人類の救い主であるメシアがこの世に来られるためになさった、神の救済史的経綸の通路であるからです。イエス・キリストの系図では、肉的血統の正当性を明らかにするだけでなく、イエス・キリストが成肉身してこの世に来られるまでに、信仰の系図をずっと引き継いで来た信仰の足跡を見せています。しかし、私たちが一つ注目しなければならないことは、一般的な系図は血統に従って順に記録されますが、マタイによる福音書1章の系図はすべての世代が欠かすことなく、連続的に記録されたものではないという事実です。むしろ、系図の間に多くの代数が省略されています。
ユダの孫ヘヅロンはエジプトに入る当時、ヤコブの70人の家族名簿にその名が載せられています(創46:12)。ヘヅロンは、430年のエジプトでの生活期間の前半で生きていた人物です。また、アミナダブの子であるナションは、出エジプト後、荒野の時代にユダの部族の頭領として登場しているのを見ると(民2:3, 10:14)、アミナダブの子ナションはエジプトで奴隷として暮した最後の世代であることが分かります。遊女ラハブはカナンの地に入った(BC1406年)後、カナン征服初期の人物なので(ヨシ2:1)、ラハブと結婚したサルモンは荒野で生まれた第二世代であり、その父ナションは、エジプトで奴隷として暮らした最後の世代だと言えます。結果的に、イエス・キリストの系図には、430年間エジプトで奴隷として暮らしたエスロン、アラム、アミナダブ、ナアソン(マタ1:3-4)まで、たった四代のみ記録されているわけです。実際、この時期に該当する世代の数がエフライムからヨシュアまで10世代であることを考えると(代上7:20-27)、イエス・キリストの系図にはエジプトで奴隷として暮らした430年に該当する、多くの代数が省略されていることがわかります。
イスラエルがエジプトを出てカナンの地に入ったのがBC1406年であり、ダビデが歴史に登場するのがBC1010年頃です。しかし、約396年といった長い歳月の間、イエス・キリストの系図にはダビデを除いてサルモン、ボアズ、オベデ、エッサイ(マタ1:5-6)まで、たった四世代のみ記録されています。
私たちが知っているとおり、サルモンとラハブはカナン征服時代初期の人物であり、ボアズとルツは士師時代末期の人物です(ルツ1:1, 4:21-22)。すなわち、サルモンとボアズの間には300年以上の時間の間隔があるわけです。士師時代末期に生きていたエフタは、ギレアデが自分たちの土地であると主張するアンモン王に対して、すでに300年前からイスラエルの地となっているのに、今になって自分たちの土地であると主張する事は不当であると説き伏せています。私たちはここで、カナン征服の指導者であるヨシュアとその時代の人々がすべて死んだ後、士師時代の霊的暗黒時代の人物たちは、キリストの系図にほとんど記録されていないという、衝撃的な事実に接することとなります。
神様は、マタイによる福音書1章の系図の中から士師時代の人物を削除することによって、
士師時代の霊的な暗黒状況に関する聖書の証言(ヨシ24:31, 士2:7-10)を正確に立証させているわけです。神様に仕える信仰が消えてしまった時代、信仰のない時代はイエス・キリストの系図から抜けてしまったのです。
イエス・キリストの系図にはダビデ以降、ヨシヤまで十四代が記録されていますが(マタ1:6-11)、歴代志上の系図と比べてみると‘アハジヤ、ヨアシ、アマジヤ’の三代が欠けています(代上3:11-12)。この人たちはすべて北朝イスラエルの極悪な王であるアハブと、その妃のイゼベルの血統と関連する王たちです(王下8:26)。アハブとイゼベルの娘のアタリヤはメシアが来られる王族を完全に滅ぼして、神様の救済史を断絶させようとした張本人だったのです(王下11:1, 代下22:10)。アタリヤと関連していた3人の王達は悪を行ったため、系図に入ることができなかったのです(王上21:21)。また、イエス・キリストの系図にはバビロンへの移住前後に‘エホアハズ、エホヤキム、ゼデキヤ’の三代が欠けています(マタ1:11-12, 代下36:1, 5, 11)。
このように、マタイによる福音書1章のイエス・キリストの系図は、間に多くの歳月が途絶えたりつながったりを繰り返しながら、実に多い屈曲を繰り返しました。ですから、私たちはマタイによる福音書1章の系図がイエス・キリストをアブラハムとダビデの子孫だと説明することで、彼がメシアであることを証明していること以外にも、
イエス・キリストの系図はただ約束に忠実な信仰の人々を中心につながっているということを明確に悟らなければなりません。
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